「池田憲章のわくわく怪獣ランド」第7話

後ろ姿が絵になるいかす怪獣(やつ)!!

 仲間うちで、年に一回やっている“特撮ベスト10”の季節がまたやってきて、「カッコいいデザインの怪獣」というアンケートをみつめながら、いろいろな怪獣の勇姿を思い浮かべた。このベスト10は、ビデオを編集して2時間分のベスト10テープを作って、皆でお酒を飲みながらそれをみる、という酔狂企画で、いい加減に選ぶと、本当にカッコいいかどうかを映像でみられてしまう……こいつは悩んだ。
 そして、僕の結論は、やはりと言えばいいのか、ベスト1が“ゴジラ”であった。
 ゴジラのどこがすごいか。前からみてよし、斜め前がまたよし、横からみてよし、斜め後ろからみてまた抜群のカッコよさ、そして、後ろからみても長い尻尾と背びれがつける表情……とほとんど全角度、どこからみても絵になるのである。こんな怪獣は、世界でも類例がない!
 これは、なぜか。実は、アニメ雑誌の編集をした時、気づいたことなのだが、ロボット2体が対決しているシーンを描いてもらうと、一体のロボットの顔は、まずみえなくなってしまう。ところが、ゴジラは爬虫類なので、口は耳まで裂けてるし、目は顔の側面についている----かなり斜め後ろでも表情のある顔がみえるのだ(これは、実はウルトラマンも同じなのだ。“爬虫類みたいな顔”と言われるのもよくわかる)。さらに、ゴジラの場合、そびえたつ分厚い背びれと長い尾が表情をつけ加える。昔、イラストレーターの開田裕治さんが東宝のイベント用にゴジラのTシャツにイラストを描いたのだが、これも後ろ姿のゴジラで、背びれと少し振り向き加減の表情がすばらしいイラストだった。後ろ姿のほうが絵になってしまう怪獣----こんな渋い怪獣はそうはいない。
 ゴジラには、初代の幽鬼のように燃える闇の東京に立つ映像、パワフルな『キングコング対ゴジラ』のエネルギッシュな動き、放射能火炎を吐く際、光る背びれの超イメージ映像……と、世界の怪獣王のひとりと言われるのも無理はないのである。
 ♪親しき友と酒飲みながら、ワイワイ怪獣ベスト10をみる。また楽しからずや!!

初出 徳間書店『SFadventure1988年7月号】


『ジキルとハイド』

レイプ! レイプ! 空前絶後のSF強姦ホラー!


『プリズナーNo.6』よ、
われらの勝ちだ!

 日本のSFテレビの中で忘れがたい一本を選んで下さい、ともし言われたら、少し考えるだろうが、ほとんど世間に知られていない東宝とフジテレビが昭和441969)年に製作した、1時間カラーの13本シリーズ『ジキルとハイド』を選んでしまうだろう。
 個人的には、イギリスに『プリズナーNo.6』(6768)があれば、日本には『ジキルとハイド』あり、と言いたいほどで、その不条理にも似た人間の内面心理をビジュアル化した演出スタイル、特撮など頼りにもせず、カケラすらないドラマティックなSFタッチ、ゴールデン・アワーの時間枠で企画されたとは、とても信じられぬ“汚れなき者を汚してみたい、という人間の仮面の下に隠された欲望”を真っ正面から描く空前のバイオレンスとレイプ・シーンの連続、そして、計算され抜いた、叩きつけるようなセリフの醍醐味、主演の丹波哲郎、露口茂、松尾嘉代の白熱する演技……と、そのインパクトで、勝るとも劣らぬパッションあふれる<大人の>テレビドラマであった。テレビドラマすべてを考えても、日本でもっとも先鋭的な作品だった、と思う。
 メイン監督は、フジテレビの局プロデューサーも兼ねていた『トップ屋』(60)、『三匹の侍』(63)、『刑事(デカ)』(65)、『岡っ引きどぶ・どぶ野郎』(72)の五社英雄。当時、40歳で、テレビ時代を代表するカラー作品となった。そのシリーズの演出スタイルは、エネルギッシュな五社演出の第1話で完璧な作品の方向性と映像を完成させている。
 スタッフは、「よくぞ集めた」という映画ファンなら息をのむそうそうたるメンバーで、まず監督から紹介すると、TBSを辞めた直後の『七人の刑事』(61)で、数々の野心作を生んだ今野勉と村木良彦(のちに、ふたりとも“テレビマンユニオン”の設立メンバーに参加する)。東宝映画の“ネオ・ハードボイルド”の新鋭となる『死ぬにはまだ早い』(69)、『白昼の襲撃』(70)、『豹は走った』(70)の西村潔、『東京湾炎上』(75)、『白熱(デッドヒート)』(77)の石田勝心。ふたりともテレビドラマとテレビムービーのミステリーに長く活躍。五社演出に負けぬ繊細な心理描写が冴えた。
 そして、新東宝、国際放映の出身で、『君待てども』(74/フジテレビ)や東宝テレビの『日本沈没』(74/TBS)と特撮テレビも得意で、『コメットさん』(67/TBS)や『恐怖劇場アンバランス』(69/フジテレビ)で、市川森一と名コンビを組んだ山際永三。シリーズのラストに、心情のたぎりを描く山際演出が『ジキルとハイド』のハイテンションのクロージングを作りあげた。
 シリーズ構成は、“出雲五郎”のペンネームも併用して、7話を書きあげた、まだ東宝文芸部に在籍していた若き28歳の長坂秀佳。
 そのほか脚本家は、『海底大戦争』(66/監督:佐藤肇)や『吸血鬼ゴケミドロ』(68/監督:佐藤肇)と、日本ホラー映画の知る人ぞ知る名手・佐藤肇監督の右腕のひとりだった『七人の刑事』(61/TBS)の大津皓一。そして、『ウルトラQ』(66/TBS)の「鳥を見た!」や「カネゴンの繭」、三島由紀夫原作の『鏡子の家』(62/TBS)などのテレビドラマの脚本で知られた山田正弘。岡本喜八監督の『殺人狂時代』(67)、山本迪夫監督の『血を吸う眼』(71)、『東京バイパス指令』(68/NTV)、『鬼平犯科帳』(71/NET)、『太陽にほえろ!』(7286/NTV)の小川英。
 タイトル・バックは、篠山紀信の印象的なヌード写真のスチール処理で、女声コーラスを盛り込む変身シーンにも使われた佐藤勝作曲のテーマ曲が抜群で、本編の音楽は泉光二と、まさに異彩あふれる映画界、テレビ界の混成スタッフであった。
 13本のシリーズとして完成しながら、ホラー・ブームが去った、という理由でオクラになり(当時、新聞に載ったそんな記事を読んだが、実際は、あまりに内容と演出が過激すぎた、というのが本当の理由じゃなかろうか!?)、同時期に、円谷プロとフジテレビが製作していた『恐怖劇場アンバランス』とともに、テレビ放送されたのは、製作から3年後の昭和4873)年の夜11時台の深夜番組という有様で、やっと見られるのか、とテレビの前にかじりついて見たものだ。
 ところが、バイオレンス・タッチに圧倒されて(丹波哲郎のハイドが人間を殴り殺すシーンに唖然呆然)、“スゴイ”とは憶えていても、内容はすっかり頭から吹っ飛び(頭が作品のショックでバーストしてしまったらしい。高校生にはそれほどショッキングだった)、友人の中島紳介さんや徳木吉春さんという熱心なテレビファンと話す時も全員が“スゴかった”としか憶えていない(笑)状態で、テレビ神奈川の再放送を見て、やっと内容がはっきりわかったくらいであった。

レイプ! レイプ! レイプ!

 滅多にない機会だから、第1話「けものの薬」(脚本:大津浩<皓一>、監督:五社英雄)を少し紹介して、作品のムードを楽しんでもらおう。季節は蒸せるような夏の一日----
 白髪の慈木留博士(丹波哲郎)の診療室に、警視庁から殺人未遂容疑者の杉本カヨの日誌が届き、博士は看護婦に読ませている。
 看護婦の汗ばむ胸の谷間や、足を組んでスカートから出た太ももを見つめる慈木留。押し倒し、服を剥いでいく幻想がコラージュされていく----それは慈木留の、男としての心の奥底に息づく妄想であった。最初からコレデスカラ----。
 杉本カヨは、ある強迫観念にとらわれ、対人恐怖というか、少女時代から社会に馴染めない少女だった(このセリフの密度を見よ!)。
6歳の時、私は小学校にあがりました。でも、その入学式の時の恐怖は、いまだに忘れられないものがあります。というのは、私は、それまであんなに多くの人間が一時に一所に集まっているのを見たことがなかったからです。私は、その小さな子供たちが大人と一緒に私を襲ってくるのではないか、という恐怖にかられ、大声をあげ、泣き叫んだのを憶えています。それから私は学校へ行くのを恐れました。何かと病気を見つけては休み、1年の半分以上は休んだのを憶えています。そして、やたらに薬を飲まねば心が落ち着かぬようになり、とうとう最後にはインクや墨汁さえも飲むようになり、最後は私自身で作ったLSDを飲み、恍惚としてすべてを忘れて私だけの世界を楽しむようになりました。でも、その薬を飲んだ後のことは憶えておりません……」
「やはり、中毒異常なんですね……一体、どんな幻覚を見るのかしら。私も飲んでみたいわ(笑)」
と、陽気な看護婦。
「やめなさい!」と慈木留。その薬はひどく習慣性が残るアルカロイド流動体の薬品で、体には危険な代物だ、というのだ。
 警視庁には報告書を送るが、無罪かどうかは、裁判所が判断するところであった。
 窓の外を飛ぶカラスを見あげながら、「近頃、鳥が増えたね」と、呟く博士。
ナレーション「この総合病院の副院長、そして、神経科の部長でもある慈木留(君彦)博士は、59歳という年齢よりも老けて見えた。日本でも十指のうちに数えられるこの総合病院は、明治のはじめに信仰あつかった彼の妻の祖父が開設した慈善病院で、何度か戦災や火事で焼けたが、その度に大きくなり、今は都内の総合病院として大きく名を残すようになった。彼の最初の妻は、彼がその病院の書生時代に、先代の院長が彼を認めてめあわせたものだが、20年前に死亡。そして、現代になって、彼とおよそ20も違う二代目の院長の四女を妻にしていた。慈木留美奈(松尾嘉代)、32歳、祖父ゆずりの信仰あつい女性である(自宅へと帰ってくる博士。和服姿の清楚な美奈が映る)。だが、こうした恵まれた家庭にありながら、彼はかすかな不安に、絶えず神経をいらだたせていた。実態のない不安、現代に生きている人間我々なら誰でも持っているであろう不安----それが彼の場合、私たちよりやや濃い目の不安を抱いていた。しかし、彼自身の表面はけっこう楽しく、けっこう満たされた平凡な生活……(自宅の研究室で、薬品を調合していく)。だが、あの薬の改良と開発にかかってから彼の生活は変わった。いや、変わったというのは、我々の見た目によってである。彼自身の場合、その薬を飲んだ後の自分について、全く記憶がなかったからである。そして、自分の体にどんな変化をもたらし、また、どんな行動をとったかについても----。しかし、やや習慣性を持ったその薬は、彼のかすかな実態のない不安を解消してくれる代わりに、およそ科学的な常識では解明できかねる変化を彼に与えた。昨夜も彼はその薬を口にした……」
 テーマ曲が盛りあがり、ビーカー内の緑色のドロリとした溶液を飲む慈木留博士。広角レンズと赤や緑の照明とミラーやかきむしる手と、合成を全く使用しない不条理にも似たカット・ワークで、丹波哲郎は、白髪の初老の慈木留から、精悍で凶暴な瞳と黒髪の男性・ハイドへと変身していく!
 夜の街へと、黒いフロックコートを着て出て行った男は、暴力バーへと入り、酒代で難クセをつけられるや、いきなり殴り、蹴り、パンチを連続して、壁ぎわに殴りつけられたバーの用心棒は、口から血を吹いて死んでいった。
 夜の街をさまよう男は、車の中で抱き合う若いカップルの男を車外に引き出し(恐怖に女を残して逃げてしまうサラリーマン風の青年)、墓場へと女を追いつめて犯しまくる。夜警のガードマンが注意すると、20センチくらいの岩を掴んで、その岩で頭を殴り、悲鳴をあげてガードマンは即死するのであった。
 車のバックミラーで自分の顔を見たハイドは、叫び声をあげて、女を残して、夜の闇へと走っていった。慈木留博士は早朝、遊園地で寝ている自分を発見する。幻覚のようにブランコに乗る少女のイメージが残っている。一体、昨夜は何を自分がやったのだろうか!?
 
毎週、丹波のレイプが
日常の仮面を剥ぐ!

 スティーンヴンソンの小説『ジキル博士とハイド氏』の映画化は、昔から数多いが、いずれも特殊メイクで野獣のような怪人に変身した。だが、この『ジキルとハイド』は、白髪の老人メイクの丹波を、凶暴で暴力的でエネルギッシュな日常の丹波の悪役キャラに変えるのが出色で(まさに仮面を取り、自分に戻るわけだ)、“獣人”というイメージでないのがお見事。慈木留の屈折した心理描写も続出する。
 連続殺人と女性をレイプする謎の凶悪犯を追う警視庁捜査一課の毛利警部(露口茂)がレギュラーとなり、警察の犯罪捜査のアドバイスを求めに慈木留病院と博士邸を毛利は定期的に訪ねてくる。
 第1話の後半では、ハイドに博士の妻である美奈が襲われる。髪を掴まれ、和服もメチャクチャにレイプ寸前まで美奈は追い詰められるが、危機一髪、毛利警部が異常な物音に博士邸の玄関を破り、美奈を救出、彼女は抱きしめる毛利の腕の中で泣き伏した。
 物語はここを基本にして、毎回、変身したハイドが、医者の、政治家の、教師の、芸能界の、母親の、幸せな若者カップルの仮面の下に隠れたもうひとつの顔をこのバイオレンスの力で暴き出し、あらゆる人々がその暴力的なパワーの前に人間性を崩壊させていく。
 さらに、慈木留の貞淑な妻であるはずの美奈も、女子高生の時代に、自分の家庭教師の青年と母親の不倫のベッドシーンを夕立の中に帰宅して目撃、ショックを受け、若い青年が女性を求める心に強いトラウマを感じてしまう。そのため、彼女の家に下宿していて、恋人同士で巡査だった若き毛利に求婚されても、その想いを受け止めることができず----やがて、若者でもない20歳も年上の初老の慈木留君彦と結婚する道を選んだことが明かされていく。
 物語は次第に、慈木留と、ついにハイドに犯され、やがて、ハイドの来訪を待つようになっていく美奈、そして、直感で美奈の想いを知り、警察官ではなく男としてのプライベートな怒りで狂ったようにハイドを追う毛利----と、異様な感情のたぎりを描くクライマックスへとグレードをアップしていく!
 一本、一本が連続ストーリーというより、人間の二面性と、誰かに支配されたい、という人間の弱さ、汚れなき存在をサディスティックに痛めつける快感、そして、言い様のない不安感と閉塞感、それを破る変身と暴力の開放感を慈木留博士が止められなくなる。人間ドラマのジグソー・パズルのように見せ続けた。
 最終回の第13話「永遠の標」(脚本:出雲五郎=長坂秀佳、監督:山際永三)は、もう一度薬を飲めば、二度と慈木留に戻れない、というクライマックスを迎え、ハイドに変身、美奈とハイドを崇める女性を連れて逃亡する丹波(ハイド)を、毛利が殺すために追う、狂ったようなカットワークのラストとなる。そして、毛利が美奈のつけていたペンダントの光に目が眩み、誤って発砲して射った相手は誰かという驚愕のクロージングとなり、この恐るべき心理劇は、私たちが安住している日常がやがて崩壊する予感で終幕していく。
 脚本の長坂秀佳は、もうひとつのラストを書いていた、という話もあるが、この人間のたぎるようなパッション渦巻くラストがこの作品にはふさわしかった気もする。丹波哲郎の、セリフなしで絶対の自信を見せるハイドの力あふれた表情の不敵さが忘れられない!
(文中敬称略)

初出 洋泉社映画秘宝Vol.5 夕焼けTV番長』1996

キッチュ爆発!! 日本の怪談映画祭に注目せよ!

 東京の渋谷で、毎年、秋に開催される“東京ファンタスティック映画祭”も第4回を迎え、今年も『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』(87/監督:チン・シウトン)、『ヒドゥン』(87/監督:ジャック・ショルダー)、『ビートルジュース』(88/監督:ティム・バートン)と、見ごたえのある新作があり、SF映画、特撮ファン注目のイベントとなっている。
 どっこい、渋谷ばかりがファンタスティックじゃないのよ……というのが、横浜西口名画座(相鉄横浜駅改札前)で、この8811月から894月まで繰り広げられる“イタリアン・ファンタスティック・フィルムコレクション パート1。ランベルト・バーヴァとその仲間たち”と日本の特撮、SF、怪獣、怪談映画大集合の“ジャパニーズ・ファンタスティック・フィルムコレクション(仮題)”なのである。
 先行してはじまるのは、イタリア作品のほうで、121日〜3日『キャロルは真夜中に殺される』(86)、128日〜10日『暗闇の殺意』(83)、1215日〜17日『デモンズ2』(86)、1222日〜24日『オグル』(88)、1229日〜31日『アンティル・ディス』(88)と、年内は、ランベルト・バーヴァ監督のスプラッタ・ホラー作品を上映。『アンティル・ディス』はその中でも、不倫の末に夫を殺害して埋めてしまった妻と間男に復讐すべく地獄からよみがえった夫の復讐を描くスプラッタ・ホラーで、『デモンズ』で知られるハーヴァの総決算ともいうべき最新作だ。来年度には、ダリオ・アルジェントと並ぶイタリア・ホラーの雄ルチオ・フルチ監督の『ザ・サイキック』(77)、『サンゲリア(完全版)』(79)、『地獄の門』(80)や80年代の新作ホラーを上映する予定だ。詳しくは『ぴあ』や『シティロード』など、情報誌を参考にして下さい。
 ファン必見なのは、来年1月から開始される日本作品のオールナイト連続プログラムで、東宝の「ゴジラ」シリーズやSF映画、『白夫人の妖恋』(56/監督:豊田四郎、特技監督:円谷英二)や『大盗賊』(63/監督:谷口千吉、特技監督:円谷英二)のファンタジー映画から、新東宝の『亡霊怪猫屋敷』(58)、『憲兵と幽霊』(58)、『東海道四谷怪談』(59)、『地獄』(60)と、中川信夫監督ほかの怪談映画も勢揃い、大映の『虹男』(監督:牛原虚彦、音楽:伊福部昭の怪奇犯罪作品。円谷英二の特撮もあるぞ)や珍しい怪談作品、松竹の『吸血髑髏船』(68/監督:松野宏軌)、東映の『怪談せむし男』(65/監督:佐藤肇)、『黄金バット』(66/佐藤肇)……と揃えも揃えたり、もう幻に近い大蔵映画の『生首痴情事件』(67/監督:小川欽也)、『怪談バラバラ幽霊』(68/監督:小川欽也、扉ページに載せたやつ)や怪談映画も見つけて上映する、という凝りようである(大蔵映画の作品は、ネガもなく、これが最後の上映と思われる)。まだ、日程が決まっていないのが残念だが、ぜひ情報誌で確認して行ってほしい。
 上映作品の選定で、企画に参加したのが『帝都物語』(監督:実相寺昭雄)や『妖怪天国』(監督:手塚眞)、『異人たちの夏』(監督:大林宣彦)と、スペシャル・メイクで日本映画に活躍中の原口智生さんだ。今回の見どころを語ってもらおう。
「滅多に映画館で見られない日本のファンタスティック映画を特撮や怪談だけに限らず、ホラーを中心に集めました。日本の映画が何でも企画し、作れた時代の作品ばかりです。その映画的な豊かさと楽しさを思い切り堪能してほしいと思ってます。大映の『虹男』や東映の怪談もの、大蔵映画の作品は、この企画のために倉庫から探し出してもらった映画で、10年近く関東ではやっていない作品ばかりです。プリントも破損しているし、ネガさえ残っていない作品もありますし、これがフィルムで見られるラスト・チャンスという作品もあります。ぜひ見てほしいです」
----その作品たちの魅力は何ですか?
「昔は、新東宝の映画が持ってる、どこかいかがわしいイメージにひかれたんですが、よく見ると、一本、一本がシックで、企画も大胆だし、映画らしいムードにあふれている。中川信夫の作品なんか、ダリオ・アルジェントやルチオ・フルチにも通じる艶やかさがあって、遜色を感じないんです。日本の怪談映画や怪奇映画は、技術的にも今の目から見たってあなどれないですよ。特殊メイクの目で見ても、優れた技術が多いですね。こういう作品を見て、日本映画の企画の幅を広げたいんです。原作がなくても、怪談、そして、ホラーというだけで、さまざまな内容の作品を作っています。イタリアやアメリカの今の作品も同じですよ。中川信夫の『女吸血鬼』(59)なんて、天知茂の演じている吸血鬼は、天草四郎の子孫で、満月の光を浴びると、吸血鬼になってしまう破天荒さ、ああいう作り手のイメージの広げ方にひかれるんですね。特殊メイクだけじゃない、役者の演技で見せるドラマティックな怪奇ストーリーの魅力もぜひ見直してほしいんです」
 原口智生さんは、今、ビデオ用にスペシャル・メイクをふんだんに使った現代を舞台にした怪奇スリラー作品を準備中で、自ら脚本、監督を手がける予定という。スプラッタ一辺倒ではない、情感があふれる中川信夫のラインを再生しようとする映像企画だ。
 日本ファンタスティック映画の精髄をここに結集する891月〜4月の横浜西口名画座のイベントにご注目あれ!

初出 徳間書店『SFadventure』1989年1月号〜今月のチューザー】

血湧き肉躍る特撮とドラマの結婚 それが「ウルトラ」シリーズの魅力だ

怪獣評論家
池田憲章

『ウルトラQ』(66)が始まるまでの日本の子供向けSFテレビには、大別してふたつのジャンルが確立されていた。『スーパーマン』(52)の影響で生まれた『月光仮面』(58)や『遊星王子』(58)、『ナショナルキッド』(60)などのSFヒーローの実写ヒーロー活躍ものと、『鉄腕アトム』(63)、『鉄人28号』(63)、『エイトマン』(63)を御三家とするSFアニメのふたつである。
 そこに『ウルトラQ』は、特撮を駆使したドラマSFともいうべきジャンルを築いたのだ。この方向は、『ウルトラマン』(66)、『ウルトラセブン』(67)へも受け継がれ、これらの番組は、ヒーロー活劇の要素を組み入れながらも、特撮とドラマという2点に力を注ぐことによって、単なるヒーロー活劇とは、一線を画してきたのである。
 そして、『怪奇大作戦』(68)を得て、特撮ドラマSFは、ついにその地位を不動のものとする。ここで日本SFテレビは、実写ヒーロー活劇、SFアニメ、特撮ドラマSFの三つどもえの展開を始めるに至ったのだ。
『ウルトラQ』から『怪奇大作戦』までの番組を並べてみると、これら特撮ドラマSFのジャンルを確立したスタッフの才能と努力が並々ならぬことがよくわかる。

★『ウルトラQ』(昭和4112日〜73日)
 読み切りのSF短編集の性格を持つシリーズで、現代を舞台に、東京上空の四次元ゾーンに落ち込む超音速旅客機(『206便消滅す』)、東京に出現する古代の吸血植物(『マンモスフラワー』)、人生に絶望した人を別世界へと運ぶ異次元列車(『あけてくれ!』)、お金のことばかり考えている子供が変身したコイン怪獣・カネゴン(『カネゴンの繭』)、時を超えて出現する怪鳥・ラルゲユウスと少年の友情(『鳥を見た』)等々、現在でも十分魅力あふれるストーリーに満ち、ゴジラやラドンといったイメージしかなかった日本の怪獣ドラマの面目を一新した。
 モノクロの画面ながら、合成を多用する特撮イメージも新鮮で、特撮と物語の有機的なつながりは、特撮テレビの新時代への幕開けであった。

★『ウルトラマン』(昭和41717日〜昭和4249日)
 前作『ウルトラQ』に、“ウルトラマン”という巨大ヒーローと科学特捜隊という新要素を加えたシリーズで、カラー化、活劇化の傾向が入り、ウルトラマンと戦う怪獣というキャラクター自体が前作以上に作品の中で強く打ち出されている。
 身長40メートルの巨大な宇宙人が地球の平和を守るため、地球人・ハヤタと一心同体になり、危機となるや、元の宇宙人に変身するという特撮イメージは、その変身シーンやスペシウム光線などと共に見る子供たちを圧倒した。バルタン星人、アントラー、レッドキング、ゴモラと個性的でパワフルな怪獣がこのシリーズで最大の魅力だ。

★『ウルトラセブン』(昭和42101日〜昭和4398日)
 前作の『ウルトラマン』をよりSF的にパワーアップしたシリーズで、宇宙人の侵略と戦うM78星雲人・ウルトラセブンと地球防衛軍の精鋭・ウルトラ警備隊の活躍を描いている。
 ドラマも『ウルトラマン』に比べ、よりハードになり、青春もののムードに始まって、痛烈な社会風刺、壮絶な人間のドラマも続出した。地球防衛軍という全地球的な設定を脚本と演出、特撮の工夫でかろうじて使い切った、世界でも希有な快作である。冬木透のしゃれた音楽も印象的だ。

★『怪奇大作戦』(昭和43915日〜昭和4439日)
 あらゆる科学犯罪や難事件に、科学捜査で挑む“SRI(科学捜査研究所)”の活躍を描く犯罪科学ドラマ。『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』という特撮巨大ヒーローから円谷プロが大きく製作方針を転じたストーリーだった。特撮を駆使した新しい人間ドラマの創出だった。

『怪奇大作戦』は、人間たちによる人間社会のアンバランス・ゾーンを扱った物語だ。ここにはもう怪獣も宇宙人もいない。いるのは人間だけだ。人間の心が生み悲しいまでに人間的な物語が語り続けられた。
 犯罪、それは人間の欲望が、悪意が、怒りが、狂気が、弱さが、悲しさが、憎しみが生み出すものである。それをより的確に結晶させるために、SFと特撮が使われていた。特撮と人間ドラマの密度という点で、円谷プロのドラマ作品の頂点ともいうべき作品だ。
 これらの作品群を支えたのが、脚本の金城哲夫、山田正弘、上原正三、佐々木守、市川森一、石堂淑朗等々、それにTBS畑の演出家、円谷一、中川晴之助、飯島敏宏、実相寺昭雄、樋口祐三、東宝畑の梶田興治、野長瀬三摩地、長野卓、円谷プロの満田かずほ、鈴木俊継らのスタッフだった。
 彼らは、子供向けドラマとはいえ決して人間のドラマをおろそかにはしなかった。ある意味では、特撮の映像イメージと人間ドラマのドラマイメージが、これほど両者共にパワーを持って展開された作品は、ほかになかった、と言ってよい。
 特撮テレビにだって、やはり人間のドラマが大切なんだ、一本の映画なんだ、と改めて痛感させられたものである。

初出「月刊angle主催「ウルトラフェスティバルVol.2」パンフレット(1983719日、四谷公会堂)】
*満田監督の名前は正しくは禾に斉

『池田憲章の怪獣おたっしゃ俱楽部』 第22回

今、夢からさめる宇宙人!! 楽しや、林海象のプロモ映像


 この連載でも扱ったことがある『夢みるように眠りたい』(86)を作った林海象監督が、特撮を使ったプロモーション・フィルムを撮影するので、取材がてら遊びにきませんか……と、『夢みるように眠りたい』と『星空のむこうの国』(86/監督:小中和哉)のプロデューサーである一瀬隆重さんから電話でお誘いがあった。
 ヴェネチア映画祭やニューヨーク映画祭と、『夢みる----』を持って、精力的に出席していた林監督のお話も聞きたかったし、ふたつ返事でいくことを決めた。
 そんなわけで、10月末日、東京の調布にある日活撮影所にやってきたのである。
 入り口で聞くと、林監督の組は、奥のほうにある11番ステージで撮影している、という。
 ブラブラ歩いていると、どこの撮影所でも同じだが、大道具が道の両脇に立てかけられ、木工の美術スタッフがどこかのセットらしい材木を削りだしている。映画というのは、本当に大工仕事のようなものだ。
 フッと見ると、隣の10番ステージでは、日本とアメリカの合作ビデオ特撮のTVシリーズ『PHOTON』の撮影をやっていた。
 強大なエネルギーを持つ“フォトン・ストーン”を巡り、宇宙をまたにかけて、正義と悪の戦士が戦うストーリーなのだが、実は、このシリーズ、最初のシノプシス作りで参加していたこともあって、もう20話以上を撮影したという話にビックリ。いや〜、世間というのは狭いモンデス。
 11番ステージ----脇のスタッフ用の扉からステージに入ると、高い天井の下、200坪近いステージの中央に、管制センターのようなセットが作られている。
 一瀬プロデューサーと林監督にあいさつをして、今回のプロモーション・フィルムのあらましを聞いた。
‘85年のCBSソニー・オーディションで、優秀賞を受賞し、CBSソニーから’8721日にファースト・アルバム『Timeless Garden』でデビューするロック・グループ“千年COMETS”(リード・ボーカル・高鍋千年〔ちとし〕)のプロモーション・フィルムで、デビュー・アルバムの一曲『Lonely Dancer』を中に織り込み、コンサートで上映、あるいは、プロモーションでTVに流したりと、そういう形で使われるフィルムという。
 構成と演出、編集が林海象監督で、“誕生”のイメージで、ある惑星に何百年も放置されている管制センター……ホコリがうず高く積もるその中には、もう化石となった象のような顔と皮フを持つ宇宙人の姿があった。
 電子双眼鏡(エレクトロ・アイ)を手に、管制パネルの前にうずくまっている、何かを待ち続けていたのか。
 雷鳴がなり、閃光がひらめく中、宇宙人の体に異変が起こる……長い眠りから覚める日がついに! 手が震えるように動き出し、双眼鏡が目にささり、体から蒸気が噴き出す。
 背中が割れ、羊水の中からメタモルフォーゼして、誕生する新しい生命----それが高鍋千年……噴きあがる水流の中、宇宙人の背から孵化するその姿……という内容である。
 撮影は、滝田洋二郎監督と長年コンビを組み、『歌姫魔界へ行く』(80/監督:長嶺高文)など、特撮も得意の志賀葉一キャメラマン、照明は、『ロケーション』(84/監督:森崎東)、『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(85/監督:森崎東)、そして、『夢みるように眠りたい』の長田達也照明監督、美術は、来年春にクランク・インする予定の『悪霊(サイキック)』という黒沢清監督の新作で、オカルトと悪霊の悪夢を存分に見せてくれるはずの丸山裕司美術監督と、劇場映画なみのスタッフである。
 象のような不気味な顔の宇宙人は、『ウルトラマンタロウ』(73/TBS)や『ウルトラマンレオ』(74/TBS)の合成作画、『ザ☆ウルトラマン』(79/TBS)の怪獣デザインを担当していたデザイナーの鯨井実さんが特殊造型。元FUN HOUSEのメンバーだった市川英典さんや岡部純也さんなど、ガラパゴスの若手特殊造型のメンバーが手伝いをして、FRPとラテックス型の2メートル近い迫力のある造型となった。
 背中から噴き出す蒸気は、フレオン・ガス。双眼鏡の顔に刺さる神経端末は、形状記憶合金で作ってあって、電流を流すと熱で、形が戻ってウネウネと動くという凝りようだ。
 朝9時から始まった撮影は、何と翌朝の9時まで、24時間ぶっ通しである。いくつかの休憩は挟むものの、食事が3回あっただけで、エネルギッシュに準備とリハーサル、撮影が続いていく。
「いや〜っ、実写の人はタフですねぇ!」
 一緒に撮影を見にいったスタジオ・ぱっくのわたなべぢゅんいちさんもビックリしていた。『戦え!!イクサー1』(85)のモンスター・デザインをやったわたなべさんは、怪獣・特殊メイクのファンで、アニメと違う撮影がおもしろかったらしく、最後まで一晩中つきあって撮影を見ていた。
 割れた背から生まれるシーンは、深い水の中から生まれてくるイメージで、実は、前日、プールの上に橋げたを組み、水面の上に宇宙人の割れた背を固定し、高鍋さんを3メートル潜らせ、水中から浮かびあがってくる彼を背の割れ目越しに上からカメラで撮影する、という方法をとった。
「これが、うまくいかずに、高鍋くんが出口に出れずに、ゴチンとまわりにぶつかってしまうんだ。浮かぶうちに動くんだね、体が」
 こういう林監督のイメージは、実にイマジネイティブでおもしろい。
 最後の撮影カットは、背の割れ目を上から下に向けて固定し、割れ目にビニールをはり、そこに水を貯め、高鍋さんの顔を水に漬かせて、歌いながら顔でビニールを破る。それを下から真上にカメラを向け、前にガラス板を置いて落ちる水を防ぎ、撮影するというカットで、カッパを着けた監督、キャメラマンがガラスの下で見あげ、背の羊水を突き破るというすさまじい映像に挑んだ。
 最終カットが終わって、巻き起こった拍手の気持ちがとても快かった。頭にゼラチンを塗り、生まれたばかりのイメージで何時間も耐え、水濡れになった高鍋さんの熱演も忘れられない。結局、昼の1時から翌朝の9時まで、撮影におつき合いさせてもらったわけだ。
 モノクロ、35ミリで撮影され、仕上がりは3分間。光と影が生み出すモノクロ映像の魅力は、完成フィルムを見たが、林監督らしい夢幻的で、新しい世界を生み出していた。
 この作品は’8712日〜15日、東京の池袋文芸坐ル・ピリエで、再公開される『夢みるように眠りたい』と併映される。ぜひ、このパワフルな映像に出会ってみて下サイ!

初出 角川書店『月刊ニュータイプ』 昭和621987)年1月号】




『池田憲章の怪獣おたっしゃ俱楽部』第20回

8ミリでも本格映画の香り『夢で逢いましょう』の感激!!


 ウディ・アレン監督の『カイロの紫のバラ』を友人が見てきて、実にうれしそうにそのおもしろさを話してくれた。
 もう5回も同じ映画『カイロの紫のバラ』を見にきているウェイトレスのセシリア(ミア・ファロー)。すると、スクリーンの中の映画の主人公・トム(ジェフ・ダニエルズ)が突然、彼女のほうを向いて、「君、5回目だね」と語りかけた。トムは、スクリーンから外へ出てきてしまい、セシリアを誘ってデートに出かけてしまう。上映している映画のストーリーは、主役がいなくなったので、進行が止まり、共演者はスクリーンの中、ヒマを持て余し、ウロウロ、巻き起こる珍騒動……というファンタスティックな大人のおとぎ話で、「スクリーンの中から彼女のほうを向いて、語りかけるところがすごいんです」と語る友人は、才人・アレンならではの映画の虚構性と映像の持つリアル感を使い切るシャレッ気に圧倒され、堪能した様子だった。
 同じ物語を小説で読んでも、マンガで見ても、あまり感心しないのではないだろうか。
 物語の設定がとても映画的なわけで、映画だからこそ生める物語世界が、生まれているのだ----人間のイメージに映画が密着して存在しているのがよくわかるだろう。
 その友人の話を聞いて思い出したのが、一本の日本映画であった。年に一、二回、東京の池袋文芸坐ル・ピリエやイメージ・フォーラムで上映される映画で、植岡喜晴監督・脚本・撮影・編集作品という2時間14分の8ミリ・カラー映画『夢で逢いましょう』(84)がそれであった----8ミリ、と尻ゴミすることなかれ、イメージあふれるファンタジーの佳作、それが『夢で逢いましょう』なのだ。
 まずは、ストーリーを紹介してみよう。
 29歳の青年・本町杢太郎(つみつくろう)は、幻のうたたかの花をみつけようと、四半世紀探したが、その世界への扉は開かなかった。
 現実の、世間や人々への気配りがうたたかの花と自分を遠ざけている、と思った彼は置き手紙を妹のよりこ(紀秋桜)に残して家出。頭のちょっとゆるいよりこは、ただ泣き崩れた。
 舞台は、一転して、ここは天国。岩石の大地と荒野と明るい青空が果てしなく広がる。
 下級天使のひさうちさん(ひさうちみちお)が千手観音さんとあいさつを交わしている。
 ひさうちさんは、観音さん(今泉了輔)と天国の門の受付係。手に魂の花を持つ人々が虚空を見て立ち尽くしている。サラリーマン風の人、バイク乗り……夢を見すぎて死んだマンガ家の江戸川分裂(今井朝)も、魂の花を煮込んだ天国水を飲んで、天国の住人になっていく……そこへやってくるよりこ。
 よりこは魂の花を持っていない。死んだ人は、天国で花になるという話を聞いて、天国見物しようと、天国に入ってしまうよりこ。
「(走っていく彼女を見ながら)観音さん。花持ってないいうことは、あの子、まだ地上で死に切れてないことと違いますか?」
「あ、ほんまや。これはえらいこっちゃ」
「死んでないのに天国こられたら、困りますねぇ……(うなずきあうふたり)」
 よりこは、天国でいろいろなものを見る。人間のいかがわしい夢を管理する夢倫理委員会、花になっていく江戸川分裂……そのイメージが実に破天荒なのである。
 セーラー服を着て、人形遊びをする中年の仲曽根さんの夢を没収しようとする夢倫を前に、彼女はこんなことをいいます。「おっちゃん、何も自分を卑下することあらへんねんよ。おっちゃんは何も悪いことしてません。うちにはわかるねん。おっちゃんは、他人よりちょっと性格が歪んでるだけやねん。そうでしょ、そやからこんな人に負けとらんと、もっと勇気と自信を持って、この夢を生き抜いて下さい、そうよりこは思いました!」、仲曽根さんは勇気づき、夢倫の人は大慌てです。
 土に半分埋まり、胸から花が生えてる分裂は、「よう考えたら、散歩でけへんし、散歩しながら夢見る楽しみも奪われてしまうねん、もうおしまいや」といい、よりこは、「うち、難しいことようわかれへん。そやけど、花になっても夢は見れるのんと違うか。花の見る夢はええ匂いがして、きれいな色がいっぱいついてて、そんで甘い蜜の味がするねん。あんまりきれいすぎて涙が出てくるくらいや……おっちゃん、心配せんかていい夢見れる」と、恐くて泣いている分裂の涙を口ですくって、ハーモニカを吹いてあげる。分裂は、「ええ音色やなぁ、いい夢見れるわ。おおきに……あんた、ええ子やなぁ」と、土の中に吸い込まれていく。「おっちゃん……」土の上に咲く花一輪。「……天国もせつないなぁ……」と、合掌するよりこ。このムードには感激しました。
 よりこは自殺していたのだが、ひさうちさんや観音、天女、天狗さんに捕らえられ、地上へ送り返された。彼女に想いを寄せる大家の村上さんは、8回目の自殺に、「若い命をホンマに何てことするんですか!?」と叫んでいた。
 そのころ、杢太郎は、うたたかの花が見つけられず、自殺。地獄へいき、おかまの悪魔(手塚眞)に死ぬのは1ヶ月後と伝えられる。そして、悪魔はうたたかの花を一目見せるのと杢太郎の魂交換の契約を成立させてしまう。
 よりこは、慕う兄に会えぬ悲しみの中、その夢の中に天国の魂を引っぱりはじめる……宮澤賢治、サン=テグジュペリ、分裂が彼女の夢の中で生きはじめたのだ。物語は、現実から天国、地獄に、夢世界と広がり、さらに盛りあがる意外なラストも見事であった。天国は宝塚のガレ場を使った岩場と荒野、よりこの夢世界は、緑あふれる静かな紅葉の山と湖の麓と、ロケーションの美しさを見せ、ローバジェットでありながら、作り手のイメージ力のすごさとセンス、セリフの魅力がまさに映画の香りを充満させていった。
 よりこは、宮澤賢治(あがた森魚)の亡き妹を天国から自分の夢の世界へよみがえらせ、結ばれたふたりは、彼女の夢の中で永遠に暮らしていく……その作者の宮澤賢治への愛情と人間へのオマージュは、目も眩まんばかりであった。
 神戸出身の植岡監督、関西自主映画界の俳優勢ぞろいで、関西弁のイントネーションのやさしさとわい雑さの中に、独特の世界が生まれていて、錯綜する物語とその中で適確に捉えていく哀しみのエモーション……監督は、「シナリオ脱稿の際、1時間50分はかかると思った」と語る。この作品は、まさに映画であり、8ミリはその手段にすぎないのだ。
 見る機会の少ない作品だが、あまりの好編のため、取りあげた。あなたが見る機会に恵まれることを(ダメなら上映会でもやろうか?)。

初出 角川書店『月刊ニュータイプ』 昭和611986)年11月号】



円谷英二の映像世界〜『マタンゴ』

『マタンゴ』昭和381963)年度作品 89分 カラー 東宝スコープ


『マタンゴ』というタイトルの後、窓の外を夜の都会のイルミネーションが輝く鉄格子の一室に、後ろ姿の村井(久保明)がいる。タメ息まじりにつぶやく村井。
「……皆、僕をきちがいだと思っているんだ。ところが、きちがいじゃありません。あの人も仲間も全部……死んだのはひとりだけです。本当です。皆、生きているんだ。じゃなぜ、帰ってこないんだといいたいんでしょ。後の話を聞いたら、あなたもまた僕をきちがいと決めてしまうでしょう……」
 やたら明るいタイトル曲、帆走するヨットをバックに帆の形のところにスタッフ、キャストが出てくる。
 青い空、澄んだ空気。晴天の太平洋の大海原を一艘のヨットが帆走していく。
 キャビンには、笠井産業の青年社長・笠井雅文(土屋嘉男)とその愛人で美貌の流行歌手・関口麻美(水野久美)、新進推理作家の吉田悦郎(太刀川寛)、笠井産業の社員で、ヨットのベテランでもある今回、艇長をつとめる作田直之(小泉博)、臨時雇いの漁師の息子・小山仙造(佐原健二)、城東大学の助教授、心理学専攻の村井研二、その教え子でフィアンセの相馬明子(八代美紀)の7人の男女が乗っている。大都会の喧騒と遊びにアキアキした連中ばかりで、ヨットで外洋へ乗り出し、バカンスを楽しもうという考えであった(ヨットの描写は、実際の外洋を帆走する実物とスクリーン・プロセスの二種類で描かれた)。
 夜になって、少しガブリはじめる海。艇長の作田は、女性も乗っていることだし、引き返すべきかとヨットの皆に相談するが、笠井は、「艇長の君に自信がなければ引き返すんだな」といい、吉田は、「僕は、天気が崩れても予定通りにやりたいな、多少ガブられてもヨットの醍醐味があるよ」とうそぶき、麻美もヤセ我慢、明子も皆にあわせようと、強く引き返そうとはいい出せなかった。
 外にいる小山が大声で艇長を呼ぶ。見ると、南のほうから黒雲が近づいてくる(作画によって表現されている)。男は皆、嵐をよけるために、ロープと帆に取り組んでいく。
 嵐の波に右に左に、上下に翻弄されるヨットは、風と大雨の中で、大型のミニチュアで表現された。風が吹きつけ、波をかぶる本編の効果がさらに臨場感を呼ぶ。小さな船が嵐に遭遇する特撮シーンは、すでに『日本誕生』(59/監督:稲垣浩)でも試みているが、この『マタンゴ』の特撮シーンも嵐と波と効果音がすばらしい。
 中にいる麻美と明子。麻美が笑う。
「大丈夫よ。笠井がいったでしょ、このクラスのヨットじゃ最高にお金をかけたって。いくらだと思う。4千万よ、バカみたい! でもね、秋には私をヨーロッパにやってくれそうなの。ローマ、ウィーン……いいなぁ、私、歌いまくって」と、水野久美の名セリフ。
 部屋の中に入ってきた笠井は、明子に「引き返すことにしましたよ」と笑う。笠井は、明子によからぬ想いを持っていた……。
 ひとつ、ひとつのセリフがこの物語のキャラクターの心の底に潜むギラギラした想いを描き出していく。嵐の描写の中で、本編と特撮がドラマの密度を高めていく。
 船体は軋み、マストは暴風に折れ、帆が吹き飛ぶ。無線は落雷でスパークし、使用不能となった。舵輪もきかない----もう中に入ってヨットを信じるしかない。「いいか、この船は絶対に沈まない、自信を持つんだ!」
 波の中で翻弄され続けるヨット----ついに遭難か!? 悪態をつく笠井、思わぬ災難が襲いかかってきた----
 嵐の夜が過ぎ、陽が昇る時間になってもヨットは、深い霧の中に包まれていた。あらゆる動力がきかず、南に流されていくヨット。
 ラジオから流れるニュースは、ヨットの救助を絶望視しており、とても発見されそうになかった……。そして、ラジオの電池も切れ、切望感に包まれる一同。
 ヨットの上で見張りをしていた吉田は、霧の中を何かが近づいてくるのを見る。船だ。
「おーい、おぅーい!」
 喜んで叫ぶ吉田。しかし、黒い影はグングン近づいてくる。悲鳴をあげる吉田。しかし、それは幻影であった。霧に包まれながら、皆、イライラのし通しであった。
 笠井がなぜ嵐がきても引き返さなかったのか、明子が目当てだ、と思わせぶりに笑う麻美。笠井や村井、明子の表情が揺れる。小山が言う。「昔から船に女は禁物なんだよ。海の神様がヤキモチ焼くってのは創作だがね、乗ってる野郎どもの頭がおかしくなるから、そういうのさ」

 霧の中にうっすらと浮かびあがる島影。
「島だ! 島だ----!!
 ヨットは数日の漂流の後、ある島に漂着したのだ。全員、上陸する。浜辺でぐったりと、砂浜に倒れ込む7人。後ろのヨットの間には、合成で霧が処理されている……。
 島の中を歩いていく7人。霧がうっすらと島を包んでいる。無人島なのだろうか。
 この島の描写は、八丈島でのロケーションとセットを使って巧みに表現された。
 ついに、島の中腹で水を見つける一同。
 ところが、その水飲み場は、明らかに人間が石を並べたもので、この島に人間がいることを実証していた。
 そして、人間を捜す7人は、林を抜け、山を越え、島の反対の入江に、船らしきものの姿を望遠した。霧の中にぼんやりと浮かびあがる船の姿。
 しかし、おりて近づいてみると、それは浜にのりあげた難破船であった。帆がボロボロになって、はためいている。「漂着してから少なくとも1年は経つな」という作田。でも、誰か人間がいるかもしれない。7人は、その船に乗り込んでいくことにする(この船の遠景はミニチュア、近景は実際の大きさで作られた本編セットである)。
 中に人の気配はなかった。壁には色も毒々しいキノコ、床はコケでヌルヌルであった。
 台所はカラッポ、何の食糧もない。ただ、どこにも死骸はなかった。乗っていた人間は、どうしたのだろう……。
 なぜか、洗面台や部屋の鏡は、全部取り外されていた。首をひねる麻美や明子。
 一室に入ると、そこは実験室らしかった。不気味な動物がアルコール漬けになっている。ビンには、“放射能による突然変異の実例”と書かれてある。この部屋だけあまりキノコにおかされていないのも消毒薬のせいだった。
 消毒薬を見つけ、喜ぶ作田。これで洗えば、この船に住めるかもしれない……。
 木の大きな箱があり、開けてみると、2メートルはあろうかという大きなキノコだ。「まるでキノコのお化けだ」とうめく笠井。箱の表示を読む村井。
「『マタンゴ。キノコの一種。この島ではじめて発見された品種』。食えるキノコだったらいいのにな……」
 船長室は、真っ赤なキノコにおおわれ(色彩設計が見事)、村井はそこから航海日誌を探し出した。
 消毒液で船室を洗った後、全員を集めて、この船について村井が話す。
「航海日誌によると、この島は無人島だ。食糧もほとんどないし、とても生きていける場所じゃない。何とかしてここから抜け出さなくちゃならない。まず食糧、缶詰は11個ずつ、それでも1週間でなくなる。魚、海草、海ガメの卵。ヘビでも、トカゲでも食えそうなものは、何でも集める。ただし、キノコだけは食べないように……」
 村井によると、「実験記録には、麻薬みたいに神経が破壊されてしまう物質を含んでいると書いてある。食糧が残っているのに生存者がいない。死んだのなら、死体があるべきなのに、それがひとつも見つからない。これはどうもキノコが原因らしい。この記録は、乗組員が23人ずつ船に帰ってこなくなって、そこで終わってる」といったのだ。
 この島は、いつも霧に包まれている。だから、船が通りかかってもまず見つけられない。こちらから出ていかねばダメだ、という作田。
 作田は、ヨットを入江に運び、修理するつもりであった。吉田は、あんなボロヨットで出たって、赤道が近いこんなところじゃどうするんだ、と投げた発言。作田と吉田は、ケンカ寸前になるが、村井が間に入り、晴れた日に山の上から煙の合図を送ったり、食糧探し、ヨットの修理と、全員に仕事が割り当てられた。
 狩りに出た村井と笠井は、島に近づく鳥がよけていくのに愕然とする。この島は、鳥も近寄らぬ島なのか。そして、ヨットを運んできた作田は、入江に多数の船が座礁しているのに気づく。潮流に運ばれ、この島にたどりついてしまうのか……。
 その夜、甲板を誰かが動いている気配があり、一同が騒ぎ出す。ひとり、船長室にいる笠井なのか。笠井は、食糧の缶詰を盗んでいたところであった。その時、異様な人間が目の前に現れ、盗んだ缶詰をバラまき、皆のところへ逃げてきた。廊下を何者かの影が迫る。部屋に閉じこもる皆の前で、ドアのノブがまわっている。そして、そこに現れたのは、全身キノコのような肌と化した怪物のような人間だったのである。悲鳴をあげる麻美と明子----その夜は、その怪人は姿を消し、何ごともなく済んだ。しかし、幻かとも思えた怪人の足跡がしっかりと浜についているにおよんで、島からの脱出を急ぐ一同。
 この怪人物をメーキャップも入念に施して演じたのが天本英世であった。顔を少しも見せない演技ながら、引きずる足、伸ばす手と、怪人・マタンゴの不気味さをうまく表現した。

 食糧もなくなり、怪物も現れ、飢えと恐怖で衝突する一同。小山は、雨が降ったら食糧探しもしないなんて何ごとだと怒り狂い、全員、食糧探しに向かうことになる。
 その日、吉田は薬用アルコールで酒を作り、笠井があの日、食糧を盗もうとしたことを口汚く罵り、酔った勢いで、銃を持って昨日の化け物退治にいってくる、という。笠井は、この船の乗員かもしれないからやめろというが、制止を振りきる吉田。そして、吉田が戻ってきた時、満腹顔で晩飯はいらん、という。「キノコを食べたんじゃないだろうな」という村井。笑って吉田は答えない。
 小山は海ガメの卵を見つけ、隠したり、笠井に1万円で売ったり、笠井は作田に、ふたりでヨットで逃げよう、といったり、皆は次第におかしくなっていく。
 そのうち、作田がひとり食料を持ってヨットで逃げ、キノコを食った吉田は、気がおかしくなり、銃を突きつけて、麻美と明子を連れていこうとする。戻ってきた小山は射殺され、やっと取り押さえられた吉田と麻美は、船から外へと追放される----
 笠井は、もうプレッシャーに耐えられなくなり、村井に自分を殺してくれ、という。お前の食料ぐらい何とかしてやるよと、村井と明子は、食料を探しにいくが、その留守中、麻美が現れ(メーキャップがキノコを連想させるもので、口紅の毒々しさがすごい)、彼を食料があると、森に連れていく。森の奥にあるキノコの森----麻美はキノコを食べ、「おいしい。もっと早くわかっていれば……」と笑い、笠井もむさぼるように食べる。しかし、現れるキノコに侵された怪物・マタンゴ----笠井の悲鳴は、森の奥にただこだまするだけだった。
 残った村井と明子に、ついに、襲いかかってくる怪人マタンゴの群れ。村井は銃で立ち向かうが、追ううちに明子が連れ去られる。明子の姿が見えないことに気づき、森の奥へと走る村井!
 森の奥で雨を受けて、刻々と伸びていくキノコたち。不気味なキノコの笑い声が森を包み込む。奥から明子の声が聞こえる。
「先〜生〜、先〜生〜」
 その顔は紅潮し、キノコを口に運び、ニッコリと笑う明子。愕然とする村井。
「おいしいわ……本当よ」
 村井は、彼女を連れていこうとするが、まるで小さな山のようにキノコの怪物と化したマタンゴが不気味な笑い声をあげて、村井に襲いかかる。笑っている半分キノコになった吉田や麻美……悲鳴をあげ、逃げる村井。次々と彼の身体を包み込もうとするマタンゴ。半狂乱になって、村井は浜へとたどりつき、ヨットで脱出した。
「それから長いこと夜がきて、朝がきて、また夜がきて----救助されてからの記憶はありません。でも、僕は今、後悔してます。本当にあの人を愛してるのなら、僕もキノコを食い、キノコになり、ふたりであの島で暮らすべきでした。そうじゃありませんか、生きて帰ってきちがいにされるくらいなら。バカでした、僕は。ひと切れも食べなかったんです。どんなに苦しくても、あの人を苦しめ、自分も苦しめ、最後までキノコを食べなかったんです。いったい、何のために!」
 それまで、背を向け続けていた村井が振り向くと、その顔はキノコにおかされ、変身がはじまっていた。なだめる医師。
「いやいや、君だけでも戻ってきたのは祝福すべきことなんだよ」
「そうでしょうか。東京だって同じことじゃありませんか。人間が人間らしさを失って、同じですよ、あの島で暮らしたほうが幸せだったんです……」
 窓の外から見える夜の東京の毒々しいイルミネーションのアップになり、音楽が盛りあがって終わっていく……。
 特撮は、本編のドラマのあくまでフォローであり、一歩も自らを主張させることなく、本編のドラマ部分を支え続けた。円谷作品というよりは、この作品こそ『ガス人間第一号』(60)と並び本多猪四郎作品というべきだろう。
 東京が、いや人間社会はあの島と同じだ、あの島でキノコになったほうが幸せだったという村井の呟きがテーマを語っている。
 まるで、人間をあざ笑うかのようなキノコの森の笑い声、のちに、円谷プロのケムール人やバルタン星人にも流用されたマタンゴの不気味な笑い声----明るい健全娯楽をモットーとした東宝特撮の中でも、もっともペシミスティックに作りあげられた作品であった。

初出 実業之日本社『円谷英二の映像世界』(竹内博、山本眞吾・編)円谷英二主要作品解説 昭和581983)年12月刊行】


国産SF映画復興の突破口が 87年公開・製作準備の作品から見えてくるのだろうか?

ホタルの光は生命(いのち)の炎……

デン・フィルムの合成が生むワンダー映像の世界


特撮が物語のテーマと
情感を象徴する『螢川』

 この1月下旬から全国松竹系で公開される映画『螢川』(製作:キネマ東京・日映、原作:宮本輝、監督:須川栄三)の試写を観ることができた。
 11月号で触れたように、この作品はデン・フィルム・エフェクトが合成シーンを担当した作品で、特撮ファン、映画ファン、必見のできとなった。今月は、いろいろな新作情報について触れるわけだが、まずは公開直前であるこの作品から本文に入っていってみよう。
 冬から春、夏にかけての長期にわたる富山のロケーション撮影がまずすばらしい効果を出していて、物語が展開する昭和371962)年の日本の地方街を気持ちよくスクリーンの中に再現----これほど日本の四季を美しくとらえている映画は、久々なのではないだろうか!?
 映画界の大ベテランである姫田真佐久キャメラマンの映像がともかく見事で、合成以前に、この映画は第1級の劇場映画となった。『螢川』の映画化を念願としていた須川監督、姫田キャメラマンだが、劇場映画の風格が作品ににじみ出ていて、観ごたえ満点となったのも、その素材への執念だったのだろう。
 物語は、「春の4月に大雪が降った年は、夏のある夜、川の上流の誰も人のいない場所で、何万もの蛍が空を飛び、狂い咲く」という話があって、いろいろな悲しみや人々の心に触れた14歳の主人公・竜夫と英子がラストに見るものは……という展開である。
 本編の演出意図にこたえる、エモーショナルで、ドラマチックな特撮であり、この作品の特撮ほど、ドラマと四つに組んだ合成は、そうないのではないか。リアルなロケーション撮影と少しも違和感を生まぬ合成シーンのドラマ的な厚みがうれしい。
 左ページがそのラスト・シーンの一部で、飛ぶホタルも奥から手前にかけて、5層に近い奥行きを作っていて、エメラルド・グリーンの光も妖しく、そして美しく、3ヶ月にわたって、マスク・ワークとオプチカルに挑んだデン・フィルムのねばりが画面に結晶化している。
 右下の2枚のマスクを見てもらえればわかるが、これは中央1番下のシーンのマスクで、奥と手前の情景のマスクを変え、奥を飛ぶホタルと手前を飛ぶホタルのマスキングを変えているのだ。5種類近いマスクを併用するのは、ザラで、乱れ飛ぶホタルの動きとムードを生むための8重合成のシーンもあった。
 このホタルのシーンの前に、川を上流にのぼっていくシーンがあるのだが、そこの十朱幸代、殿山泰司、坂詰貴之のセリフがすばらしく、全編の主人公ふたりの描写とあわせて、このホタルのクライマックス・シーンにさまざまな想いをだぶらせ、圧巻の演出となった。
 特撮で見るタイプの映画ではないのだが、特撮が物語のテーマと情感を象徴しているわけで、このタイプのアプローチを日本映画が掌中にして育てていけば、日本の娯楽映画も新しい突破口を見つけられるのではないだろうか。
 あらゆる特撮ファンに見ていただきたい、久々の快作である。
 右ページの写真は、特殊メーキャップ工房の“FUN HOUSE(代表:原口智生)”の最近の仕事で、上の2枚が小林信彦原作、那須博之監督の映画で、現在公開中の『紳士同盟』。
 サギ師である尾藤イサオと三宅裕司の変装を特殊メイクで表現したのだ。尾藤イサオのほうは、目元と口元を除く、顔のすべて(鼻や頬、額も含めて)が1枚のアプライアンスで、ベロッと顎に手をかけて変装をはがすシーンがあるため、テストで何パーツかにわけていたアプライアンスを1枚で作り出した。三宅裕司のほうは、タバコのヤニで真っ黒になった歯と金歯を義歯で表現、写真で見える歯は、すべて実際の歯の上にかぶせた義歯であった。
 地味な特殊メイクだが、「『スパイ大作戦』(67/フジテレビ)のノリでいきたい」という監督の発注で、こういう方向で使われる特殊メイクは、これから日本映画にどんどん増えていくと思う。スプラッタばかりが特殊メイクの道ではないのだ。
 FUN HOUSEは、昭和621987)年3月にクランク・イン予定のディレクターズ・カンパニー、伊丹プロ製作の黒沢清監督のオカルト作品『悪霊(サイキック)』の仕事が決まっていて、原口智生さんの特殊メイクを存分に見ることができる予定だ。この作品は、ある洋館をペンションに改造しようとして訪れた父娘と父親が再婚する予定の女性が、この建物に眠る霊を起こすことになり、巻き起こる怪奇現象……というストーリーで、撮影に『星空のむこうの国』(86/監督:小中和哉)の瓜生敏彦キャメラマン、美術に今月号の7ページで紹介している林海象監督の宇宙人が出るプロモーション・フィルムで、美術を担当していた丸山裕司美術監督のスタッフが決定している。
 手塚眞監督の『妖怪天国』(86)で、日本の怪談風の特殊メイクに挑んだFUN HOUSEが今度は、現代のオカルトにどうチャレンジするのか、期待したい。

実相寺昭雄監督の映像が踊る!
本編が生み出す異空間の興奮
広がっていく未体験ゾーン!!

泉鏡花を全セット撮影
TV『青い沼の女』

 昭和611986)年114日、日本テレビの「火曜サスペンス劇場」の2時間ドラマで、実相寺昭雄監督の『青い沼の女』(原作:泉鏡花、脚本:岸田理生、制作:コダイ)が放映され、TV『怪奇大作戦』(68/TBS)、映画『無常』(70/監督:実相寺昭雄)、映画『(うた)』(72/監督:実相寺昭雄)のころから実相寺作品を追いかけてきたファンを喜ばせた。
 スタッフは、撮影:中堀正夫、美術:池谷仙克、照明:牛場賢二、編集:浦岡敬一、と実相寺組の“コダイ・グループ”勢揃いで、オカルティックな素材をオール・セットのビデオ撮影で作りあげ、並みいる2時間ドラマを圧倒するような、異様な空間を生み出していた。実相寺昭雄監督は、この『青い沼の女』について、こう語ってくれた。
「この作品は、沼もセットでやろう、歩く森も、林もセットでやろう、と美術の池谷(仙克)君が提案してきて、それで、こちらもやる気になったところがある。今度、池谷君と話してるのは、沼とか、林とか、原野と、そういうものを逆に、イメージ的にセットでやって、室内をロケ・セットでやる、といった組み合わせのものをやったらどうだろう!? 開放的なところを逆にセットにして、閉鎖的なところをロケにすれば、全然別種の映画の空間ができるんじゃないか。
 映画というのは、本来、成り立ちが大セット主義みたいなものがある。そういう面は、最近の映画に欠けてるからね。TVなんか特に欠けてる。レンズもかなり詰めているので、いろいろな大きさが表現できなくなっているんだよね。
 今回は、霊媒のところで、ふたつケーブル移動のレールを上に作った。廊下から階段にかけて、Rのついたやつと円形移動。もう少し改良して、これからも移動を組み込んだ撮影をやっていきたい。
 後、今回は、“ET36”というTVのカメラだから(『波の盆』(83/NTV)でも使用したビデオカメラ)、だいぶ映像のディテールがフィルムと違ったものが出せたということはあると思う」
 脚本にはない描写も作品には続出したという。霊媒シーンはその典型だ。
「台本通り、水絵なんていうのもスケッチ・ブックに手で描かずに、ワープロにしたり、霊媒も何かメカから音を聞いたりとしたり、そういうやり口がないと、まるっきり見ている人と接点のない作り物みたいになってしまう。ああいうディテールというのは、『フフフッ』と笑えるおもしろさと同時に、何か味つけになるものなんだね(笑)」
 実相寺監督は、今年中に劇場用のオカルト作品にかかるかもしれないそうで、『怪奇大作戦』のころからのファンとしては、さらにバリバリと新作に取り組んで、ファンを楽しませてほしい。
 実相寺ファンにもうひとつの大ニュース。4月に、東京の国電(現・JR)有楽町駅前のそごうデパート8Fの映像カルチャーホールで、日本映像カルチャー・センター主催で、実相寺監督の映画、TV、CF、バラエティ、PR映画、ドキュメンタリーが2週間連続上映される予定がある。日程はまだ、はっきりしないが、『ぴあ』の自主上映の欄を4月が近づいたら注意して見ていて下さい。
 この119ページにズラッと並べた写真は、自主映画界にこの作品あり、とうたわれる、傑作ファンタジーである8ミリ映画『夢で逢いましょう』(脚本・監督・撮影・編集:植岡喜晴、2時間14分、1984年作品)のスチール写真である。ストーリーは、幻の“うたかたの花”を求めて放浪の旅に出る本町杢太郎、その妹で兄を慕うより子は、兄に捨てられたことから自殺を試みて天国へ。現れるのは、天使のひさうちさん(ひさうちみちお)、天女、観音さん。物語は、天国から地獄、夢の世界、現実を交錯してつなぎ、おかまの悪魔(手塚眞)から宮澤賢治(あがた森魚)、サン=テグジュペリまで登場して、関西弁のイントネーションを基本リズムに摩訶不思議なファンタジー世界が展開していくのである。池袋文芸坐やイメージフォーラムで、年に1回は上映される作品だが、ビデオ化されることが今、一番望まれている作品でもある。『夢みるように眠りたい』(86)を作った林海象監督は、この作品を見て、『映画っておもしろいなぁ!』と、映画作りに乗り出していったそうで、この作品を初めて見た時は、その出来に仰天したという。
 シナリオの構築が交錯するストーリーをよく処理していて、作者の才能を痛感させるが、その植岡喜晴さんが脚本と監督を手がけた、つみきみほ主演のファンタスティック劇場映画が製作進行中で、タイトルがまだ未定なのだが、5月劇場公開される予定である。初の35ミリ映画であり、この植岡喜晴さんの才能が一般映画ファンに知られるのは、まことに喜ばしい。
 現在、詳しくは書けないのだが、荒俣宏の『帝都物語』がついに劇場映画として動き出した。春には製作発表の予定だ。小中和哉、林海象と、新しい才能もその力を出しつつあり、1987年、日本の特撮も長いトンネルの出口の光がようやく見えてきたようである。

初出『月刊 スターログ』19872月号 日本特撮秘史 国産SF映画復興のために SFX GRAPHIC ALBUM 51(連載最終回)


林海象監督デビュー作品 『夢みるように眠りたい』

これより御高覧に入れまするは摩訶不思議なるモノクロ・サイレント最新作


僕らの心に中にある懐かしき
昭和時代再現

月島家令嬢誘拐事件を
私立探偵・魚塚が追う

 岡本喜八監督の最新作『ジャズ大名』を観て、その歌舞伎調の出だし、アメリカの黒人解放の物語を巻頭に持ってきて、日本へ行くまで英語の会話の上に、方言丸出しの日本語のセリフをかぶせて、平然と15分も進んでいくストーリーにびっくりしながら、岡本監督の“自分自身のイメージとリズム、語り方でオレは映画を作っていくぞ”という心意気を感じて、うれしくなってしまった。
 城の中に街道があるというバカバカしさ、城主の妹がソロバンで廊下を走ったり、城の地下牢でジャズの大ジャム・セッション……。
 最近の日本映画に蔓延してしまった、主人公が登場、脇役を紹介しながらストーリーを見せ、クライマックスという定型への配慮など、どこ吹く風、中盤のふくらみ(例えば、ジャム・セッションの真上の街道で、近藤勇と鞍馬天狗の一騎打ちがあって、いつの間にか、ジャズのリズムで剣戟しているというスペクタクル冗談)があれば最高だったが、お上(かみ)が何をやっても庶民は庶民のリズムでいこう、というテーマも含め、思わず興奮して、笑って、感激してしまった。
 デタラメな映画では困るが、僕らは個性的な映画が観たいのだ----そんな想いを感じていた時、1本の映画に出会い、仰天することとなった。この531日から、シネセゾン渋谷で公開中の『夢みるように眠りたい』(製作・脚本・監督:林海象〔はやしかいぞう〕)がその作品で、ぜひこの作品に触れてほしい、と取りあげることにした。
 この映画はモノクロ、人間のセリフはほとんど字幕というニュー・サイレント映画(音楽、効果音は随所に入ります)で、僕らの心の中にある懐かしき昭和時代(昭和初期のようにも、昭和30年代のようにも思える。28歳の監督の少年時代の記憶をオーバーラップしているからなのだろう)の東京を舞台に、月島家の令嬢・桔梗が誘拐され、次々と謎の言葉の手がかりを残して挑戦する犯人“Mパテー商会”を追う魚塚探偵と助手の小林の活躍、頭脳戦を描くミステリアス・ファンタジー作品なのだ。
 16ミリ作品なのだが、モノクロの画面が異様なまでに美しく、謎の手品師、将軍塔とは何か、地球ゴマの謎とは一体……いつしか字幕のセリフ処理も気にならなくなる演出力----なかなかの力作なのだ。

シナリオは10日で執筆
それを変更なしで撮影

 この作品は、シネセゾン渋谷で約1ヶ月間公開され、地方公開の予定もあり、ビクター音楽産業から6月にはVHDで、7月にはビデオ化の予定で進行中なので、ぜひどれかで観てもらいたいものだが、全編モノクロで、登場人物のセリフは90%以上が字幕、という手法を使ったのは、なぜなのだろう。手法は特殊だが、娯楽映画として評価してもらいたい内容で、この作品がデビュー作である28歳の林海象監督に少しインタビューを試みることにしてみよう。
「この映画の企画は、最初、僕とあがた森魚さんと映画を1本ずつ撮ろうという話があって、まず僕のほうからあげようという話で、シナリオをあげたんです。あがたさんとは、以前『イーハトーボーの月光音楽祭』という宮澤賢治の原作で、温めていた映画の企画で一緒にしたことがありまして、それは戸川純の主演の予定だったんですが、企画自体つぶれまして。かなりいい企画だったんですが、それ以来のつき合いです。ただ、あがたさんのほうのシナリオはあがらず、1本だけになったわけです。
 企画としては、ラスト・シーンを追いかける、失われたラスト・シーンを作りたい、という想いがあったんです。僕は幻想文学とか、澁澤龍彦の植物学とか、異常にスキなんです。ただ、そのままやると、かなり趣味性の高い話になってしまうので、そのロジックを娯楽映画の中で表現するにはどうしたらいいだろう、と考えた作品だったんです。ロシアの人形で開けても、開けても、同じ形の人形があったりとか、相対する鏡の中にはいくらでも鏡像があったりとか、メンソレータムのふたには、メンソレータムを持っている女の子がいて、そのフタにはまたメンソレータムを持った子がいて、どこまで続いているんだろう……とか、昔からよく考えていたんです。割とそういう終わらない構造がスキで、メインのストーリーの裏に、もうひとつ底にストーリーを流す、そういう影響が出ている作品なのかもしれません。
 シナリオは、昭和591984)年の10月に約10日間で書きまして、撮ったのもそのシナリオで、一切変えていません。スタッフを集めるにも同じシナリオです。普通は、そういうのはいけないんですが、自分がワガママで、どうしても変えたくなかったんです」

「映画青年の脚本だねぇ」といわれながら
撮影、照明、美術のプロを口説き落とす

 この映画はシナリオ完成時、ひとりのスタッフもいなかった。林監督は、撮影、照明、美術と、プロのスタッフをひとり、ひとり、説得して集める作業に乗り出していくのである。
「集めたスタッフは、まず撮影です。カメラがまずいい人でないとダメですから、目が欲しいと思ったんです。ところが、全然知り合いがいないので、たまたま長田(ながた)勇市キャメラマンがほんの少し会ったことがあって、長田さんに会わせてくれた知り合いに聞いたら、『長田さんは、『TATTOO』をやってる』と。『TATTOO〔刺青〕あり』(82/監督:高橋伴明)は、割とカメラがスキだったので、ともかく読んでもらおう、と思ったんです。そこで、つまらない、と言われたら、多分、プロの世界では成立しない話だと思ったでしょう。
 その場で読んでもらったら、『映画青年のシナリオだねぇ』という話になりまして。で、もし、これをやるとしたら手伝ってもらえますか、と聞いたら、長田さんも僕を傷つけまいとしたのか、『もし、本当にやるのならやりましょう』。『いつ空いてますか?』と、追いうちをかけるように言いましたら、『来年の2月からなら空いてる』という話で、『じゃ、2月からクランク・インするつもりですからヨロシク』と、別れたんです。後は、照明が欲しい。照明は、あがたさんのツテで長田(おさだ)達也さんを連れてきてもらったんです。この3人のチームで年内動きまして、どうしても美術が欲しくなってくるわけですよ」
 そして、映画美術では、『肉体の門』(64/以下、監督:鈴木清順)、『けんかえれじい』(66)、『ツィゴイネルワイゼン』(80)の大ベテラン・木村威夫美術監督に相談を持ちかけ、シナリオを読んでもらい、「やりましょう!」という話になったのだという。
 撮影は、昭和601985)年210日から、26日までの17日間であった。
 この作品の劇中フィルムである無声映画『永遠の謎』は、1度上映したフィルムを、秒24コマで和紙のザラザラしたスクリーンに映写し、それをガムテープ4つの筒の形にくっつけたものをカメラのレンズの前につけ、前のガラスにリップクリームとメンソレータムで周りをボカシ、秒16コマで再撮影して作り出した。システムは、右のページの林監督が描いてくれたイラストを見ればわかろう。
 この手作りにして、プロフェッショナルな映画作り。作品論は、次号でもう1度触れる。このイマジネイティブな快作にぜひ出会って下さい!!

将軍塔の見える花の中で星が舞う
地球ゴマが語る手がかりては?
魚塚探偵の活躍や如何

「一応、絵コンテは全カット作ったのですが、長田キャメラマンによると、これは絵コンテではないそうで、長田キャメラマン、長田照明監督、木村威夫美術監督は、僕の演出意図を汲んで、画面作りをしてくれました」(林監督・談)

初出『月刊 スターログ』19867月号 日本特撮秘史 国産SF映画復興のために SFX GRAPHIC ALBUM 44