東宝特撮屈指のドラマSFの興奮

『ガス人間第1号』は、昭和3560)年1211日に公開された怪奇スリラー・タッチのSF映画で、東宝特撮映画の歴史の中で、『ゴジラ』(54)や『地球防衛軍』(57)の特撮スペクタクルと違って、SFドラマをビジュアル・パワーで支えるドラマティックさで光る特撮シーンが輝いた作品群の頂点の1本である。
 製作:田中友幸、監督:本多猪四郎、特技監督:円谷英二のトリオがノリにのっている時期の作品で、『美女と液体人間』昭和3358)年624日公開、『電送人間』昭和3560)年410日公開と、カラー映像を使って怪奇スリラーのムードを高める「変身人間」シリーズの決定版を狙った作品であった。

『美女と液体人間』では、円谷英二特技監督は液体人間に包まれて溶けていく人間のシーンを、役者そっくりに作ったラバー製の人型ダミー人形の中にエアーを入れふくらませ、しぼむ風船状の仕掛けを作り、しぼんでクニャクニャになっていくダミー人形の上にオプチカル合成で液体人間をかぶせ、目で見られる溶けていく人間をビジュアル化してみせた(袖口やズボンの中からゼリー状に溶けて、漏れていくショック映像も見事だった)。
 2枚のガラス板の間にグラス・ウール(ガラス状のゴム質の液体)をはさみ、人間の形にして、2枚を押しては離し、まるで呼吸するように見せて、その映像をオプチカル合成してドラマ部分に焼き込み、液体人間を移動させた。部屋の窓から液体人間が入ってきて、床をスーッと進んでいくシーンは、セット全体を箱型にして、ヤジロベーのように床下の支柱1本で支え、セットの周りの支持棒を傾けて、セット全体が360度自由に斜めにできるようにして、グラス・ウールの液体を走らせ、セットに固定したカメラによる撮影で、生きている液体を表現していった。特撮班の渡辺明美術監督による設計だった。
 ほかにも逆回転撮影で上へのぼっていったり、役者陣のリアクションのうまさで無機物の液体に生命力を与えていったのだ。

 本多猪四郎監督は、映画の冒頭で液体人間に溶かされたギャングの三崎(伊藤久哉)の残留意志が液体人間の中に残っていて、彼の恋人であるキャバレーの歌手・千加子(白川由美)の周りに現れて、彼女を脅かす人間に次々と襲いかかり、彼女を殺そうとしたギャングの非情な内田(佐藤允)に降りかかって溶かし、しかし、千加子には触れようともせず、彼女の目の前で自衛隊の火炎放射の炎に焼かれていく、泣くようなその声……。泣き崩れる千加子とひと言のセリフもなしに液体人間と化して、愛する女のもとに戻ろうとする男のラブ・ストーリーを描き、圧巻のクライマックスを描き出していた。そして、『ガス人間第1号』では、その変身人間のラブ・ストーリーをたっぷりのセリフとまさに役者の演技によって肉づけしたらどうなるだろう、という演出家・本多猪四郎の大きな挑戦だった。
 円谷英二特技監督の特撮班にとっては、福田純監督の若々しいリズム感が軽快な編集をみせる『電送人間』で、走る電送人間(中丸忠雄)を移動マスク合成でしっかりと追って、青白い電波状の走査線が走る電送人間のエフェクトを完遂したことが、オプチカル合成への大きな自信となった。光学撮影の荒木秀三郎キャメラマンのすばらしい仕事だった。その青白く走査線が走る中で、ギラギラと燃えるように怒りの目を見せる中丸忠雄の表情は、はっきりと映像の中で見ることができた。合成をかけながら、役者の表情をはっきりと出せる----この自信なくしてガス人間の変身シーンはなかったと思うのである。

 脚本の木村武(馬淵薫)の第1稿では、ガス人間となる水野(土屋嘉男)は、実は宇宙人というとんでもないストーリーだったが、本多猪四郎や田中友幸プロデューサー、木村武との打ち合わせの中で、宇宙開発の人体実験に利用される平凡な青年という悲劇の視点が導入され、ちょうど世間の話題になっていた踊りや生け花、茶道の家元制度の中で起きる醜い人間模様に巻き込まれたヒロインとガス人間の愛情という空前のストーリーに発展。人間が変異していく海外のSF映画『4Dマン 怪奇!壁ぬけ男』(56、監督:アーヴィン・ショーテス・イヤワース・Jr)や『縮みゆく人間』(57、監督:ジャック・アーノルド)、『巨人獣』(58、監督:バート・I・ゴードン)が変異する前の妻や恋人との純愛をうたうルーティンから脱する新機軸のストーリーを生んでいった。作品をご覧になればわかるだろうが、あらゆる人たちに裏切られた藤千代(八千草薫)は、自分に生命をかけて尽くしてくれる水野を自分から裏切るわけにはいかない……単純なラブ・ストーリーではないのだ。
 しかも、それが相思相愛の警視庁の刑事である岡本(三橋達也)と彼が学生時代下宿していた恩師の娘である新聞記者・京子(佐多契子)の結婚間近のカップルに対比されているこの絶妙さ。逆回転する煙で表現しているタイトル以降、40分近く1カットも特撮シーンはなく、スリラー・タッチの中で、登場人物をじっくりとユーモアもまじえて紹介していく。
 まさに、『ガス人間第1号』は、本多猪四郎監督率いる本編(ドラマ部分)班が作品の基調リズムを作りあげている証明と思う。

 円谷英二特技監督は、ドラマ部分を驚異の特撮ビジュアルで支えていく。
 土屋嘉男そっくりに作ったダミー人形に背広を着せて、エアーを抜いて、頬がこけ、頭がへこみ、どんどん下へとしぼんでいく。それを逆回転して、ガス状の煙から人間へと戻っていく変身シーンをビジュアル化。腹の下には水をはっておいて、ドライアイスがそこに入ってガスを出すという仕掛けつきだ。それを逆回転して、ガスから復元させていくわけだ。
 ガス人間がはっきりとその姿を現すシーンでは、オプチカル合成にとって土屋嘉男の顔が青白くぼやけ、アウト・フォーカスとなり、目が黒くなって、まるで骸骨のように見えるその顔のビジュアル・イメージが圧巻。『電送人間』の移動マスクをさらに一歩進めた合成イメージだった。CGIの今日でもあの不気味なガス化していく土屋嘉男のイメージを超えることは無理だと思う。変身シーンの直前に土屋嘉男の顔に当てている青白い照明の演出が絶品。ドラマ部分の小泉一撮影監督の冷えざえとした(夏の暑さを出したストーリーなのに、人間の冷たさがはっきりとえぐりとられている)映像設計が大人のドラマを文字通り作りあげていった。
 カット数は少ないながら、ハイレベルのドラマティックな特撮映像が続出する。円谷英二特技監督のドラマ派の演出タッチを存分に楽しめる代表作でもある。
 ラストの燃えあがる公会堂は、オープン・セットに建てられた、実に5メートルを超える大型ミニチュアで、たたきつけるようなガス人間・水野の怒り、悲しみ、絶望を紅蓮の炎でビジュアル化している。
 本多猪四郎監督の代表作の1本であり、『美女と液体人間』、『マタンゴ』(63)と共に見て、『ゴジラ』や『地球防衛軍』と同じ監督なのだ、ということに驚いてほしい。円谷特撮の合成シーンとしてもトップ・ランクの1本である。

初出 東宝『ガス人間第1号』DVD解説書 2002年】

『ゴジラ』の特撮シーンの魅力

 東京を放射能火炎で、紅蓮の炎に包んでいく大怪獣ゴジラ……その特撮シーンは、どうやって撮影されたのだろうか?
『ゴジラ』(54)の全カットは、868カットだが、特撮は263カットと、実に3分の1に達し、合成シーンも95カットの多さ----と、ここまで本編(人間の芝居部分)と特撮が入念にモンタージュされた映画は、日本初であった。

 本編の本多猪四郎監督と特撮パートを指揮する円谷英二技師が挑み、作り出した“ビジュアル・クライマックス”の秘密とプロセスをミニチュア撮影の工夫、そして、多彩な合成シーンのふたつを中心にして紹介してみたい。
『ゴジラ』を見ると、のちの東宝が得意にする大俯瞰の東京ミニチュアがないのに気づく。
 現在も「ゴジラ」映画の撮影に使われている東京・成城学園前の東宝砧スタジオのそれぞれ五百坪ある第八、第九ステージの完成が『ゴジラ』公開の翌月、昭和291954)年12月で、そのためもあるが、より演出的な狙いがそこに見えている。
 同封の絵コンテを見てもらうとわかるが、東京の芝浦海岸に上陸したゴジラは、田町駅前から京浜国道沿いに、札の辻、新橋、銀座、尾張町交差点から晴海通りへ進み、数寄屋橋、有楽町のガード、東京都庁、永田町の国会議事堂、平河町のTV塔、浅草、隅田川の勝鬨橋を南下と、東京の実在の町を何ポイントかにわけて、ミニチュア化、あるいは実景の夜景に炎を合成して視覚化して、ゴジラの東京襲撃シーンを架空ドキュメントのように作りあげた。
 有川貞昌キャメラマンは、さらに人間の視点を強調するため、地面すれすれにカメラを置き、ゴジラに襲われる人間の視線で特撮の映像にメリハリを作り出している。
 特撮班の渡辺明美術監督は、第四、第五ステージだけでなく、第六ステージの外壁をホリゾントにして、屋外のオープン特撮セットを作り、燃えるミニチュアの炎のフォルムと勢いをナチュラルに撮影している。『ゴジラ』の燃える町のパワフルな炎と自然なアオリ映像は、オープン撮影の成果であった。
『ゴジラ』のオープン特撮セットは、25セットで、翌年の『ゴジラの逆襲』(55)のオープン撮影セットの10セットと比べると、いかに多かったかわかるだろう。
 この火災シーンのためのオープン撮影セットは、のちにも『空の大怪獣ラドン』(56)のタンクローリー車が横転して燃えあがる福岡市街と『地球防衛軍』(57)のモゲラが襲う富士市炎上シーンでも使用され、効果をあげていた。
 建物の壊し方でも、高圧線は放射能火炎で溶かし(鉄塔は、蝋素材で作られ、ライトの熱で溶かしている)、松坂屋デパートは放射能火炎で燃やし、数寄屋橋は踏み抜き、日劇はしっぽで壊し、国会は突き崩し、TV塔はかみついて倒し、勝鬨橋は両手でひっくり返す、とすべて変えてあることに注意。のちのTV特撮のようにやたら建物は爆発しない。
『ゴジラ』の東京破壊のプロセスがいかに入念に考えられたか、よくわかるだろう。
 ゴジラは、50メートルの大きさのため、岸田九一郎照明監督は、パート・ライトを使って、夜間に一部だけライトに照らし出される照明設計を随所で使い、サスペンスを盛りあげた。炎を受けて全身がしっかりと浮かびあがるスペクタクル・シーンとパート・ライトのサスペンスの配合も、照明演出の冴えあってのことだ。
 ゴジラのぬいぐるみは、生ゴムのような特殊プラスチックで作ったため、その重量は百キロもあり、中に入った俳優の中島春雄や手塚勝巳の動きもままならなかった。初代ゴジラの異様な重量感は、ハイ・スピード撮影のためだけじゃなく、その重さのせいでもあった。
 そのため、派手に俊敏に動くシーンでは、例えば、しっぽだけ、下半身のだけのスーツ、手を入れて動かす上半身だけのギニョール・モデルが作られ、活用された。
 倉庫の天井を踏み抜く足や有楽町のガードを壊す足に逃げる人間を踏もうとする合成シーンの足が下半身スーツ。屋根を壊したり、日劇を壊すしっぽがしっぽのみのパーツ。
 大戸島の八幡山に現れるゴジラや遠景の燃える町並みの上に動くゴジラ、放射能火炎を吐く(蒸気状のスプレーで表現)ゴジラ、時計塔に吠えるゴジラ、TV塔をくわえるゴジラが上半身のギニョール・タイプである。
 自分が求めている映像は、どのような形をとった時、現実化、視覚化できるのか----円谷特撮の演出は、初のぬいぐるみ怪獣に挑んだ時、ほとんど完成に近い方法論を確立していたのである。
『ゴジラ』は、95カットもの合成シーンを持つが、大戸島の外観や破壊家屋を実感させるマットアート合成やゴジラの放射能火炎を描くアニメ合成、同じ夜の闇の中に逃げる人間と迫りくるゴジラを同居させる生合成、移動マスク合成、と多彩な合成テクニックを見せた。
 本多猪四郎監督の本編班(A班)、円谷英二指揮する特撮班(B班)と共に向山宏技師率いる合成班(C班)があって、向山技師はA班に立ち会い、必要な合成シーンのためにカメラ前に黒マスクを作って生合成の手配をしたり、本編のタイミングを計測して特撮班の撮影用データを記録したり、本編と特撮の演出意図と撮影データをつなぎ、合成シーンに仕上げて、両班をサイドから支え続けた。
 ミニチュア・セットも効果的なマットアート合成で広がりが生まれていて、例えば、高圧線を突破したゴジラ主観の道路の人が逃げるシーンの左側の屋根はマットアート、服部時計塔に近づくゴジラの右側の毛糸看板と銀座4丁目の電柱もマットアートだ。マットアートをナメることで、セットは一段奥へ入り、構図に広がりが出るのである。
『ゴジラの逆襲』でも、大阪城のゴジラとアンギラスの土塀越しのショットを塀のマットアートで表現している。『ゴジラ』と『ゴジラの逆襲』の広がりを出すマットアート合成は、特に効果があったと思う。
 大戸島の八幡山の稜線に現れるゴジラの合成シーンは、向山班がカメラ前に黒マスクを作り、本編班がロケ地の伊勢半島で撮影した。撮影所に戻った向山班は、フィルムの一部をT・P(テスト・ピース)として現像して、マスター・ポジを作り、特撮班のカメラのルーペ部分に差し込み、位置を合わせて山のミニチュアとギニョールのゴジラで同タイミングを図って撮影する。その本編と特撮のフィルムをマットアートで間を埋めて合成する----サイズが小さいので、特撮の粒子はどうして荒れてしまう、その両者のトーンをマットアートでなじませるわけだ。移動マスクを作らない分、デュープが少なく仕上がりがよくなる。生合成という職人的な合成の高級テクニックである。
 アニメ合成は、マンガ映画を参考にして、幸隆生、飯塚定雄が放射能火炎を作画し、背ビレが発光するアイデアがこの空前のキャラクターをビジュアルとして完成させた。
 山根博士や尾形、恵美子ら主人公たちは、ゴジラの東京襲撃と共に、画面に現れず、逃げまどい、殺されていく人々がまさに映画の主役に変貌していく。合成シーンが“今なお日本人の上におおいかぶさっている水爆の恐怖”というテーマに直結するサスペンスを高めたことは、特筆されていいと思う。
『ゴジラ』は、昭和29年度の日本映画技術賞特殊技術部門を受賞する。
「この映画に要求されている特殊技術は、極めて大規模であるにも拘らず、綿密な設計と慎重な計算の下に各種の技術を高度に駆使配列し、質量ともに充実した創造的画面を構成し、日本映画における技術の水準を高めるとともにその領域を一段と広げた功績は特に推賞に値する」
 候補4作品、投票の結果、『ゴジラ』17票、棄権1という圧倒的な評価である。

 特撮が本編を支え、本編がより特撮の効果を高める----自由闊達なモンタージュは、本多・円谷演出ならではのもので、この後もいくたの名シーンを東宝撮影の中に生むことになる。『ゴジラ』は、その不滅の出発点ともなる日本特撮の記念碑的な作品なのである。

初出 東宝「ゴジラ40周年記念スペシャルボックス」(「ゴジラ」「怪獣王ゴジラ」カップリングLDBOX)解説書 1991

『ゴジラ99の真実』番外篇

★『ゴジラ』の燃える街並みは外に建てられていた!

 ゴジラの吐く放射能火炎によって、紅蓮の炎に包まれて、燃えあがる東京の街並み。モノクロの映画なのに、紅蓮の赤い炎を見た記憶があって、1990年代、川北紘一特技監督が平成「ゴジラ」シリーズの一編の予告編に、モノクロの『ゴジラ』(54)の炎上シーンをCGでカラーにして、赤い炎の中に立つゴジラをまさに実現させた気持ちも実によくわかるのだ。
 実は、『ゴジラ』の燃えあがる街並みやビル街は、ステージの中に建てられたものではなく、ステージの外に建てられたものだった。『ゴジラ』のオープン撮影のセット数は、東宝特殊美術班の記録によると、28セットで、次回作の『ゴジラの逆襲』(55)のオープンセットの数が10セットと比べても、いかに炎上させるセットを重視したか、わかるだろう。
『ゴジラ』の特撮セットは、5番ステージと6番ステージが多かったが、6番ステージの外の壁をホリゾントに見立てて、エアブラシで薄く雲を描き、その手前に品川の低い街並みが並べて建てられ、ゴジラが横向きに睨みつけるように立ち、その背中のトゲも光らせ、アニメーションの放射能火炎を全身ではじめて見せ、爆発するように点火。燃えあがる炎と照明ライトでしっかりと浮かびあがらせ、オープン撮影が風を巻き、ゴジラ迫真の名シーンを生み出したのだ!


★電車となって、突進する有川貞昌キャメラマン

 ゴジラが品川に上陸して、高圧電線を放射能火炎で溶かし、住宅地へと進んでいく。東海道線が通る八ツ山陸橋へゴジラが進んでいき、東京駅へと進んでいた東海道線の急行電車は何も知らず、八ツ山陸橋に迫っていた。『シン・ゴジラ』(2016)で庵野秀明監督が品川のこの陸橋を出した元になった名シーンだ。
 乗客の運命はどうなるのだろうか?
 人間の見たアオリ視点を強調するため、オープンセットにこの電車が上を通る陸橋と国道の通るもうひとつの八ツ山陸橋(ダブル陸橋)と架けられた架線のセットは作られ、右側からゴジラは何も気づかずに、悠然と進んでいく。すると、急行電車の運転手の目線で、前方の陸橋を越えるあたりにゴジラの巨大な足が入ってきて、慌ててブレーキ・レバーを引く運転手!! この運転手の目線の映像は、特撮班の有川貞昌キャメラマンが撮った映像で、線路の上に車輪をつけた平台を載せ、その上に毛布を敷いて、有川キャメラマンが腹ばいになり、カメラを前に向け、「よしっ、行こう!」と、操演の中代文雄技師に合図を送り、3人がかりで有川キャメラマンに触らぬように台車を押し、何メートルも走り込んでいった映像なのだ。「もう1回、ゴジラ、足をもっと出してーっ!」と、円谷英二の声が響く。このカットは、『ゴジラ』を代表する魅力的な特撮カットのひとつとなった。


★『ハワイ・マレー沖海戦』の血が燃えた船舶ミニチュア

『ゴジラ』(54)は、映画の冒頭、突然、燃えあがって沈没する貨物船“栄光丸”、そして、その遭難した船員を助ける大戸島の漁船、さらに、東京湾でダンス・パーティーを甲板で開いていて、ゴジラが近くの海面に現れて、お客が避難しようとなって、大パニックになる遊覧船の“橘丸”。この橘丸は、実在した遊覧船で、渡辺明特撮美術監督は、正確に実船をリサーチして、ミニチュアの図面を描きあげている(栄光丸は、美術助手の井上泰幸が四面図を引いた)。
 では、船のミニチュアは誰が作りあげたのか? 東宝の大道具には、戦前の『ハワイ・マレー沖海戦』(42)で、真珠湾(パール・ハーバー)のアメリカ軍艦を建造した器用な職人がそのまま戦後も仕事を続けていて、稲垣浩監督の『海賊船』(51)の大型船舶モデルや本多猪四郎監督の『港へ来た男』(52)でも、船(捕鯨船)の前半分を大道具で制作。特に、栄光丸と橘丸は、見事な出来で、映画の前半部のリアリティを守り抜いた。映画のラストで、泡立つ海に翻弄される海上保安庁の船のミニチュアも実際の保安庁の船の映像を前後して編集されても、しっかりとサスペンスを守り抜いていた。東宝大道具も船でいい仕事(グッド・ジョブ)をしていたのだ。


★ゴジラの放射能火炎はどうやって生まれたのか?

『ゴジラ』(54)は、はじめてドラマ・シーンと特撮シーンが極めて複雑に入れ込んで編集され、本編(ドラマ)班の本多猪四郎のスタッフと特撮班の円谷英二のスタッフの協力なくして、実現することは不可能だった。
 のちに、東宝副社長になり、東宝撮影所の企画・製作のプロデューサーを束ねる森岩雄ゼネラル・プロデューサーの提案で、前年の『太平洋の鷲』(53)で採用した、主要カットをイラストにするハリウッド流のピクトリアル・スケッチが使われ、特撮のほうの絵は、渡辺明特撮美術監督の指揮の下に、武蔵野美術大学のアルバイトも加わって、34人で描き起こされた。そのイラストでも、背のトゲが妖しく光りながら、口から霧状の放射能火炎のイメージは描かれていた。
 では、どういう形で撮影されたのか? 円谷特撮研究所で昭和231948)年ころから、有川貞昌と共に撮影に参加していた国分正一キャメラマン、合成担当の幸隆生技師が、アニメ映画のドラゴンの炎を研究(1954年夏の映画館で上映される子供映画会の漫画映画を見続けた、という)、エアブラシで原画を描き、リスマスクを作って合成し、あと、スプレーの霧状の水を上半身だけのギニョール(人形)の口から吐いて(ライトを当てて、水の霧を浮かびあがらせた)、力強い放射能火炎のイメージをビジュアル化していた。


★『ゴジラ』の空前の特撮カット数!

『ゴジラ』(54)は、全カットが888カットで、特撮ミニチュア、マットアート、生合成の実景+ミニチュアの特撮カットは263カットと、約3分の1が特撮シーンと、ここまで本編(人間の芝居部分)のドラマと特撮が入念にモンタ−ジュされた劇場映画は、日本初だった。
 東京の芝浦海岸から品川へ上陸したゴジラは、品川の操車場、田町駅から京浜国道沿いに、札の辻、新橋、松屋の通りを抜けて、銀座、服部時計塔から有楽町の大ガードへ、東京都庁、尾張町交差点から晴海通りへ、永田町の国会議事堂、平河町の日本テレビのTV塔、浅草、隅田川の勝鬨橋と、実景と特撮ミニチュアの中に立つゴジラ、マットアート、合成シーン、燃えあがる街並み(隅田川沿いの浅草や両国の情景は、TVの中のニュースとして、燃える町をクールに描いてみせる)を編集した。本多猪四郎監督と特技の円谷英二との協力システムは、本格的な第1作である『ゴジラ』で、その突破口と方法論を確立しており、その後のカラー映画『空の大怪獣ラドン』(56)、カラーワイド映画『地球防衛軍』(57)、パースペクタ立体音響のステレオ録音となった『モスラ』(61)と、1作ごとに精緻さとグレードをあげて、“名コンビ”と言われるようになっていったのだ。


★ゴジラの眼が時々光って見えるのはなぜ?

『ゴジラ』(54)に現れるゴジラの映像を見ていると、大戸島にはじめて姿を見せて、山根恵美子(河内桃子)に手を伸ばそうとして、恵美子が悲鳴をあげるシーンや夜に上陸した東京アタック・シーンで、人間を見下ろすゴジラの目線がはっきり出ていて、服部時計塔に吠えかかるシーンや暴れる何カットかで、眼がギラリと光るのだ。
 後年の「ゴジラ」シリーズでは、眼の中に電球をしかけ、まさにゴジラの眼が光っているわけだが、実は、『ゴジラ』の初代ゴジラは、眼に電球を仕込んでいたわけではなかった。
 では、なぜ光って見えるのか?
 黒澤明監督の映画でも照明監督をつとめる岸田九一郎照明監督が「ゴジラの全身ではなく、パートライトで、ゴジラの身体が部分、部分、闇の中に見えるわけだが、その眼だけは手持ちのキャッチ・ライトで追いかけて、ゴジラの表情が見えるようにする。夜の東京アタックをするゴジラは、そうやって照明設計するつもりだ」という岸田プランを聞いて、渡辺明特技美術監督は、「これで、この映画は成功する、と確信した。あの眼を追ってくれたキャッチ・ライトがゴジラの表情を出してくれたんだ」と、語っていた。


★新吉少年は、誰のために……そして、尾形秀人は。

 大戸島の沈没した漁船のただひとりの生存者・政治(まさじ、山本廉)は、島へ流れ着いた時、「や、やられただ……」と呟き、失神する。巨大な生き物が海の中にいて、船を海へ引きずり込んだ、というのだ。取材した新聞記者の萩原はとても信じられず、「だから、俺は話すのが嫌だと言ったんだ。誰も信じやしねぇ」と、吐き捨てるように去る政治。その政治と母親は、大戸島に嵐と共に上陸した巨大な何かに家ごと潰されて、亡くなってしまう。
 南海サルベージの尾形は、母親と兄を亡くし、ひとりぼっちになった新吉に同情して、「うちの会社で書生として働きながら、学校へ行かないか?」と誘った。大戸島にはもう悲しい思い出しかない新吉は、尾形を頼り、東京の尾形の家に同居することになった。尾形は、身元の保証人として、山根恭平に学校の書類、その添え書きも頼んだ。

 描かれていないが、尾形は明らかに天涯孤独な境遇で、空襲によって両親が死んだのか、10年前の自分の姿を新吉に見たのではないか。そして、10年前、南海サルベージの船会社の社長が彼の面倒を見てくれたのじゃないか……。「俺が役にたつ順番だ」と思っているのか、語られない尾形の経歴はどうなのだろう。ゴジラの被害に倒れた人々へ寄せる尾形と恵美子の深い同情と共感、ゴジラへの怒り。思えば、家族の誰かを空襲や戦争で失っていた日本人のほとんどの人と同じ、喪失感のある平凡な境涯の若者であった。山根恭平をはっきり描くために用意された主人公であった。

【2014年、徳間書店刊『怪獣博士の白熱講座 ゴジラ99の真実(ホント)』の企画時に書かれた未発表原稿】

東宝・銀座が“モスラ”のリアリティをあげていく!!

 1970年代初までは、宝撮影所や日活撮影所、映撮影所と、京で新作映画を作りけていた撮影所には、座周の商店街とビル街を思わせる町みと信号のある交差点、が走れる道路がオプンステジに常されていて、サラリマン物の主人公がく情景やブラするヒロイン、盗のけつけるパトカやマンホールをあけて、忍び入ろうとするギャングと、わざわざロケに行かずとも、撮影所でじっくりと移動車やクレンを使って(源もビルのや道路の敷石をはずすと、源端末がされていて、自由に照明や撮影キャメラをかすことができた)撮影できるため、繁に使用されていた。

 大作映画である昭和36196130日公の『モスラ』(脚本・関沢新一、督・本多猪四郎、特技督・谷英二)では、進撃するモスラから退避するため、谷地区でが道路を埋め、道を避民が埋め尽くしていて行く夜ンと京タワにモスラが近づいていって、それをみつめる道路にあふれる群と自衛隊員、その中にいる新聞記者の善ちゃん(フランキー堺)と女性者ミチ(香川京子)の主人公たち。モスラの体に変態の最終変化の候がめられ、攻がいったん中止され、皆がみつめる中、きの声をあげるミチ。

「あ、糸を吐いた……

 背後のビルの奥で電線でも切れているのか、折、スパクが光る演出がム点で、常のオプンセットだからやれた照明演出だった。

 繭を作ったモスラが、羽化して飛び出してきたら、甚大な被害が出る。ロリシカ国が提供した原子熱線砲で、が燃えあがり(炎が吹きあがると、一瞬でけ焦げたになるなど、石綿状の素材で時間、燃えけないように、が作られているのがわかる)、人たちは、が燃えて、モスラは死んだ、と安堵する

 翌日、青空のもとで、ふたつに折られた京タワにかかっていた異変が起きる。が内側から割れて、神秘的な光(アニメ合成による光だった)とともに成虫モスラが姿を現し、然とする人々を尻目に、翼を全にして「キュイン、キュイン」と叫び、モスラは翼をらせ、強風き起こしながら、大空へと翔していくのだ。

 まるで、火の活シンで、割れて、光に包まれた成虫モスラが出てくるなど、『モスラ』には、神秘的なイメジが随所で、特撮で演出され、ゴジラやラドンにはない不思なムードを生み出したのだ。

 華麗なカラリングを生かすため、幼虫のは、本当にシンプルな色で、成虫モスラこそ、本当の姿というか。卵から幼虫、、成虫という化もユニクの一で、アメリカでは、ゴジラにつぐ人る日本モンスタであった。ファンタジの香りを放つ昆虫モンスタ、それがモスラの魅力なのだ。

【未発表 2014年】