国産SF映画復興の突破口が 87年公開・製作準備の作品から見えてくるのだろうか?

ホタルの光は生命(いのち)の炎……

デン・フィルムの合成が生むワンダー映像の世界


特撮が物語のテーマと
情感を象徴する『螢川』

 この1月下旬から全国松竹系で公開される映画『螢川』(製作:キネマ東京・日映、原作:宮本輝、監督:須川栄三)の試写を観ることができた。
 11月号で触れたように、この作品はデン・フィルム・エフェクトが合成シーンを担当した作品で、特撮ファン、映画ファン、必見のできとなった。今月は、いろいろな新作情報について触れるわけだが、まずは公開直前であるこの作品から本文に入っていってみよう。
 冬から春、夏にかけての長期にわたる富山のロケーション撮影がまずすばらしい効果を出していて、物語が展開する昭和371962)年の日本の地方街を気持ちよくスクリーンの中に再現----これほど日本の四季を美しくとらえている映画は、久々なのではないだろうか!?
 映画界の大ベテランである姫田真佐久キャメラマンの映像がともかく見事で、合成以前に、この映画は第1級の劇場映画となった。『螢川』の映画化を念願としていた須川監督、姫田キャメラマンだが、劇場映画の風格が作品ににじみ出ていて、観ごたえ満点となったのも、その素材への執念だったのだろう。
 物語は、「春の4月に大雪が降った年は、夏のある夜、川の上流の誰も人のいない場所で、何万もの蛍が空を飛び、狂い咲く」という話があって、いろいろな悲しみや人々の心に触れた14歳の主人公・竜夫と英子がラストに見るものは……という展開である。
 本編の演出意図にこたえる、エモーショナルで、ドラマチックな特撮であり、この作品の特撮ほど、ドラマと四つに組んだ合成は、そうないのではないか。リアルなロケーション撮影と少しも違和感を生まぬ合成シーンのドラマ的な厚みがうれしい。
 左ページがそのラスト・シーンの一部で、飛ぶホタルも奥から手前にかけて、5層に近い奥行きを作っていて、エメラルド・グリーンの光も妖しく、そして美しく、3ヶ月にわたって、マスク・ワークとオプチカルに挑んだデン・フィルムのねばりが画面に結晶化している。
 右下の2枚のマスクを見てもらえればわかるが、これは中央1番下のシーンのマスクで、奥と手前の情景のマスクを変え、奥を飛ぶホタルと手前を飛ぶホタルのマスキングを変えているのだ。5種類近いマスクを併用するのは、ザラで、乱れ飛ぶホタルの動きとムードを生むための8重合成のシーンもあった。
 このホタルのシーンの前に、川を上流にのぼっていくシーンがあるのだが、そこの十朱幸代、殿山泰司、坂詰貴之のセリフがすばらしく、全編の主人公ふたりの描写とあわせて、このホタルのクライマックス・シーンにさまざまな想いをだぶらせ、圧巻の演出となった。
 特撮で見るタイプの映画ではないのだが、特撮が物語のテーマと情感を象徴しているわけで、このタイプのアプローチを日本映画が掌中にして育てていけば、日本の娯楽映画も新しい突破口を見つけられるのではないだろうか。
 あらゆる特撮ファンに見ていただきたい、久々の快作である。
 右ページの写真は、特殊メーキャップ工房の“FUN HOUSE(代表:原口智生)”の最近の仕事で、上の2枚が小林信彦原作、那須博之監督の映画で、現在公開中の『紳士同盟』。
 サギ師である尾藤イサオと三宅裕司の変装を特殊メイクで表現したのだ。尾藤イサオのほうは、目元と口元を除く、顔のすべて(鼻や頬、額も含めて)が1枚のアプライアンスで、ベロッと顎に手をかけて変装をはがすシーンがあるため、テストで何パーツかにわけていたアプライアンスを1枚で作り出した。三宅裕司のほうは、タバコのヤニで真っ黒になった歯と金歯を義歯で表現、写真で見える歯は、すべて実際の歯の上にかぶせた義歯であった。
 地味な特殊メイクだが、「『スパイ大作戦』(67/フジテレビ)のノリでいきたい」という監督の発注で、こういう方向で使われる特殊メイクは、これから日本映画にどんどん増えていくと思う。スプラッタばかりが特殊メイクの道ではないのだ。
 FUN HOUSEは、昭和621987)年3月にクランク・イン予定のディレクターズ・カンパニー、伊丹プロ製作の黒沢清監督のオカルト作品『悪霊(サイキック)』の仕事が決まっていて、原口智生さんの特殊メイクを存分に見ることができる予定だ。この作品は、ある洋館をペンションに改造しようとして訪れた父娘と父親が再婚する予定の女性が、この建物に眠る霊を起こすことになり、巻き起こる怪奇現象……というストーリーで、撮影に『星空のむこうの国』(86/監督:小中和哉)の瓜生敏彦キャメラマン、美術に今月号の7ページで紹介している林海象監督の宇宙人が出るプロモーション・フィルムで、美術を担当していた丸山裕司美術監督のスタッフが決定している。
 手塚眞監督の『妖怪天国』(86)で、日本の怪談風の特殊メイクに挑んだFUN HOUSEが今度は、現代のオカルトにどうチャレンジするのか、期待したい。

実相寺昭雄監督の映像が踊る!
本編が生み出す異空間の興奮
広がっていく未体験ゾーン!!

泉鏡花を全セット撮影
TV『青い沼の女』

 昭和611986)年114日、日本テレビの「火曜サスペンス劇場」の2時間ドラマで、実相寺昭雄監督の『青い沼の女』(原作:泉鏡花、脚本:岸田理生、制作:コダイ)が放映され、TV『怪奇大作戦』(68/TBS)、映画『無常』(70/監督:実相寺昭雄)、映画『(うた)』(72/監督:実相寺昭雄)のころから実相寺作品を追いかけてきたファンを喜ばせた。
 スタッフは、撮影:中堀正夫、美術:池谷仙克、照明:牛場賢二、編集:浦岡敬一、と実相寺組の“コダイ・グループ”勢揃いで、オカルティックな素材をオール・セットのビデオ撮影で作りあげ、並みいる2時間ドラマを圧倒するような、異様な空間を生み出していた。実相寺昭雄監督は、この『青い沼の女』について、こう語ってくれた。
「この作品は、沼もセットでやろう、歩く森も、林もセットでやろう、と美術の池谷(仙克)君が提案してきて、それで、こちらもやる気になったところがある。今度、池谷君と話してるのは、沼とか、林とか、原野と、そういうものを逆に、イメージ的にセットでやって、室内をロケ・セットでやる、といった組み合わせのものをやったらどうだろう!? 開放的なところを逆にセットにして、閉鎖的なところをロケにすれば、全然別種の映画の空間ができるんじゃないか。
 映画というのは、本来、成り立ちが大セット主義みたいなものがある。そういう面は、最近の映画に欠けてるからね。TVなんか特に欠けてる。レンズもかなり詰めているので、いろいろな大きさが表現できなくなっているんだよね。
 今回は、霊媒のところで、ふたつケーブル移動のレールを上に作った。廊下から階段にかけて、Rのついたやつと円形移動。もう少し改良して、これからも移動を組み込んだ撮影をやっていきたい。
 後、今回は、“ET36”というTVのカメラだから(『波の盆』(83/NTV)でも使用したビデオカメラ)、だいぶ映像のディテールがフィルムと違ったものが出せたということはあると思う」
 脚本にはない描写も作品には続出したという。霊媒シーンはその典型だ。
「台本通り、水絵なんていうのもスケッチ・ブックに手で描かずに、ワープロにしたり、霊媒も何かメカから音を聞いたりとしたり、そういうやり口がないと、まるっきり見ている人と接点のない作り物みたいになってしまう。ああいうディテールというのは、『フフフッ』と笑えるおもしろさと同時に、何か味つけになるものなんだね(笑)」
 実相寺監督は、今年中に劇場用のオカルト作品にかかるかもしれないそうで、『怪奇大作戦』のころからのファンとしては、さらにバリバリと新作に取り組んで、ファンを楽しませてほしい。
 実相寺ファンにもうひとつの大ニュース。4月に、東京の国電(現・JR)有楽町駅前のそごうデパート8Fの映像カルチャーホールで、日本映像カルチャー・センター主催で、実相寺監督の映画、TV、CF、バラエティ、PR映画、ドキュメンタリーが2週間連続上映される予定がある。日程はまだ、はっきりしないが、『ぴあ』の自主上映の欄を4月が近づいたら注意して見ていて下さい。
 この119ページにズラッと並べた写真は、自主映画界にこの作品あり、とうたわれる、傑作ファンタジーである8ミリ映画『夢で逢いましょう』(脚本・監督・撮影・編集:植岡喜晴、2時間14分、1984年作品)のスチール写真である。ストーリーは、幻の“うたかたの花”を求めて放浪の旅に出る本町杢太郎、その妹で兄を慕うより子は、兄に捨てられたことから自殺を試みて天国へ。現れるのは、天使のひさうちさん(ひさうちみちお)、天女、観音さん。物語は、天国から地獄、夢の世界、現実を交錯してつなぎ、おかまの悪魔(手塚眞)から宮澤賢治(あがた森魚)、サン=テグジュペリまで登場して、関西弁のイントネーションを基本リズムに摩訶不思議なファンタジー世界が展開していくのである。池袋文芸坐やイメージフォーラムで、年に1回は上映される作品だが、ビデオ化されることが今、一番望まれている作品でもある。『夢みるように眠りたい』(86)を作った林海象監督は、この作品を見て、『映画っておもしろいなぁ!』と、映画作りに乗り出していったそうで、この作品を初めて見た時は、その出来に仰天したという。
 シナリオの構築が交錯するストーリーをよく処理していて、作者の才能を痛感させるが、その植岡喜晴さんが脚本と監督を手がけた、つみきみほ主演のファンタスティック劇場映画が製作進行中で、タイトルがまだ未定なのだが、5月劇場公開される予定である。初の35ミリ映画であり、この植岡喜晴さんの才能が一般映画ファンに知られるのは、まことに喜ばしい。
 現在、詳しくは書けないのだが、荒俣宏の『帝都物語』がついに劇場映画として動き出した。春には製作発表の予定だ。小中和哉、林海象と、新しい才能もその力を出しつつあり、1987年、日本の特撮も長いトンネルの出口の光がようやく見えてきたようである。

初出『月刊 スターログ』19872月号 日本特撮秘史 国産SF映画復興のために SFX GRAPHIC ALBUM 51(連載最終回)


林海象監督デビュー作品 『夢みるように眠りたい』

これより御高覧に入れまするは摩訶不思議なるモノクロ・サイレント最新作


僕らの心に中にある懐かしき
昭和時代再現

月島家令嬢誘拐事件を
私立探偵・魚塚が追う

 岡本喜八監督の最新作『ジャズ大名』を観て、その歌舞伎調の出だし、アメリカの黒人解放の物語を巻頭に持ってきて、日本へ行くまで英語の会話の上に、方言丸出しの日本語のセリフをかぶせて、平然と15分も進んでいくストーリーにびっくりしながら、岡本監督の“自分自身のイメージとリズム、語り方でオレは映画を作っていくぞ”という心意気を感じて、うれしくなってしまった。
 城の中に街道があるというバカバカしさ、城主の妹がソロバンで廊下を走ったり、城の地下牢でジャズの大ジャム・セッション……。
 最近の日本映画に蔓延してしまった、主人公が登場、脇役を紹介しながらストーリーを見せ、クライマックスという定型への配慮など、どこ吹く風、中盤のふくらみ(例えば、ジャム・セッションの真上の街道で、近藤勇と鞍馬天狗の一騎打ちがあって、いつの間にか、ジャズのリズムで剣戟しているというスペクタクル冗談)があれば最高だったが、お上(かみ)が何をやっても庶民は庶民のリズムでいこう、というテーマも含め、思わず興奮して、笑って、感激してしまった。
 デタラメな映画では困るが、僕らは個性的な映画が観たいのだ----そんな想いを感じていた時、1本の映画に出会い、仰天することとなった。この531日から、シネセゾン渋谷で公開中の『夢みるように眠りたい』(製作・脚本・監督:林海象〔はやしかいぞう〕)がその作品で、ぜひこの作品に触れてほしい、と取りあげることにした。
 この映画はモノクロ、人間のセリフはほとんど字幕というニュー・サイレント映画(音楽、効果音は随所に入ります)で、僕らの心の中にある懐かしき昭和時代(昭和初期のようにも、昭和30年代のようにも思える。28歳の監督の少年時代の記憶をオーバーラップしているからなのだろう)の東京を舞台に、月島家の令嬢・桔梗が誘拐され、次々と謎の言葉の手がかりを残して挑戦する犯人“Mパテー商会”を追う魚塚探偵と助手の小林の活躍、頭脳戦を描くミステリアス・ファンタジー作品なのだ。
 16ミリ作品なのだが、モノクロの画面が異様なまでに美しく、謎の手品師、将軍塔とは何か、地球ゴマの謎とは一体……いつしか字幕のセリフ処理も気にならなくなる演出力----なかなかの力作なのだ。

シナリオは10日で執筆
それを変更なしで撮影

 この作品は、シネセゾン渋谷で約1ヶ月間公開され、地方公開の予定もあり、ビクター音楽産業から6月にはVHDで、7月にはビデオ化の予定で進行中なので、ぜひどれかで観てもらいたいものだが、全編モノクロで、登場人物のセリフは90%以上が字幕、という手法を使ったのは、なぜなのだろう。手法は特殊だが、娯楽映画として評価してもらいたい内容で、この作品がデビュー作である28歳の林海象監督に少しインタビューを試みることにしてみよう。
「この映画の企画は、最初、僕とあがた森魚さんと映画を1本ずつ撮ろうという話があって、まず僕のほうからあげようという話で、シナリオをあげたんです。あがたさんとは、以前『イーハトーボーの月光音楽祭』という宮澤賢治の原作で、温めていた映画の企画で一緒にしたことがありまして、それは戸川純の主演の予定だったんですが、企画自体つぶれまして。かなりいい企画だったんですが、それ以来のつき合いです。ただ、あがたさんのほうのシナリオはあがらず、1本だけになったわけです。
 企画としては、ラスト・シーンを追いかける、失われたラスト・シーンを作りたい、という想いがあったんです。僕は幻想文学とか、澁澤龍彦の植物学とか、異常にスキなんです。ただ、そのままやると、かなり趣味性の高い話になってしまうので、そのロジックを娯楽映画の中で表現するにはどうしたらいいだろう、と考えた作品だったんです。ロシアの人形で開けても、開けても、同じ形の人形があったりとか、相対する鏡の中にはいくらでも鏡像があったりとか、メンソレータムのふたには、メンソレータムを持っている女の子がいて、そのフタにはまたメンソレータムを持った子がいて、どこまで続いているんだろう……とか、昔からよく考えていたんです。割とそういう終わらない構造がスキで、メインのストーリーの裏に、もうひとつ底にストーリーを流す、そういう影響が出ている作品なのかもしれません。
 シナリオは、昭和591984)年の10月に約10日間で書きまして、撮ったのもそのシナリオで、一切変えていません。スタッフを集めるにも同じシナリオです。普通は、そういうのはいけないんですが、自分がワガママで、どうしても変えたくなかったんです」

「映画青年の脚本だねぇ」といわれながら
撮影、照明、美術のプロを口説き落とす

 この映画はシナリオ完成時、ひとりのスタッフもいなかった。林監督は、撮影、照明、美術と、プロのスタッフをひとり、ひとり、説得して集める作業に乗り出していくのである。
「集めたスタッフは、まず撮影です。カメラがまずいい人でないとダメですから、目が欲しいと思ったんです。ところが、全然知り合いがいないので、たまたま長田(ながた)勇市キャメラマンがほんの少し会ったことがあって、長田さんに会わせてくれた知り合いに聞いたら、『長田さんは、『TATTOO』をやってる』と。『TATTOO〔刺青〕あり』(82/監督:高橋伴明)は、割とカメラがスキだったので、ともかく読んでもらおう、と思ったんです。そこで、つまらない、と言われたら、多分、プロの世界では成立しない話だと思ったでしょう。
 その場で読んでもらったら、『映画青年のシナリオだねぇ』という話になりまして。で、もし、これをやるとしたら手伝ってもらえますか、と聞いたら、長田さんも僕を傷つけまいとしたのか、『もし、本当にやるのならやりましょう』。『いつ空いてますか?』と、追いうちをかけるように言いましたら、『来年の2月からなら空いてる』という話で、『じゃ、2月からクランク・インするつもりですからヨロシク』と、別れたんです。後は、照明が欲しい。照明は、あがたさんのツテで長田(おさだ)達也さんを連れてきてもらったんです。この3人のチームで年内動きまして、どうしても美術が欲しくなってくるわけですよ」
 そして、映画美術では、『肉体の門』(64/以下、監督:鈴木清順)、『けんかえれじい』(66)、『ツィゴイネルワイゼン』(80)の大ベテラン・木村威夫美術監督に相談を持ちかけ、シナリオを読んでもらい、「やりましょう!」という話になったのだという。
 撮影は、昭和601985)年210日から、26日までの17日間であった。
 この作品の劇中フィルムである無声映画『永遠の謎』は、1度上映したフィルムを、秒24コマで和紙のザラザラしたスクリーンに映写し、それをガムテープ4つの筒の形にくっつけたものをカメラのレンズの前につけ、前のガラスにリップクリームとメンソレータムで周りをボカシ、秒16コマで再撮影して作り出した。システムは、右のページの林監督が描いてくれたイラストを見ればわかろう。
 この手作りにして、プロフェッショナルな映画作り。作品論は、次号でもう1度触れる。このイマジネイティブな快作にぜひ出会って下さい!!

将軍塔の見える花の中で星が舞う
地球ゴマが語る手がかりては?
魚塚探偵の活躍や如何

「一応、絵コンテは全カット作ったのですが、長田キャメラマンによると、これは絵コンテではないそうで、長田キャメラマン、長田照明監督、木村威夫美術監督は、僕の演出意図を汲んで、画面作りをしてくれました」(林監督・談)

初出『月刊 スターログ』19867月号 日本特撮秘史 国産SF映画復興のために SFX GRAPHIC ALBUM 44

ウルトラセブン総論

 真夜中、新宿のビル街を歩いていると、フッと道の彼方から、ヘッドライトを十字(クロス)に光らせて、ウルトラ警備隊のポインターが走ってくるような錯覚に襲われることがある。『ウルトラセブン』……それは、どこかにコンクリートのビルのニオイのする不思議なTVドラマであった。
     ★     ★     ★
『ウルトラセブン』全49話は、一貫して外界からの地球侵略を扱った侵略テーマのSF番組である。
 昭和411966)年1月から『ウルトラQ』を、7月から『ウルトラマン』を放送したTBSの日曜夜700730の時間帯で、昭和421967)年4月からの東映テレビ『キャプテンウルトラ』の後をうけて、昭和421967)年10月から放映された「ウルトラ」シリーズ第3弾(局側にとっては、第4弾だったのだが)であった。
『ウルトラQ』で、SFドラマと怪獣物を、『ウルトラマン』で、スーパーヒーロー対怪獣を描いた円谷プロは、この第3シリーズに、さらに、SF性をアップし、知的な宇宙人同士の戦いと、地球防衛の人類の勇気を描く、新しい方向を導入していった。

『ウルトラQ』から『ウルトラセブン』を整理すれば、以下のようになろう。
1『ウルトラQ』
 SF物+ファンタジー物+怪獣物
2『ウルトラマン』
 SF物+ファンタジー物+怪獣物+巨大ヒーロー物
3『ウルトラセブン』
 SF物+ファンタジー物+怪獣物+巨大ヒーロー物+SF性
 常に前作を包括し、消化、発展する形で、「ウルトラ」シリーズは、制作され続けていた。『ウルトラQ』、『ウルトラマン』の伝統は、『ウルトラセブン』の中でも生き生きと脈づいていたのである。
 宇宙の殺人犯が小型宇宙船で地球に逃げて、殺人を繰り広げる第7話「宇宙囚人303」(監督:鈴木俊継、特殊技術:的場徹)、タバコの中に狂気を誘発する赤い結晶体が入れてあり、人類を自ら絶滅に追い込もうとする第8話「狙われた街」(監督:実相寺昭雄、特殊技術:大木淳)、「水道、ガス、電気、地下鉄など、大都会の動脈を作る工事が、いつもどこかで行われています。昼も夜も。それは私たちが見慣れている風景、だが、安心してはいけません。侵略者は、私たちの心のスキを狙って、何を企むかわからないのです」というナレーションではじまる宇宙人が工事のふりをして、堂々と侵略活動を行う第34話「蒸発都市」(監督:円谷一、特殊技術:高野宏一)など、『ウルトラQ』、『ウルトラマン』に移行することはいくらでも可能だ……設定を離れても物語がいかにしっかりしているか、これだけでもわかるというものである。
『ウルトラセブン』によって、「ウルトラ」シリーズは、また新しい方向の開花に成功したのである。

■セブンのストーリー
 この本では、便宜上、全体を四部にわけたことは、すでに触れた。
『ウルトラセブン』のバラエティなストーリーが、回を重ねるごとに深化、充実していく過程を、十二分に味わってもらいたかったからだ。
 実際、『ウルトラセブン』のストーリーのバラエティさには、驚かされる。
 人間を次々と蒸発させ、捕らえた人間のデータを調べあげ、地球侵略の準備を進めていたが、ウルトラ警備隊が調査に乗り出したため、正攻法の攻撃をしかけはじめるクール星人(第1話『姿なき挑戦者』監督:円谷一、特殊技術:高野宏一)、“地球防衛軍隊員”という一番疑いのかからぬ姿を借り、地球人の全宇宙人化を図る植物宇宙人・ワイアール星人、----その星の人間を自分たちに同化させてしまうという彼らの侵略方法は、侵略というか、イメージとして、とにかく恐ろしい----(第2話『緑の恐怖』監督:野長瀬三摩地、特殊技術:高野宏一)、育てた怪獣・エレキングで、地球を手中にしようとする個人的な侵略を図るふたりのピット星人(第3話『湖のひみつ』同・前)、船舶を消失させ、防衛軍の注意を消失地点に向けさせ、その間に防衛軍基地破壊を狙う凶悪なゴドラ星人(第4話『マックス号応答せよ』監督:満田かずほ、特殊技術:有川貞昌)、人間を操り、防衛軍のレーダーを破壊し、その隙に地球へ侵入するビラ星人(第5話『消された時間』監督:円谷一、特殊技術:高野宏一)、お互いが、生き残るために相手を滅ぼそうとする悲劇のペガッサ人と地球人(第6話『ダーク・ゾーン』監督:満田かずほ、有川貞昌)、宇宙囚人が地球に逃亡してくる第7話、若い生命を求め、“生命カメラ”で若い命を吸い取り、生き残ろうとする滅びゆくワイルド星人(第11話『魔の山へ飛べ』監督:満田かずほ、特殊技術:的場徹)、もはや“侵略”などという言葉では片づけられない、地球を氷河期にしてしまうポール星人(第25話『零下140度の対決』監督:満田かずほ、特殊技術:高野宏一)、宇宙のガン細胞・人類を抹殺しようとするマゼラン星人の工作員・マヤの悲劇(第37話『盗まれたウルトラ・アイ』監督:鈴木俊継、特殊技術:高野宏一)、資源を求め、地球に飛来するバンダ星人の宇宙ステーション(第38話『勇気ある戦い』監督:飯島敏宏、特殊技術:高野宏一)、地球を狙うロボットに支配された戦慄の宇宙編(第43話『第四惑星の悪夢』監督:実相寺昭雄、特殊技術:高野宏一)などなど、よくも考えたというほどのバラエティさである。
 侵略物というのは、TVドラマでも数々あるが、これほど多種多様な宇宙人、テーマを持ち込めたのは、このシリーズのみではなかろうか!
「遊星間侵略戦争に巻き込まれた……」という設定は、見事というべきだろう。あれほど、本格的な地球防衛軍も、この全作品を見終わってみると、なるほど、としか思えないからだ……。
 怪獣、宇宙人とあらゆる題材を扱った『ウルトラマン』に比べ、宇宙人のみになってしまった『ウルトラセブン』は、スタッフの間からも、イメージが狭まるのでは、という危惧の声もあったが、脚本、監督陣の努力によって、『ウルトラマン』とは違う意味で、バラエティさを出すことに成功した。
 何よりも、ストーリーのバラエティさ、それが『ウルトラセブン』の身上であった。多数の脚本家の参加が、ここでも作品に貢献していたのである。

■その傑作編ストーリー
 映画は、第1にストーリー、第2にそのストーリーの流れる中で生まれる登場人物たちによるドラマ、第3にその総体によって描かれるテーマ、第4にそのすべてを描いていくテクニックの、4つが重要である。
『ウルトラセブン』の中で、もしも傑作を選べ、といわれた場合、筆者はかなり長い間考え、そして、以下の3本を選ぶだろう。

8話「狙われた街」(脚本:金城哲夫、監督:実相寺昭雄、特殊技術:大木淳)
42話「ノンマルトの使者」(脚本:金城哲夫、監督:満田かずほ、特殊技術:高野宏一)
45話「円盤が来た」(脚本:川崎高、上原正三、監督:実相寺昭雄、特殊技術:高野宏一)
3本である。
『ウルトラセブン』の設定をフルに使い切り、1本の作品としても高密度で、文句のつけようのない仕上がりを示し、SFの機能のひとつである現代の寓話になりえている点、この3作は、『ウルトラセブン』の中で、異様な衝撃をもって、独立している。この3作なくして、『ウルトラセブン』があのレベルまで到達できたか、筆者には大きな疑問なのである。
 本文の中でも触れてはいるが、あえてこの3作については、再びここで触れてみたい。

8話「狙われた街」
 人間がお互いにルールを作り、それを守り合って、信頼関係の上に社会を作っているのに目をつけて、侵略してくるメトロン星人の話である。
 人類の半分が吸っているタバコの中に、狂気を誘発する赤い結晶体を入れて、それを吸った人間は、周りの人間がすべて敵に見え、殺さんとする効果があらわれるのだ。
 ダンは敵の本拠に乗り込み、メトロン星人を前にしていう。
ダン「君たちの計画は(地球防衛軍によって)すべて暴露された。おとなしく降伏しろ!」
メトロン星人「ハハハハ、我々の実験は充分成功したのだ」
ダン「実験?」
メトロン星人「そうだ。赤い結晶体が人類の頭脳を狂わせるのに充分効力があることがわかったのだ。(気さくに)教えてやろう。我々は、人類が互いにルールを守り、信頼しあって生きていることに目をつけたのだ。地球を壊滅させるのに、暴力を振るう必要はない。人間同士の信頼感をなくすればいい。人間たちは互いに敵視し、傷つけあい、やがて自滅する。どうだ、いい考えだろう」
 そして、円盤はセブンを乗せて飛び立ち、そこから脱出したセブンは、夕焼けの木場の中、メトロン星人と対決する。
(ストップ・モーションのアクション)
 ついに、メトロン星人はアイスラッガー、エメリューム光線で倒されるのだ。
(夕焼けの木場の街に、かぶるナレーションと音楽)
ナレーション「メトロン星人の地球侵略計画は、こうして終わったのです。人間同士の信頼感を利用するとは、恐るべき宇宙人です。でも、ご安心下さい。このお話は、遠い、遠い未来の物語だからです。え、なぜですって? 我々人類は、宇宙人に狙われるほど、お互いを信頼してはいませんから」
(おしまい!)
 オープニングからの実相寺ならではの画面処理。バックにかかる音楽、メトロン星人の侵略の理由のわざとらしさも、セブンとメトロン星人との闘いの略化も、こうなるとすべてラストのナレーションのための伏線であったか、とさえ思えるのである。『ウルトラセブン』の中で、この作品だけが“寓話”と呼べるのではないかと思う(もう1本あげるとすれば『円盤が来た』なのだが……)。
 すべてはラストのナレーションのために用意されたものだったのである。これを“秀作”と呼ばずして、何としよう。金城の脚本の構築、実相寺の演出テクニックが、この作品を傑作たらしめたのだ。

42話「ノンマルトの使者」
(どうかこの項を読む前に、『ノンマルトの使者』のシナリオを読んでいただきたい)
ナレーション「海底、それは我々人類の第二の故郷である。やがて、理想的な海底都市や海底牧場が生まれ、地上よりもすばらしい世界ができあがるだろう」
 進む海洋開発、しかし、ひとりの少年が「海はノンマルトの物だ」と地球防衛軍に連絡してくる……。
 これは、進化上の戦いのように思える。ちょうど猿の次に人類が現れたように、ノンマルトを追って人類が現れたのである。人類以上の知能を持っていたノンマルトは、戦いを嫌って海へ逃げた……あるいは海へと追われた。
 しかし、地上の覇者・人類は、海すらも自分の物にしようとしだした……ノンマルトは種族の生存をかけて、戦うことになったのである。そして、そのノンマルトの使いに立ったのは、ひとりの少年の霊であった……この少年の霊の登場により、人類に立つ瀬はなくなってしまった。反論の余地が許されないのである。
ダン「(内心の声)ノンマルト! 僕の故郷(ふるさと)M78星雲では、地球人のことを“ノンマルト”と呼んでいる。ノンマルトは人間のことだ。だが、確かに少年は、ノンマルトといった。それはどういう意味だろうか。人間ではない、ノンマルトがいる、というのだろうか?」
 このダンの独白ほど、彼が宇宙人であるという特性を駆使した部分はないのではなかろうか。この重く、暗い物語は、このM78星雲人・セブンの言葉に支えられているのである。
     ★     ★     ★
アンヌ「ノンマルトって何なの?」
真市「本当の地球人さ」
アンヌ「地球人??
真市「ずっと、ずっと大昔、人間より前に地球に住んでいたんだ。でも、人間から海に追いやられてしまったのさ。人間は、今では自分たちが地球人だと思っているけど、本当は侵略者なんだ」
アンヌ「人間が地球の侵略者ですって」
真市「……」
アンヌ「まさか……まさか……」
真市「(真剣な表情)本当さ……」
アンヌ「君……ノンマルトなの?」
真市「人間はズルい。いつだって自分勝手なんだ。ノンマルトを海からも追いやろうとするなんて」
アンヌ「真市君は人間なんでしょ。だったら、人間が人間のことを考えるのは当然のことじゃない。海底は私たちにとって、大切な資源なのよ」
真市「でも、ノンマルトには、もっともっと大切なんだ!!
アンヌ「私は人間だから人間の味方よ。真市君もそんなことをいうべきじゃないわ」
 我々は、どうしても人間側に立ってしまうものである、それもやむをえないといえよう。我々は人間である。しかし、もしも、我々の目指すものが真の人間性なら……と、この話は、我々に問いかけてくるのである。「大切な資源」というアンヌの言葉と「もっともっと大切なんだ」という真市の言葉の開きを、アンヌ自身が気がついていない。「海の大好きな子でした。私も海のような広い心を持った男の子に育ってほしいと思って、毎年、ここに連れてきていたんです」、この最後の母親の言葉は、巨大なオモシとなって、アンヌの上に、そして、人類の上におおいかぶさってくるのである。

 この作品のクライマックスは、ダンと真市のシーンである。変身しようと、岩陰に入ったダンは、目の前にいる真市に気づき、場所を必死に変えるが、ピッタリと真市がつき、「ためて、やめて」と絶叫する。
真市「ノンマルトは悪くない! 人間がいけないんだ! ノンマルトは人間より強くないんだ! 攻撃をやめてよ!」
(中略)
 目に涙を浮かべて、ダンと対峙する真市。
ダン「真市君! 僕は戦わなければならないんだ!」
真市「バカヤロー」
 真市、持っていたオカリナを叩きつける。粉々に砕け散るオカリナ! ダン、一瞬ためらうが、真市の目の前で、ウルトラアイを着眼する。
 ここに戦士(ファイター)・セブンの限界がある。
 宇宙の平和を守るために戦い続けてきたウルトラセブンは、ひとつの星の主導権を握るふたつの種族の戦い、という宇宙の運命の前に、自らの宇宙平和の矮小さを思い知らされたのだ。正義、悪、そんなもので片づかない問題であるにもかかわらず、セブンは、またしても戦ってしまった!!
 あるいは、作者(スタッフ)たちは、戦いによって手中にした平和などというものは、本当のすばらしい平和とは決していえないのだ、ということをこの作品において語りたかったのかもしれない。真の平和は、平和の中からこそ生み出されなければならないのだ。この作品は、何とセブン全体に対するアンチ・テーゼだったのだ。
     ★     ★     ★
 そして、運命の部分がくる。人間は、地球を手中にし、万物の霊長と称し、あらゆる動物、植物を利用してきた……それは、人類の使用できる大切な資源なのだ。そして、今、……寓意を込めて、『ウルトラセブン』のスタッフが送るクライマックスは!! グローリア号を破壊したキリヤマ隊長の乗るハイドランジャーは、ノンマルトの海底都市を発見した。
キリヤマ「ノンマルトの海底都市、もし、宇宙人の侵略基地だとしたら、放っておくわけにはいかん。我々人間より先に地球人がいたなんて……いや、そんな」
 やがて、海底都市を粉砕し、キリヤマは叫ぶのだ!
キリヤマ「ウルトラ警備隊全員に告ぐ、ノンマルトの海底都市は完全に粉砕した。我々の勝利だ! 海底も我々人間の物だ!!
 そして、ダンとアンヌは、真市が2年前に、この海で死んだ平凡な海を愛した少年であることを知るのだった……。
     ★     ★     ★
 人類は、進化上の戦いに勝つ。しかし、それはあまりにもニガい勝利であった。ダンとアンヌは絶句し、作品の余韻は救いがたく重いのである。
 この作品を作り出したすべての人々に絶賛の拍手を贈りたい。筆者はこの作品こそ、円谷プロの到達したひとつの頂点だと信じているのだ。
 人類の存在への意義と可能性を視聴者は、自らに問わざるをえないのである。

45話「円盤が来た」
 未来になったって、下町は下町であろう。下町の町工場で働く星好きの気の弱い青年・フクシン君を通して、この作品は、『ウルトラセブン』の世界が、文字通り、人間の、血の通った世界であることを示してくれた。
 地球防衛軍も、ウルトラ警備隊も、この作品では、単なる特殊な職業の人というにしかすぎなくなる。
 星を見ることが好きなだけで、半ばもて遊ばれるように円盤に、宇宙人に、ウルトラ警備隊にかき混ぜられるフクシン君だが、しばらくは皆に期待されて星を見るけど、そのうち皆がこんな事件を忘れてしまって、また、好きな星をたっぷりと見られる、そんな日がきてほしいと、悲しいラストを見ながら、フッとそう思っている自分に気がついた。実相寺昭雄監督の贈る秀作である。
 ほかに佳作となれば、地球が生き残るか、ペガッサが生き残るか、お互いに相手を倒して生き残ろうとする宇宙の悲劇、第6話「ダーク・ゾーン」、若い生命を求め、宇宙をさまよう老いた民族の哀しみ、第11話「魔の山へ飛べ」、核戦略を風刺する、第26話「超兵器R1号」(監督:鈴木俊継、特殊技術:的場徹)、人間に絶望しながらも、自分が地球人であるということを意識せざるをえない主人公の悲しみ、第29話「ひとりぼっちの宇宙人」(監督:満田かずほ、特殊技術:高野宏一)、自らの星の正義を信じ、宇宙のガン細胞・地球人の文明を破壊しにやってくるマゼラン星人・マヤの哀しみ、第37話「盗まれたウルトラ・アイ」、明日の地球の、我々の姿かもしれない人間否定の世界、第43話「第四惑星の悪夢」、そこまでして何ゆえ自らの真実をつらぬき通そうとするのか、セブン最後の戦いを描く、第4849話「史上最大の侵略 前編 後編」(監督:満田かずほ、特殊技術:高野宏一)、娯楽編の第3話「湖のひみつ」、第4話「マックス号応答せよ」、第1415話「ウルトラ警備隊西へ 前編 後編」(監督:満田かずほ、特殊技術:高野宏一)、第25話「零下140度の対決」、第39話、40話「セブン暗殺計画 前編 後編」(監督:飯島敏宏、特殊技術:高野宏一)などなど、『ウルトラセブン』の世界は多彩で、語るべきことは多い。

■地球防衛軍、そして、U(ウルトラ)警備隊
 「1980年代、遊星間の侵略戦争から、地球を防衛するために地球防衛軍が組織された」
 しかし、この地球防衛軍という設定は、ウルトラセブン以上に、この物語のテーマと深く結びついていたのである。
『ウルトラセブン』の要の脚本を担当していた脚本家・金城哲夫は、その第1話のシナリオの余白に“このシリーズのテーマ”と題して、以下のように鉛筆で書き残した。
“『人類の“平和”について良く語られる。“完全平和”それはもし----という仮想故に現実性のないものだが、宇宙人の侵略がもしそのドラマをつらぬくことによってそれ故に地球の平和が乱されるとすれば、仮定の“もし”が現実に与える力がないかしら』”
 地球の完全平和は、夢想だということを金城自身が認めており、地球防衛もの、という設定自体が、その逆説として、宇宙からの侵略でもなければ、おそらく全人類が一致団結なんて不可能なのだ、ということを表していたのである。
 宇宙平和、地球防衛などという前に、人類が、我々自身が、ひとり、ひとりお互いを心の底から信頼、理解しあうことがいかに難しいかをスタッフが明確にわかったうえで、このシリーズは作られていたのである(第8話『狙われた街』や第45話『円盤が来た』などのエピソードが、その成果だ)。
 確かに、地球防衛軍という設定はよくできている。数台の宇宙ステーションで地球を立体的にカバーし、宇宙各所に前進基地を設け、定期的に一週間なりの宇宙パトロールがウルトラホーク2号によって行われる。地球各支部の超遠距離レーダーが大気圏に目を光らせ、ウルトラ警備隊や地球防衛軍のパトロール機が常に空中パトロールを行っている。地上パトロールも、ひんぱんに行われ、地球に侵入する宇宙船を発見し、何の反応もない場合、ウルトラホークの攻撃の時もあるが、宇宙ステーションに近い場合は、ステーションの宇宙パトロール隊が攻撃する……これほど、全地球防衛機構を、密にTVで描いて見せたのは、世界のSFテレビまで含めてこの番組のみであろう。民間人からの通報、街の各所に設置された警報器など、よくもここまでやったという気にすらなる。しかし、それもシリーズのテーマ、物語のテーマがあってこそである。設定は、あくまでも設定にしかすぎない。『ウルトラセブン』は、かなりうまく設定を使い切った……といっていいのではないだろうか。
     ★     ★     ★
 ウルトラ警備隊……地球防衛軍極東基地300名の隊員の中から、選び抜かれたエキスパート5名の特別部隊である。
 地球防衛軍の命令系統の中でも、長官、参謀に直結する遊撃パトロール隊の形をなしており、変化する侵略者たちの攻撃に臨機応変に対応できる精鋭部隊の性格を色濃く持っている。
 地球防衛軍という枠の中からはみ出しているイメージがあり、それがこのウルトラ警備隊の行動を、かなり自由に作品の中でいかしていた。
 深い信頼と友情で結びつく6名、それは、第28話「700キロを突っ走れ!」(監督:満田かずほ、特殊技術:高野宏一)の最後のダンの独白にすべて語られている。
「ウルトラ警備隊の任務は厳しい。大きな勇気とたゆまぬ努力が必要だ。アマギ隊員も立派に任務を遂行した。これからも恐ろしい敵は、次々と現れるだろう。だが、我々がウルトラ警備隊魂を持ち続ける限り、地球の平和は守られるに違いない」
 これは、次章で触れるセブンの地球人の顔・ダンの確信として語られている。
 物語の中で、ダンは心の底から仲間たちと結びついている。それが、このシリーズを最終回において、盛りあげる最大の原因となるのである。

■セブンとダンのふたつの顔
 恒点観測のため、太陽系を訪れていたM78星雲人340号は、度重なる侵略者に苦しむ地球人の姿を見て、この美しい星を守ろうと、地球にとどまることを決意した。
 かくして、地球人の姿になった彼は、やがて、モロボシ・ダンと名乗り、ウルトラ警備隊に入隊する。
 この次郎の姿を写しとった時、M78星雲人に、ふたつの魂と姿ができた。M78星雲人、ウルトラセブンの姿と、地球人・モロボシ・ダンの姿である。
 ダンが、“ウルトラ警備隊7人目”という意味の“ウルトラセブン”と、微妙な形で異なっているのは、このシリーズの不思議な魅力であった。
 マックス号を見て呟くダン、「さすがは地球防衛軍の誇る新造原子力船だ。カッコいいなぁ。僕も一度は乗ってみたかったんですよ」、ダーク・ゾーンに怯えるアンヌにいうセリフ「(おでこをチョンとついて)弱虫さん」、第5話「消された時間」の宮部博士を見ていうセリフ、「29歳、博士号を5つも持ってんだってさ」、第11話「魔の山へ飛べ」で、ソガが13日の金曜日に不吉なものを感じる、というので笑うシーン、第24話「北へ還れ!」(監督:満田かずほ、特殊技術:高野宏一)で、フルハシを連れ戻しにきた、と母親にいわれ、「え、フルハシ隊員が警備隊を辞めるんですかぁ(は、そうしたいと思いまして)そ、そんなぁ……」という部分、セブン自身の感情というよりは、モロボシ・ダンという、別の人格の反応と見たほうが、より理解できる。
 ウルトラセブンは、地球に滞在中、モロボシ・ダンという、次郎をベースにした別の人格を心に持ったのである。
 そして、それはほとんどのエピソードにおいて、何の問題もなかった。ダン自身が第1415話「ウルトラ警備隊西へ」の中で語ったように『我々地球防衛軍の本当の目的は宇宙全体』の平和だったからだ。
 しかし、すぐペダン星人が「そう考えているのは、ウルトラセブン、あなただけだよ」と、切り返したように、ウルトラセブンはいくたびか、宇宙平和を優先する自分と、まず地球の平和を優先させてから宇宙の平和を考える地球人との大きなギャップに挟まれるという苦境に立たされる……。
 自分が生き残るか、相手が生き残るか、という場合、相手を亡ぼしても自らを守ろうとする悲劇……果たして、知的生命体は、理性で自分を律することができるのだろうか、というスタッフのうめき声を聞いたような気がする……。
 第6話「ダーク・ゾーン」、この話では、ウルトラセブンならば、この最悪の事態を何とか回避させえたのではないか、という悔恨が残る(と同時に、それをわかったうえで、あえてやった作者たちの考えは、何のためにこの作品を作ったのか、もはや明瞭というべきだろう!)。
 地球を守るために戦ってきたセブンにとって、地球人の裏切りともいうべき、兵器開発に地球人が乗り出してしまう第26話「超兵器R1号」では、地球人の心を持つゆえに、この暴挙を阻止できなかった----この回の「僕は絶対にR1号の実験を妨害すべきだった。本当に地球を愛していたのなら……地球防衛という目的のために、それができたのは僕だけだった」という悔恨のセブン自身が自分に叩きつけるように投げかける言葉!----セブンの人間的な弱さが悲しい。
 第37話「盗まれたウルトラ・アイ」でも、少女のいう「こんな狂った星を!? 見てごらんなさい、こんな星、侵略する価値があると思って」という呟きをおそらくある面で、セブンも納得できるだろうというあたり、自分の星に見捨てられ、セブンのやさしさに、ウルトラ・アイを返しながらも死を選んだ少女の哀しさを、ただひとり、他人の星にいるセブンだけが知りえるだろう……という彼の悲しさ……ウルトラセブンの悲劇性、満身創痍で戦い続ける戦士・セブンの悲しい限界がここにある。

 しかし、一方、セブンがダンの姿の時、地球人から受ける友情、信頼、それが『ウルトラセブン』の、そして、セブンが地球に賭けたすばらしい可能性であった。
 第11話「魔の山へ飛べ」で、フィルムの中から救出されて、ダンがアマギ隊員に礼をいう。
「(通信機で)。こちらダン。お陰で命を取りとめることができました。アマギ隊員、まさに命の恩人です。ありがとう」
 アマギ隊員、うれしそうに感無量でうなづく。
 このアマギ隊員へのダンのセリフが実に真情がこもっていて、セブンとダンの魂の底から出た、という響きがあっていい。
 セブンがただの人間と同じなのだという、こういう感覚が『ウルトラセブン』全体の骨格となって、作品を支えたのである。

■そして、最終回
 金城哲夫は、『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』、『戦え!マイティジャック』(68/フジテレビ)の最終回をすべて担当し、それぞれの作品のテーマを結晶化ともいうべきテクニックで描いてみせた。
『ウルトラセブン』においても、その最終回「史上最大の侵略 前編 後編」は、今までの設定、テーマ、テクニックの総決算をなし、ここに『ウルトラセブン』の世界は完結する!

(読者諸兄、どうか最終回の誌上VTR----完全再録を見てから、ここに戻ってきてほしい。最終回については、それから触れてみたいのだ)
 この最終回、いかにしっかり話が作ってあるかをわかってもらうため、完全に再録してしまった。無駄なセリフ、シーン、動きがほとんどない、といってもいいくらいで、オープニングのソガのダンへのセリフや、アンヌのダンを心配する様子、少年の部屋、二子山スライドのため、出られぬウルトラホークのところ、アマギを助けようとするソガのクラタへの食いつき、隊長やアマギを助けるため、してはならない変身を二度もしてしまうクライマックス、アンヌとダンの別れなどなど、これほどこまやかに作られている話は、さすがの『セブン』でも少ないのではあるまいか。
 ダン(セブン)がミスをしなければ、ゴース星人はあそこまで地球侵略が可能か……という感もあり、まさに見事という感じがする。そして、未来の夢を見る秋夫少年を見たからこそ、その少年を、その少年の夢を守るため、セブンは戦わざるをえなかったのだ。
 また、アンヌとダンのラストの会話部分は、何といえばよいのか。ダンが宇宙人・ウルトラセブンと知らせた時、アンヌは驚きながら、その動揺を決して外に出さなかった……アンヌにとっても----そして、この作品のテーマにとっても----そんなことは、どうでもよかったのだ、ダンはあくまでダンではないか!(ここで、テーマのすべてをアンヌが背負って立つことになる。ダンは、ここで少しアンヌに負けてしまうわけだ)
 アンヌは、心のつながり、----いわゆる、愛----ゆえに、それができたわけだが、そのアンヌも、その愛ゆえに、ダンが戦うためにいってしまう時、叫ばざるをえなかた。
「待って、ダン! いかないで!」
 この時、ダンのセリフに込められる万感の想いは、とてもいい尽くせない。
「アマギ隊員がピンチなんだよ!」
 たったひとつの命、取り返しのつかない命、しかも、自分だけが助けられる命、自分のために消えようとしている命、そして、友人、同僚、仲間……それを、すべてを一瞬の元に消し去らんとしているゴース星人、怒り……セブンは、いかねばならなかったのだ。たとえ、自らの命が押し潰されようと……。

 この物語を見ていて感激するのは、アンヌが、セブンの正体がダンだと話した後、キリヤマ隊長がセブンを見あげて「ダン!」と叫ぶシーンだ。
 ウルトラセブン、謎の超人、宇宙平和を守るため、地球を守ろうと戦い続けてくれた正義の使者----それは、ダンだったのだ! キリヤマ、フルハシ、アマギ、ソガ、アンヌ、クラタは、それ以降、ウルトラセブンのことを、“ダン”としかいわない……もう謎の超人ではない……彼らと、笑い、泣き、怒り、生活したダンがセブンの正体(!)だったのだ。
 ここにおいて、超人・ウルトラセブンは、血と肉でできた存在になる。
 本当の意味で、仲間になったのである。

『ウルトラセブン』とは、こういう物語であった。
 人間と人間のつながりを、M78星雲人・セブンとダンの姿を借りて、描いたドラマであった。

 最後の朝焼けをバックに立ちあがるセブン、それは本当の心のつながりを得たセブンの、そして、人類の、明日にかける希望の夜明けなのかもしれない……。

初出 朝日ソノラマ・ファンタスティックコレクションNo.11ウルトラセブン フィルム・ストーリー・ブック SFヒーローのすばらしき世界』(監修/円谷プロダクション) 昭和541979)年1月刊行】
*満田監督の名前は、正しくは禾に斉。
  

裏話『ウルトラ7(セブン)』

1 プロジェクト・エフェクト

 特撮に頼らず、おもしろい映画効果が出せないものか、本編側の監督も、いろいろと考え、撮影に取り組んだ。
 野長瀬三摩地監督組の第19話「プロジェクト・ブルー」(特殊技術:的場徹)の鏡の中にセブンが入り、追いかけて入ろうとしたアンヌが鏡にぶつかる、というシーンで、おもしろい方法が使われ、画面効果をあげていた。大きな写真バックを使い、ガラスを立て、あちら側にアンヌ隊員をおき、こちら側を吹き替えにして、両方近づかせて、ぶつかるところだけ本物の鏡にした、というもので、あちら側にセブンもいるので、異様な画面感覚に仕上がっている。はじめてセブンが鏡に入るシーンでは、水を使って、手が鏡の中に入っていく、という効果をあげた。監督のイメージとしては、フランス映画の『オルフェ』(50/監督:ジャン・コクトー)があった、ということである。

2 応募の怪獣

 第41話「水中からの挑戦」(監督:満田かずほ、特殊技術:高野宏一)に出てくる怪獣“テペト”、第42話「ノンマルトの使者」(前同)に出てくる怪獣“ガイロス”は、円谷英二特技監督や美術監督の成田亨らが審査員にとなって募集した宇宙人デザイン・コンテストの入選作であった。
 デザインのアイデアがなかったのではなく、作品の人気を高めるための視聴者参加の役割を持つコンテストだったが、約3万人、10万点の応募作を集め、充分その役割を果たした、といえるであろう。

3 700キロを突っ走れ!」

 第28話「700キロを突っ走れ!」(監督:満田かずほ、特殊技術:高野宏一)に登場する高性能爆薬“スパイナー”は、『帰ってきたウルトラマン』(71/TBS)の第5話「二大怪獣東京を襲撃」(監督:富田義治、特殊技術:高野宏一)でも、シリーズを飛び越えて使用された。“ツインテール”、“グドン”を倒すためで、東京都民を避難させるが、ウルトラマンとMATの活躍で、使用されずに怪獣を倒すことができた。
『ウルトラQ』(66/TBS)の怪獣ロボット“ガラモン”の電子頭脳をおおっている“チルソナイト”も、この『ウルトラセブン』(67/TBS)の第2話「緑の恐怖」(監督:野長瀬三摩地、特殊技術:高野宏一)で、“チルソナイト808”と名前を変えて登場した。
 この隠れた遊びに気づいたウルトラファンは大喜び……。

4 スーパーロボットの秘密

 第1415話「ウルトラ警備隊西へ」(監督:満田かずほ、特殊技術:高野宏一)に出てくるスーパーロボット“キングジョー”は、当初のアイデアでは、たくさんの部分品が蜂の大群のように襲ってきて、何が何だかわからいうちに、最後に合体して、巨大な一体のロボットになる、というものであった。しかし、実際にミニチュアでこれをリアルに撮影するのは困難であり、検討を重ねた結果、画面で見るような四体の合体ロボットとして、作品に登場した。
 これは、当然の話だけれど、合体するミニチュアと、キングジョーはまるっきり別物であり、使いわけによって、効果をあげていた。不気味な機械音が、このスーパーロボットの魅力だ。

5 英語版『ウルトラセブン』

 ハワイで放送された英語版は、なかなかの名訳だった。最終日は以下のような具合。
DAN
 I have to go home soon, ANNE.
 If you see a shooting star in the west
  at the dawn, it’s me heading home far, far away.
  Goodbye ANNE. 
ANNE
 Wait, DAN! Don’t go!
 外国向けのレコードも出てたりして、セブン国際化の日も近い。

6 ダンの透視力

 モロボシ・ダンには、物を透視することができる超能力が備わっている。
 当初、野長瀬監督の制作第2話「緑の恐怖」では、目全体が白く発光する方法がとられたが、円谷英二、一監督たちの意見で、気味が悪いので、ほかの表現をすることになり、以降、透視力のシーンでは、目の中に光が十字に光る表現を用いた。少しでも、楽しく、おもしろく、気持ちがいい作品を。それが『ウルトラセブン』の制作姿勢であった。

7 主題歌物語

『ウルトラセブン』の第1話をはじめて見た時の興奮は、いまだに憶えている。第1話「姿なき挑戦者」(監督:円谷一、特殊技術:高野宏一)という題名、ドラマチックなオープニングの曲にのって、画面に現れる地球防衛軍マークの上の監修 円谷英二……のってるな! と思わず感じた程であった。
 さて、この東京一(円谷一監督のペン・ネーム)作詞、冬木透作曲の主題歌だが、実はこの歌が作られる前に同じ作詞、作曲のスタッフで、別の主題歌が作られていた----それも譜面だけでなく、ちゃんと演奏、録音されていたのだ。
 ホルンを多用したブラス演奏風の軽快な曲で、完成度の高い作品である。ただ、あまりに軽快すぎたため、セブンのイメージにあわない、とクレームがつき、NGになったのである。しかし、作品中、第4話「マックス号応答せよ」(監督:満田かずほ、特殊技術:有川貞昌)や第36話「必殺の0.1秒」(監督:野長瀬三摩地、特殊技術:高野宏一)の星人とセブンの闘いの場面で使用され、画面効果を高めていた。
『セブン』の主題歌・BGM作曲の冬木透氏は、昭和101935)年313日、満州に生まれた。国立音大作曲科を卒業し、高田三郎、市場幸介両氏に師事した。オルガン曲『黙示録による5つのモテット』などを作曲するかたわら、『ウルトラセブン』、『ウルトラマンレオ』(74/TBS)などの音楽を担当していた。現在、桐朋学園大、桐朋女子校の講師である。
 実相寺作品や最終回で多用されるクラシック風の音楽も実はある部分はまぎれもなく氏のオリジナル作品だった、という----
『ウルトラセブン』の主題歌、ウルトラ警備隊の歌、戦いのマーチなどのBGM、冬木音楽抜きで、『ウルトラセブン』を語ることはできないのではないだろうか。

初出 朝日ソノラマ・ファンタスティックコレクションNo.11ウルトラセブン フィルム・ストーリー・ブック SFヒーローのすばらしき世界』(監修/円谷プロダクション) 昭和541979)年1月刊行】
*満田監督の名前は、正しくは禾に斉。

ウルトラセブンの世界

『ウルトラセブン』は、昭和421967)年10月から、昭和431968)年9月まで、1年間にわたって、円谷プロが製作した特撮SFテレビドラマである。
 この作品は、それまで『ウルトラQ』(66/TBS)、『ウルトラマン』(66/TBS)と続いた「ウルトラ」シリーズの3作目にあたり、それまでの作品にはなかった、新しい要素を取り入れたものとなっている。
 1980年代、うち続く宇宙からの侵略に対し、人類は、“地球防衛軍”を結成した。世界各地に支部があり、中でも日本の極東基地は、最高の軍事施設を誇る基地として知れわたっていた。“ウルトラ警備隊”とは、その極東基地の精鋭によって作られた特別部隊で、その警備隊のひとり、“モロボシ・ダン(諸星弾)”の本来の姿は、“ウルトラセブン”で、M78星雲人である。
 彼は、恒点観測のために太陽系を訪れ、侵略にさらされていた美しい星・地球を見て、守るために、とどまる決心をしたのだった。彼は、地球人に姿を変え、モロボシ・ダンと名乗り、ウルトラ警備隊に入隊していたのだ。彼は、地球防衛軍の手にあまる事件が起きるや、ウルトラセブンとなって、敢然とインベーダーに立ち向かうのだ!

『ウルトラセブン』とは、こういう物語である。毎回原則として、読み切りの形をとり、一回に一宇宙人の侵略を扱っている。SF的なストーリーとともに、その宇宙人の形態、能力、乗り物の宇宙船、侵略の仕方のバラエティさは、『ウルトラセブン』の大きな魅力であった。つまり、最高水準の特撮を駆使した視覚効果、練りに練ったストーリー、このふたつが『ウルトラセブン』を支えた大きな柱であり、魅力だったのである。

 この一冊は、その『ウルトラセブン』をストーリー面から再構成し、その全貌を掴んでもらう意図をもって作られた。
 便宜上、全49話を、この本では四部にわけて、構成してある。

1
1話「姿なき挑戦者」〜第15話「ウルトラ警備隊西へ 後編」
『セブン』のストーリーのパターンは、ほとんどこの初期の作品に出尽くしている。人間たちを誘拐し、調査する宇宙人、海獣を連れて、地球を侵略しに宇宙人、正統派の凶悪な侵略宇宙人、侵略意志がないにもかかわらず、地球人と対立してしまう宇宙人、地球が逆に相手を侵略してしまうようなパターンなどなど……。
 基本設定編、といってもよく、『ウルトラセブン』の骨格は、ここで作られた。

2
16話「闇に光る目」〜第25話「零下140度の対決」
 展開編に入り、第1部の基本設定を活用して、ストーリーにバリエーションを加えている。正体不明の地底ロボットを交えて語られるセブン誕生の秘密(第17話『地底 GO!GO!GO!』監督:円谷一、特殊技術:大木淳)、疑似空間で人間を捕獲するベル星人(第18話『空間X脱出』同・前)、地球の核を形成する物質を狙うシャプレー星人(第20話『地震源Xを倒せ』監督:野長瀬三摩地、特殊技術:的場徹)、超能力者を交えたことで、俄然おもしろくなった(第23話「明日を捜せ」同・前)、まるで、遊びにきたような無敵のポール星人(第25話『零下140度の対決』監督:満田かずほ、特殊技術:高野宏一)などなど、『セブン』が多種多様な話に思えるのは、この展開以降のためである。

3
26話「超兵器R1号」〜第36話「必殺の0.1秒」
 展開編がさらに進み、ストーリーのバリエーションばかりでなく、キャラクターを中核においた作品が多くなってくる。
 ダンが宇宙人の視点を持つことを明確に印象づけた、第26話「超兵器R1号」(監督:鈴木俊継、特殊技術:的場徹)、アマギ隊員物語の第28話「700キロを突っ走れ!」(監督:満田かずほ、特殊技術:高野宏一)と第31話「悪魔の住む花」(監督:鈴木俊継、特殊技術:的場徹)、ソガが活躍する「必殺の0.1秒」(監督:野長瀬三摩地、特殊秘術:的場徹)、孤独な青年の物語、第29話「ひとりぼっちの宇宙人」(監督:満田かずほ、特殊技術:高野宏一)などなど、登場人物に深みが加わるとともに、次の第4期への布石ができあがる。

4
37話「盗まれたウルトラ・アイ」〜第49話「史上最大の侵略 後編」
 いろいろな意味で、『ウルトラセブン』の物語世界が完成しようとしている時期。123部のすべての要素がここで結実し、“ウルトラ・アイ”を盗む、というお決まりのパターンでありながら、キャラクター、テーマにおいて結晶化ともいうべき力量を見せた、第37話「盗まれたウルトラ・アイ」(監督:鈴木俊継、高野宏一)、正攻法中の正攻法、第3940話「セブン暗殺計画 前編 後編」(監督:飯島敏宏、特殊技術:高野宏一)、第4849話「史上最大の侵略 前編 後編」(監督:満田かずほ、特殊技術:高野宏一)、傑作佳作の続出した3週間、第42話「ノンマルトの使者」(監督:満田かずほ、特殊技術:高野宏一)、第43話「第四惑星の悪夢」(監督:実相寺昭雄、特殊技術:高野宏一)、第45話「円盤が来た」(同・前)。疲れか、凡作も何本かあるが、ここにあらゆる意味で、『ウルトラセブン』は完成する。

 一本、一本のストーリーを重視しつつ、全体をひとつの話として、『ウルトラセブン』とは、どのような世界であったかが、どのように盛りあがっていったか、それを考えてみたくて、このような構成をとってみた。
 もちろん、この世界を彩る地球防衛軍やウルトラ警備隊、宇宙人、特撮シーンにも誌面はさいてあり、この構成も各部から12本ずつカラーで、誌上VTRを行い、各部の特徴が明確にわかるようにしてある。

 本書を見ていただければわかるが、『ウルトラセブン』は、多数のスタッフの参加が、テーマの深化にまで成功した希有の一例である。
 全体像としての『ウルトラセブン』を理解していただければ幸いである。

初出 朝日ソノラマ・ファンタスティックコレクションNo.11ウルトラセブン フィルム・ストーリー・ブック SFヒーローのすばらしき世界』(監修/円谷プロダクション) 昭和541979)年1月刊行】
*満田監督の名前は、正しくは禾に斉。