『池田憲章の怪獣おたっしゃ俱楽部』 第22回

今、夢からさめる宇宙人!! 楽しや、林海象のプロモ映像


 この連載でも扱ったことがある『夢みるように眠りたい』(86)を作った林海象監督が、特撮を使ったプロモーション・フィルムを撮影するので、取材がてら遊びにきませんか……と、『夢みるように眠りたい』と『星空のむこうの国』(86/監督:小中和哉)のプロデューサーである一瀬隆重さんから電話でお誘いがあった。
 ヴェネチア映画祭やニューヨーク映画祭と、『夢みる----』を持って、精力的に出席していた林監督のお話も聞きたかったし、ふたつ返事でいくことを決めた。
 そんなわけで、10月末日、東京の調布にある日活撮影所にやってきたのである。
 入り口で聞くと、林監督の組は、奥のほうにある11番ステージで撮影している、という。
 ブラブラ歩いていると、どこの撮影所でも同じだが、大道具が道の両脇に立てかけられ、木工の美術スタッフがどこかのセットらしい材木を削りだしている。映画というのは、本当に大工仕事のようなものだ。
 フッと見ると、隣の10番ステージでは、日本とアメリカの合作ビデオ特撮のTVシリーズ『PHOTON』の撮影をやっていた。
 強大なエネルギーを持つ“フォトン・ストーン”を巡り、宇宙をまたにかけて、正義と悪の戦士が戦うストーリーなのだが、実は、このシリーズ、最初のシノプシス作りで参加していたこともあって、もう20話以上を撮影したという話にビックリ。いや〜、世間というのは狭いモンデス。
 11番ステージ----脇のスタッフ用の扉からステージに入ると、高い天井の下、200坪近いステージの中央に、管制センターのようなセットが作られている。
 一瀬プロデューサーと林監督にあいさつをして、今回のプロモーション・フィルムのあらましを聞いた。
‘85年のCBSソニー・オーディションで、優秀賞を受賞し、CBSソニーから’8721日にファースト・アルバム『Timeless Garden』でデビューするロック・グループ“千年COMETS”(リード・ボーカル・高鍋千年〔ちとし〕)のプロモーション・フィルムで、デビュー・アルバムの一曲『Lonely Dancer』を中に織り込み、コンサートで上映、あるいは、プロモーションでTVに流したりと、そういう形で使われるフィルムという。
 構成と演出、編集が林海象監督で、“誕生”のイメージで、ある惑星に何百年も放置されている管制センター……ホコリがうず高く積もるその中には、もう化石となった象のような顔と皮フを持つ宇宙人の姿があった。
 電子双眼鏡(エレクトロ・アイ)を手に、管制パネルの前にうずくまっている、何かを待ち続けていたのか。
 雷鳴がなり、閃光がひらめく中、宇宙人の体に異変が起こる……長い眠りから覚める日がついに! 手が震えるように動き出し、双眼鏡が目にささり、体から蒸気が噴き出す。
 背中が割れ、羊水の中からメタモルフォーゼして、誕生する新しい生命----それが高鍋千年……噴きあがる水流の中、宇宙人の背から孵化するその姿……という内容である。
 撮影は、滝田洋二郎監督と長年コンビを組み、『歌姫魔界へ行く』(80/監督:長嶺高文)など、特撮も得意の志賀葉一キャメラマン、照明は、『ロケーション』(84/監督:森崎東)、『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(85/監督:森崎東)、そして、『夢みるように眠りたい』の長田達也照明監督、美術は、来年春にクランク・インする予定の『悪霊(サイキック)』という黒沢清監督の新作で、オカルトと悪霊の悪夢を存分に見せてくれるはずの丸山裕司美術監督と、劇場映画なみのスタッフである。
 象のような不気味な顔の宇宙人は、『ウルトラマンタロウ』(73/TBS)や『ウルトラマンレオ』(74/TBS)の合成作画、『ザ☆ウルトラマン』(79/TBS)の怪獣デザインを担当していたデザイナーの鯨井実さんが特殊造型。元FUN HOUSEのメンバーだった市川英典さんや岡部純也さんなど、ガラパゴスの若手特殊造型のメンバーが手伝いをして、FRPとラテックス型の2メートル近い迫力のある造型となった。
 背中から噴き出す蒸気は、フレオン・ガス。双眼鏡の顔に刺さる神経端末は、形状記憶合金で作ってあって、電流を流すと熱で、形が戻ってウネウネと動くという凝りようだ。
 朝9時から始まった撮影は、何と翌朝の9時まで、24時間ぶっ通しである。いくつかの休憩は挟むものの、食事が3回あっただけで、エネルギッシュに準備とリハーサル、撮影が続いていく。
「いや〜っ、実写の人はタフですねぇ!」
 一緒に撮影を見にいったスタジオ・ぱっくのわたなべぢゅんいちさんもビックリしていた。『戦え!!イクサー1』(85)のモンスター・デザインをやったわたなべさんは、怪獣・特殊メイクのファンで、アニメと違う撮影がおもしろかったらしく、最後まで一晩中つきあって撮影を見ていた。
 割れた背から生まれるシーンは、深い水の中から生まれてくるイメージで、実は、前日、プールの上に橋げたを組み、水面の上に宇宙人の割れた背を固定し、高鍋さんを3メートル潜らせ、水中から浮かびあがってくる彼を背の割れ目越しに上からカメラで撮影する、という方法をとった。
「これが、うまくいかずに、高鍋くんが出口に出れずに、ゴチンとまわりにぶつかってしまうんだ。浮かぶうちに動くんだね、体が」
 こういう林監督のイメージは、実にイマジネイティブでおもしろい。
 最後の撮影カットは、背の割れ目を上から下に向けて固定し、割れ目にビニールをはり、そこに水を貯め、高鍋さんの顔を水に漬かせて、歌いながら顔でビニールを破る。それを下から真上にカメラを向け、前にガラス板を置いて落ちる水を防ぎ、撮影するというカットで、カッパを着けた監督、キャメラマンがガラスの下で見あげ、背の羊水を突き破るというすさまじい映像に挑んだ。
 最終カットが終わって、巻き起こった拍手の気持ちがとても快かった。頭にゼラチンを塗り、生まれたばかりのイメージで何時間も耐え、水濡れになった高鍋さんの熱演も忘れられない。結局、昼の1時から翌朝の9時まで、撮影におつき合いさせてもらったわけだ。
 モノクロ、35ミリで撮影され、仕上がりは3分間。光と影が生み出すモノクロ映像の魅力は、完成フィルムを見たが、林監督らしい夢幻的で、新しい世界を生み出していた。
 この作品は’8712日〜15日、東京の池袋文芸坐ル・ピリエで、再公開される『夢みるように眠りたい』と併映される。ぜひ、このパワフルな映像に出会ってみて下サイ!

初出 角川書店『月刊ニュータイプ』 昭和621987)年1月号】




『池田憲章の怪獣おたっしゃ俱楽部』第20回

8ミリでも本格映画の香り『夢で逢いましょう』の感激!!


 ウディ・アレン監督の『カイロの紫のバラ』を友人が見てきて、実にうれしそうにそのおもしろさを話してくれた。
 もう5回も同じ映画『カイロの紫のバラ』を見にきているウェイトレスのセシリア(ミア・ファロー)。すると、スクリーンの中の映画の主人公・トム(ジェフ・ダニエルズ)が突然、彼女のほうを向いて、「君、5回目だね」と語りかけた。トムは、スクリーンから外へ出てきてしまい、セシリアを誘ってデートに出かけてしまう。上映している映画のストーリーは、主役がいなくなったので、進行が止まり、共演者はスクリーンの中、ヒマを持て余し、ウロウロ、巻き起こる珍騒動……というファンタスティックな大人のおとぎ話で、「スクリーンの中から彼女のほうを向いて、語りかけるところがすごいんです」と語る友人は、才人・アレンならではの映画の虚構性と映像の持つリアル感を使い切るシャレッ気に圧倒され、堪能した様子だった。
 同じ物語を小説で読んでも、マンガで見ても、あまり感心しないのではないだろうか。
 物語の設定がとても映画的なわけで、映画だからこそ生める物語世界が、生まれているのだ----人間のイメージに映画が密着して存在しているのがよくわかるだろう。
 その友人の話を聞いて思い出したのが、一本の日本映画であった。年に一、二回、東京の池袋文芸坐ル・ピリエやイメージ・フォーラムで上映される映画で、植岡喜晴監督・脚本・撮影・編集作品という2時間14分の8ミリ・カラー映画『夢で逢いましょう』(84)がそれであった----8ミリ、と尻ゴミすることなかれ、イメージあふれるファンタジーの佳作、それが『夢で逢いましょう』なのだ。
 まずは、ストーリーを紹介してみよう。
 29歳の青年・本町杢太郎(つみつくろう)は、幻のうたたかの花をみつけようと、四半世紀探したが、その世界への扉は開かなかった。
 現実の、世間や人々への気配りがうたたかの花と自分を遠ざけている、と思った彼は置き手紙を妹のよりこ(紀秋桜)に残して家出。頭のちょっとゆるいよりこは、ただ泣き崩れた。
 舞台は、一転して、ここは天国。岩石の大地と荒野と明るい青空が果てしなく広がる。
 下級天使のひさうちさん(ひさうちみちお)が千手観音さんとあいさつを交わしている。
 ひさうちさんは、観音さん(今泉了輔)と天国の門の受付係。手に魂の花を持つ人々が虚空を見て立ち尽くしている。サラリーマン風の人、バイク乗り……夢を見すぎて死んだマンガ家の江戸川分裂(今井朝)も、魂の花を煮込んだ天国水を飲んで、天国の住人になっていく……そこへやってくるよりこ。
 よりこは魂の花を持っていない。死んだ人は、天国で花になるという話を聞いて、天国見物しようと、天国に入ってしまうよりこ。
「(走っていく彼女を見ながら)観音さん。花持ってないいうことは、あの子、まだ地上で死に切れてないことと違いますか?」
「あ、ほんまや。これはえらいこっちゃ」
「死んでないのに天国こられたら、困りますねぇ……(うなずきあうふたり)」
 よりこは、天国でいろいろなものを見る。人間のいかがわしい夢を管理する夢倫理委員会、花になっていく江戸川分裂……そのイメージが実に破天荒なのである。
 セーラー服を着て、人形遊びをする中年の仲曽根さんの夢を没収しようとする夢倫を前に、彼女はこんなことをいいます。「おっちゃん、何も自分を卑下することあらへんねんよ。おっちゃんは何も悪いことしてません。うちにはわかるねん。おっちゃんは、他人よりちょっと性格が歪んでるだけやねん。そうでしょ、そやからこんな人に負けとらんと、もっと勇気と自信を持って、この夢を生き抜いて下さい、そうよりこは思いました!」、仲曽根さんは勇気づき、夢倫の人は大慌てです。
 土に半分埋まり、胸から花が生えてる分裂は、「よう考えたら、散歩でけへんし、散歩しながら夢見る楽しみも奪われてしまうねん、もうおしまいや」といい、よりこは、「うち、難しいことようわかれへん。そやけど、花になっても夢は見れるのんと違うか。花の見る夢はええ匂いがして、きれいな色がいっぱいついてて、そんで甘い蜜の味がするねん。あんまりきれいすぎて涙が出てくるくらいや……おっちゃん、心配せんかていい夢見れる」と、恐くて泣いている分裂の涙を口ですくって、ハーモニカを吹いてあげる。分裂は、「ええ音色やなぁ、いい夢見れるわ。おおきに……あんた、ええ子やなぁ」と、土の中に吸い込まれていく。「おっちゃん……」土の上に咲く花一輪。「……天国もせつないなぁ……」と、合掌するよりこ。このムードには感激しました。
 よりこは自殺していたのだが、ひさうちさんや観音、天女、天狗さんに捕らえられ、地上へ送り返された。彼女に想いを寄せる大家の村上さんは、8回目の自殺に、「若い命をホンマに何てことするんですか!?」と叫んでいた。
 そのころ、杢太郎は、うたたかの花が見つけられず、自殺。地獄へいき、おかまの悪魔(手塚眞)に死ぬのは1ヶ月後と伝えられる。そして、悪魔はうたたかの花を一目見せるのと杢太郎の魂交換の契約を成立させてしまう。
 よりこは、慕う兄に会えぬ悲しみの中、その夢の中に天国の魂を引っぱりはじめる……宮澤賢治、サン=テグジュペリ、分裂が彼女の夢の中で生きはじめたのだ。物語は、現実から天国、地獄に、夢世界と広がり、さらに盛りあがる意外なラストも見事であった。天国は宝塚のガレ場を使った岩場と荒野、よりこの夢世界は、緑あふれる静かな紅葉の山と湖の麓と、ロケーションの美しさを見せ、ローバジェットでありながら、作り手のイメージ力のすごさとセンス、セリフの魅力がまさに映画の香りを充満させていった。
 よりこは、宮澤賢治(あがた森魚)の亡き妹を天国から自分の夢の世界へよみがえらせ、結ばれたふたりは、彼女の夢の中で永遠に暮らしていく……その作者の宮澤賢治への愛情と人間へのオマージュは、目も眩まんばかりであった。
 神戸出身の植岡監督、関西自主映画界の俳優勢ぞろいで、関西弁のイントネーションのやさしさとわい雑さの中に、独特の世界が生まれていて、錯綜する物語とその中で適確に捉えていく哀しみのエモーション……監督は、「シナリオ脱稿の際、1時間50分はかかると思った」と語る。この作品は、まさに映画であり、8ミリはその手段にすぎないのだ。
 見る機会の少ない作品だが、あまりの好編のため、取りあげた。あなたが見る機会に恵まれることを(ダメなら上映会でもやろうか?)。

初出 角川書店『月刊ニュータイプ』 昭和611986)年11月号】



円谷英二の映像世界〜『マタンゴ』

『マタンゴ』昭和381963)年度作品 89分 カラー 東宝スコープ


『マタンゴ』というタイトルの後、窓の外を夜の都会のイルミネーションが輝く鉄格子の一室に、後ろ姿の村井(久保明)がいる。タメ息まじりにつぶやく村井。
「……皆、僕をきちがいだと思っているんだ。ところが、きちがいじゃありません。あの人も仲間も全部……死んだのはひとりだけです。本当です。皆、生きているんだ。じゃなぜ、帰ってこないんだといいたいんでしょ。後の話を聞いたら、あなたもまた僕をきちがいと決めてしまうでしょう……」
 やたら明るいタイトル曲、帆走するヨットをバックに帆の形のところにスタッフ、キャストが出てくる。
 青い空、澄んだ空気。晴天の太平洋の大海原を一艘のヨットが帆走していく。
 キャビンには、笠井産業の青年社長・笠井雅文(土屋嘉男)とその愛人で美貌の流行歌手・関口麻美(水野久美)、新進推理作家の吉田悦郎(太刀川寛)、笠井産業の社員で、ヨットのベテランでもある今回、艇長をつとめる作田直之(小泉博)、臨時雇いの漁師の息子・小山仙造(佐原健二)、城東大学の助教授、心理学専攻の村井研二、その教え子でフィアンセの相馬明子(八代美紀)の7人の男女が乗っている。大都会の喧騒と遊びにアキアキした連中ばかりで、ヨットで外洋へ乗り出し、バカンスを楽しもうという考えであった(ヨットの描写は、実際の外洋を帆走する実物とスクリーン・プロセスの二種類で描かれた)。
 夜になって、少しガブリはじめる海。艇長の作田は、女性も乗っていることだし、引き返すべきかとヨットの皆に相談するが、笠井は、「艇長の君に自信がなければ引き返すんだな」といい、吉田は、「僕は、天気が崩れても予定通りにやりたいな、多少ガブられてもヨットの醍醐味があるよ」とうそぶき、麻美もヤセ我慢、明子も皆にあわせようと、強く引き返そうとはいい出せなかった。
 外にいる小山が大声で艇長を呼ぶ。見ると、南のほうから黒雲が近づいてくる(作画によって表現されている)。男は皆、嵐をよけるために、ロープと帆に取り組んでいく。
 嵐の波に右に左に、上下に翻弄されるヨットは、風と大雨の中で、大型のミニチュアで表現された。風が吹きつけ、波をかぶる本編の効果がさらに臨場感を呼ぶ。小さな船が嵐に遭遇する特撮シーンは、すでに『日本誕生』(59/監督:稲垣浩)でも試みているが、この『マタンゴ』の特撮シーンも嵐と波と効果音がすばらしい。
 中にいる麻美と明子。麻美が笑う。
「大丈夫よ。笠井がいったでしょ、このクラスのヨットじゃ最高にお金をかけたって。いくらだと思う。4千万よ、バカみたい! でもね、秋には私をヨーロッパにやってくれそうなの。ローマ、ウィーン……いいなぁ、私、歌いまくって」と、水野久美の名セリフ。
 部屋の中に入ってきた笠井は、明子に「引き返すことにしましたよ」と笑う。笠井は、明子によからぬ想いを持っていた……。
 ひとつ、ひとつのセリフがこの物語のキャラクターの心の底に潜むギラギラした想いを描き出していく。嵐の描写の中で、本編と特撮がドラマの密度を高めていく。
 船体は軋み、マストは暴風に折れ、帆が吹き飛ぶ。無線は落雷でスパークし、使用不能となった。舵輪もきかない----もう中に入ってヨットを信じるしかない。「いいか、この船は絶対に沈まない、自信を持つんだ!」
 波の中で翻弄され続けるヨット----ついに遭難か!? 悪態をつく笠井、思わぬ災難が襲いかかってきた----
 嵐の夜が過ぎ、陽が昇る時間になってもヨットは、深い霧の中に包まれていた。あらゆる動力がきかず、南に流されていくヨット。
 ラジオから流れるニュースは、ヨットの救助を絶望視しており、とても発見されそうになかった……。そして、ラジオの電池も切れ、切望感に包まれる一同。
 ヨットの上で見張りをしていた吉田は、霧の中を何かが近づいてくるのを見る。船だ。
「おーい、おぅーい!」
 喜んで叫ぶ吉田。しかし、黒い影はグングン近づいてくる。悲鳴をあげる吉田。しかし、それは幻影であった。霧に包まれながら、皆、イライラのし通しであった。
 笠井がなぜ嵐がきても引き返さなかったのか、明子が目当てだ、と思わせぶりに笑う麻美。笠井や村井、明子の表情が揺れる。小山が言う。「昔から船に女は禁物なんだよ。海の神様がヤキモチ焼くってのは創作だがね、乗ってる野郎どもの頭がおかしくなるから、そういうのさ」

 霧の中にうっすらと浮かびあがる島影。
「島だ! 島だ----!!
 ヨットは数日の漂流の後、ある島に漂着したのだ。全員、上陸する。浜辺でぐったりと、砂浜に倒れ込む7人。後ろのヨットの間には、合成で霧が処理されている……。
 島の中を歩いていく7人。霧がうっすらと島を包んでいる。無人島なのだろうか。
 この島の描写は、八丈島でのロケーションとセットを使って巧みに表現された。
 ついに、島の中腹で水を見つける一同。
 ところが、その水飲み場は、明らかに人間が石を並べたもので、この島に人間がいることを実証していた。
 そして、人間を捜す7人は、林を抜け、山を越え、島の反対の入江に、船らしきものの姿を望遠した。霧の中にぼんやりと浮かびあがる船の姿。
 しかし、おりて近づいてみると、それは浜にのりあげた難破船であった。帆がボロボロになって、はためいている。「漂着してから少なくとも1年は経つな」という作田。でも、誰か人間がいるかもしれない。7人は、その船に乗り込んでいくことにする(この船の遠景はミニチュア、近景は実際の大きさで作られた本編セットである)。
 中に人の気配はなかった。壁には色も毒々しいキノコ、床はコケでヌルヌルであった。
 台所はカラッポ、何の食糧もない。ただ、どこにも死骸はなかった。乗っていた人間は、どうしたのだろう……。
 なぜか、洗面台や部屋の鏡は、全部取り外されていた。首をひねる麻美や明子。
 一室に入ると、そこは実験室らしかった。不気味な動物がアルコール漬けになっている。ビンには、“放射能による突然変異の実例”と書かれてある。この部屋だけあまりキノコにおかされていないのも消毒薬のせいだった。
 消毒薬を見つけ、喜ぶ作田。これで洗えば、この船に住めるかもしれない……。
 木の大きな箱があり、開けてみると、2メートルはあろうかという大きなキノコだ。「まるでキノコのお化けだ」とうめく笠井。箱の表示を読む村井。
「『マタンゴ。キノコの一種。この島ではじめて発見された品種』。食えるキノコだったらいいのにな……」
 船長室は、真っ赤なキノコにおおわれ(色彩設計が見事)、村井はそこから航海日誌を探し出した。
 消毒液で船室を洗った後、全員を集めて、この船について村井が話す。
「航海日誌によると、この島は無人島だ。食糧もほとんどないし、とても生きていける場所じゃない。何とかしてここから抜け出さなくちゃならない。まず食糧、缶詰は11個ずつ、それでも1週間でなくなる。魚、海草、海ガメの卵。ヘビでも、トカゲでも食えそうなものは、何でも集める。ただし、キノコだけは食べないように……」
 村井によると、「実験記録には、麻薬みたいに神経が破壊されてしまう物質を含んでいると書いてある。食糧が残っているのに生存者がいない。死んだのなら、死体があるべきなのに、それがひとつも見つからない。これはどうもキノコが原因らしい。この記録は、乗組員が23人ずつ船に帰ってこなくなって、そこで終わってる」といったのだ。
 この島は、いつも霧に包まれている。だから、船が通りかかってもまず見つけられない。こちらから出ていかねばダメだ、という作田。
 作田は、ヨットを入江に運び、修理するつもりであった。吉田は、あんなボロヨットで出たって、赤道が近いこんなところじゃどうするんだ、と投げた発言。作田と吉田は、ケンカ寸前になるが、村井が間に入り、晴れた日に山の上から煙の合図を送ったり、食糧探し、ヨットの修理と、全員に仕事が割り当てられた。
 狩りに出た村井と笠井は、島に近づく鳥がよけていくのに愕然とする。この島は、鳥も近寄らぬ島なのか。そして、ヨットを運んできた作田は、入江に多数の船が座礁しているのに気づく。潮流に運ばれ、この島にたどりついてしまうのか……。
 その夜、甲板を誰かが動いている気配があり、一同が騒ぎ出す。ひとり、船長室にいる笠井なのか。笠井は、食糧の缶詰を盗んでいたところであった。その時、異様な人間が目の前に現れ、盗んだ缶詰をバラまき、皆のところへ逃げてきた。廊下を何者かの影が迫る。部屋に閉じこもる皆の前で、ドアのノブがまわっている。そして、そこに現れたのは、全身キノコのような肌と化した怪物のような人間だったのである。悲鳴をあげる麻美と明子----その夜は、その怪人は姿を消し、何ごともなく済んだ。しかし、幻かとも思えた怪人の足跡がしっかりと浜についているにおよんで、島からの脱出を急ぐ一同。
 この怪人物をメーキャップも入念に施して演じたのが天本英世であった。顔を少しも見せない演技ながら、引きずる足、伸ばす手と、怪人・マタンゴの不気味さをうまく表現した。

 食糧もなくなり、怪物も現れ、飢えと恐怖で衝突する一同。小山は、雨が降ったら食糧探しもしないなんて何ごとだと怒り狂い、全員、食糧探しに向かうことになる。
 その日、吉田は薬用アルコールで酒を作り、笠井があの日、食糧を盗もうとしたことを口汚く罵り、酔った勢いで、銃を持って昨日の化け物退治にいってくる、という。笠井は、この船の乗員かもしれないからやめろというが、制止を振りきる吉田。そして、吉田が戻ってきた時、満腹顔で晩飯はいらん、という。「キノコを食べたんじゃないだろうな」という村井。笑って吉田は答えない。
 小山は海ガメの卵を見つけ、隠したり、笠井に1万円で売ったり、笠井は作田に、ふたりでヨットで逃げよう、といったり、皆は次第におかしくなっていく。
 そのうち、作田がひとり食料を持ってヨットで逃げ、キノコを食った吉田は、気がおかしくなり、銃を突きつけて、麻美と明子を連れていこうとする。戻ってきた小山は射殺され、やっと取り押さえられた吉田と麻美は、船から外へと追放される----
 笠井は、もうプレッシャーに耐えられなくなり、村井に自分を殺してくれ、という。お前の食料ぐらい何とかしてやるよと、村井と明子は、食料を探しにいくが、その留守中、麻美が現れ(メーキャップがキノコを連想させるもので、口紅の毒々しさがすごい)、彼を食料があると、森に連れていく。森の奥にあるキノコの森----麻美はキノコを食べ、「おいしい。もっと早くわかっていれば……」と笑い、笠井もむさぼるように食べる。しかし、現れるキノコに侵された怪物・マタンゴ----笠井の悲鳴は、森の奥にただこだまするだけだった。
 残った村井と明子に、ついに、襲いかかってくる怪人マタンゴの群れ。村井は銃で立ち向かうが、追ううちに明子が連れ去られる。明子の姿が見えないことに気づき、森の奥へと走る村井!
 森の奥で雨を受けて、刻々と伸びていくキノコたち。不気味なキノコの笑い声が森を包み込む。奥から明子の声が聞こえる。
「先〜生〜、先〜生〜」
 その顔は紅潮し、キノコを口に運び、ニッコリと笑う明子。愕然とする村井。
「おいしいわ……本当よ」
 村井は、彼女を連れていこうとするが、まるで小さな山のようにキノコの怪物と化したマタンゴが不気味な笑い声をあげて、村井に襲いかかる。笑っている半分キノコになった吉田や麻美……悲鳴をあげ、逃げる村井。次々と彼の身体を包み込もうとするマタンゴ。半狂乱になって、村井は浜へとたどりつき、ヨットで脱出した。
「それから長いこと夜がきて、朝がきて、また夜がきて----救助されてからの記憶はありません。でも、僕は今、後悔してます。本当にあの人を愛してるのなら、僕もキノコを食い、キノコになり、ふたりであの島で暮らすべきでした。そうじゃありませんか、生きて帰ってきちがいにされるくらいなら。バカでした、僕は。ひと切れも食べなかったんです。どんなに苦しくても、あの人を苦しめ、自分も苦しめ、最後までキノコを食べなかったんです。いったい、何のために!」
 それまで、背を向け続けていた村井が振り向くと、その顔はキノコにおかされ、変身がはじまっていた。なだめる医師。
「いやいや、君だけでも戻ってきたのは祝福すべきことなんだよ」
「そうでしょうか。東京だって同じことじゃありませんか。人間が人間らしさを失って、同じですよ、あの島で暮らしたほうが幸せだったんです……」
 窓の外から見える夜の東京の毒々しいイルミネーションのアップになり、音楽が盛りあがって終わっていく……。
 特撮は、本編のドラマのあくまでフォローであり、一歩も自らを主張させることなく、本編のドラマ部分を支え続けた。円谷作品というよりは、この作品こそ『ガス人間第一号』(60)と並び本多猪四郎作品というべきだろう。
 東京が、いや人間社会はあの島と同じだ、あの島でキノコになったほうが幸せだったという村井の呟きがテーマを語っている。
 まるで、人間をあざ笑うかのようなキノコの森の笑い声、のちに、円谷プロのケムール人やバルタン星人にも流用されたマタンゴの不気味な笑い声----明るい健全娯楽をモットーとした東宝特撮の中でも、もっともペシミスティックに作りあげられた作品であった。

初出 実業之日本社『円谷英二の映像世界』(竹内博、山本眞吾・編)円谷英二主要作品解説 昭和581983)年12月刊行】