「池田憲章のわくわく怪獣ランド」第7話

後ろ姿が絵になるいかす怪獣(やつ)!!

 仲間うちで、年に一回やっている“特撮ベスト10”の季節がまたやってきて、「カッコいいデザインの怪獣」というアンケートをみつめながら、いろいろな怪獣の勇姿を思い浮かべた。このベスト10は、ビデオを編集して2時間分のベスト10テープを作って、皆でお酒を飲みながらそれをみる、という酔狂企画で、いい加減に選ぶと、本当にカッコいいかどうかを映像でみられてしまう……こいつは悩んだ。
 そして、僕の結論は、やはりと言えばいいのか、ベスト1が“ゴジラ”であった。
 ゴジラのどこがすごいか。前からみてよし、斜め前がまたよし、横からみてよし、斜め後ろからみてまた抜群のカッコよさ、そして、後ろからみても長い尻尾と背びれがつける表情……とほとんど全角度、どこからみても絵になるのである。こんな怪獣は、世界でも類例がない!
 これは、なぜか。実は、アニメ雑誌の編集をした時、気づいたことなのだが、ロボット2体が対決しているシーンを描いてもらうと、一体のロボットの顔は、まずみえなくなってしまう。ところが、ゴジラは爬虫類なので、口は耳まで裂けてるし、目は顔の側面についている----かなり斜め後ろでも表情のある顔がみえるのだ(これは、実はウルトラマンも同じなのだ。“爬虫類みたいな顔”と言われるのもよくわかる)。さらに、ゴジラの場合、そびえたつ分厚い背びれと長い尾が表情をつけ加える。昔、イラストレーターの開田裕治さんが東宝のイベント用にゴジラのTシャツにイラストを描いたのだが、これも後ろ姿のゴジラで、背びれと少し振り向き加減の表情がすばらしいイラストだった。後ろ姿のほうが絵になってしまう怪獣----こんな渋い怪獣はそうはいない。
 ゴジラには、初代の幽鬼のように燃える闇の東京に立つ映像、パワフルな『キングコング対ゴジラ』のエネルギッシュな動き、放射能火炎を吐く際、光る背びれの超イメージ映像……と、世界の怪獣王のひとりと言われるのも無理はないのである。
 ♪親しき友と酒飲みながら、ワイワイ怪獣ベスト10をみる。また楽しからずや!!

初出 徳間書店『SFadventure1988年7月号】


『ジキルとハイド』

レイプ! レイプ! 空前絶後のSF強姦ホラー!


『プリズナーNo.6』よ、
われらの勝ちだ!

 日本のSFテレビの中で忘れがたい一本を選んで下さい、ともし言われたら、少し考えるだろうが、ほとんど世間に知られていない東宝とフジテレビが昭和441969)年に製作した、1時間カラーの13本シリーズ『ジキルとハイド』を選んでしまうだろう。
 個人的には、イギリスに『プリズナーNo.6』(6768)があれば、日本には『ジキルとハイド』あり、と言いたいほどで、その不条理にも似た人間の内面心理をビジュアル化した演出スタイル、特撮など頼りにもせず、カケラすらないドラマティックなSFタッチ、ゴールデン・アワーの時間枠で企画されたとは、とても信じられぬ“汚れなき者を汚してみたい、という人間の仮面の下に隠された欲望”を真っ正面から描く空前のバイオレンスとレイプ・シーンの連続、そして、計算され抜いた、叩きつけるようなセリフの醍醐味、主演の丹波哲郎、露口茂、松尾嘉代の白熱する演技……と、そのインパクトで、勝るとも劣らぬパッションあふれる<大人の>テレビドラマであった。テレビドラマすべてを考えても、日本でもっとも先鋭的な作品だった、と思う。
 メイン監督は、フジテレビの局プロデューサーも兼ねていた『トップ屋』(60)、『三匹の侍』(63)、『刑事(デカ)』(65)、『岡っ引きどぶ・どぶ野郎』(72)の五社英雄。当時、40歳で、テレビ時代を代表するカラー作品となった。そのシリーズの演出スタイルは、エネルギッシュな五社演出の第1話で完璧な作品の方向性と映像を完成させている。
 スタッフは、「よくぞ集めた」という映画ファンなら息をのむそうそうたるメンバーで、まず監督から紹介すると、TBSを辞めた直後の『七人の刑事』(61)で、数々の野心作を生んだ今野勉と村木良彦(のちに、ふたりとも“テレビマンユニオン”の設立メンバーに参加する)。東宝映画の“ネオ・ハードボイルド”の新鋭となる『死ぬにはまだ早い』(69)、『白昼の襲撃』(70)、『豹は走った』(70)の西村潔、『東京湾炎上』(75)、『白熱(デッドヒート)』(77)の石田勝心。ふたりともテレビドラマとテレビムービーのミステリーに長く活躍。五社演出に負けぬ繊細な心理描写が冴えた。
 そして、新東宝、国際放映の出身で、『君待てども』(74/フジテレビ)や東宝テレビの『日本沈没』(74/TBS)と特撮テレビも得意で、『コメットさん』(67/TBS)や『恐怖劇場アンバランス』(69/フジテレビ)で、市川森一と名コンビを組んだ山際永三。シリーズのラストに、心情のたぎりを描く山際演出が『ジキルとハイド』のハイテンションのクロージングを作りあげた。
 シリーズ構成は、“出雲五郎”のペンネームも併用して、7話を書きあげた、まだ東宝文芸部に在籍していた若き28歳の長坂秀佳。
 そのほか脚本家は、『海底大戦争』(66/監督:佐藤肇)や『吸血鬼ゴケミドロ』(68/監督:佐藤肇)と、日本ホラー映画の知る人ぞ知る名手・佐藤肇監督の右腕のひとりだった『七人の刑事』(61/TBS)の大津皓一。そして、『ウルトラQ』(66/TBS)の「鳥を見た!」や「カネゴンの繭」、三島由紀夫原作の『鏡子の家』(62/TBS)などのテレビドラマの脚本で知られた山田正弘。岡本喜八監督の『殺人狂時代』(67)、山本迪夫監督の『血を吸う眼』(71)、『東京バイパス指令』(68/NTV)、『鬼平犯科帳』(71/NET)、『太陽にほえろ!』(7286/NTV)の小川英。
 タイトル・バックは、篠山紀信の印象的なヌード写真のスチール処理で、女声コーラスを盛り込む変身シーンにも使われた佐藤勝作曲のテーマ曲が抜群で、本編の音楽は泉光二と、まさに異彩あふれる映画界、テレビ界の混成スタッフであった。
 13本のシリーズとして完成しながら、ホラー・ブームが去った、という理由でオクラになり(当時、新聞に載ったそんな記事を読んだが、実際は、あまりに内容と演出が過激すぎた、というのが本当の理由じゃなかろうか!?)、同時期に、円谷プロとフジテレビが製作していた『恐怖劇場アンバランス』とともに、テレビ放送されたのは、製作から3年後の昭和4873)年の夜11時台の深夜番組という有様で、やっと見られるのか、とテレビの前にかじりついて見たものだ。
 ところが、バイオレンス・タッチに圧倒されて(丹波哲郎のハイドが人間を殴り殺すシーンに唖然呆然)、“スゴイ”とは憶えていても、内容はすっかり頭から吹っ飛び(頭が作品のショックでバーストしてしまったらしい。高校生にはそれほどショッキングだった)、友人の中島紳介さんや徳木吉春さんという熱心なテレビファンと話す時も全員が“スゴかった”としか憶えていない(笑)状態で、テレビ神奈川の再放送を見て、やっと内容がはっきりわかったくらいであった。

レイプ! レイプ! レイプ!

 滅多にない機会だから、第1話「けものの薬」(脚本:大津浩<皓一>、監督:五社英雄)を少し紹介して、作品のムードを楽しんでもらおう。季節は蒸せるような夏の一日----
 白髪の慈木留博士(丹波哲郎)の診療室に、警視庁から殺人未遂容疑者の杉本カヨの日誌が届き、博士は看護婦に読ませている。
 看護婦の汗ばむ胸の谷間や、足を組んでスカートから出た太ももを見つめる慈木留。押し倒し、服を剥いでいく幻想がコラージュされていく----それは慈木留の、男としての心の奥底に息づく妄想であった。最初からコレデスカラ----。
 杉本カヨは、ある強迫観念にとらわれ、対人恐怖というか、少女時代から社会に馴染めない少女だった(このセリフの密度を見よ!)。
6歳の時、私は小学校にあがりました。でも、その入学式の時の恐怖は、いまだに忘れられないものがあります。というのは、私は、それまであんなに多くの人間が一時に一所に集まっているのを見たことがなかったからです。私は、その小さな子供たちが大人と一緒に私を襲ってくるのではないか、という恐怖にかられ、大声をあげ、泣き叫んだのを憶えています。それから私は学校へ行くのを恐れました。何かと病気を見つけては休み、1年の半分以上は休んだのを憶えています。そして、やたらに薬を飲まねば心が落ち着かぬようになり、とうとう最後にはインクや墨汁さえも飲むようになり、最後は私自身で作ったLSDを飲み、恍惚としてすべてを忘れて私だけの世界を楽しむようになりました。でも、その薬を飲んだ後のことは憶えておりません……」
「やはり、中毒異常なんですね……一体、どんな幻覚を見るのかしら。私も飲んでみたいわ(笑)」
と、陽気な看護婦。
「やめなさい!」と慈木留。その薬はひどく習慣性が残るアルカロイド流動体の薬品で、体には危険な代物だ、というのだ。
 警視庁には報告書を送るが、無罪かどうかは、裁判所が判断するところであった。
 窓の外を飛ぶカラスを見あげながら、「近頃、鳥が増えたね」と、呟く博士。
ナレーション「この総合病院の副院長、そして、神経科の部長でもある慈木留(君彦)博士は、59歳という年齢よりも老けて見えた。日本でも十指のうちに数えられるこの総合病院は、明治のはじめに信仰あつかった彼の妻の祖父が開設した慈善病院で、何度か戦災や火事で焼けたが、その度に大きくなり、今は都内の総合病院として大きく名を残すようになった。彼の最初の妻は、彼がその病院の書生時代に、先代の院長が彼を認めてめあわせたものだが、20年前に死亡。そして、現代になって、彼とおよそ20も違う二代目の院長の四女を妻にしていた。慈木留美奈(松尾嘉代)、32歳、祖父ゆずりの信仰あつい女性である(自宅へと帰ってくる博士。和服姿の清楚な美奈が映る)。だが、こうした恵まれた家庭にありながら、彼はかすかな不安に、絶えず神経をいらだたせていた。実態のない不安、現代に生きている人間我々なら誰でも持っているであろう不安----それが彼の場合、私たちよりやや濃い目の不安を抱いていた。しかし、彼自身の表面はけっこう楽しく、けっこう満たされた平凡な生活……(自宅の研究室で、薬品を調合していく)。だが、あの薬の改良と開発にかかってから彼の生活は変わった。いや、変わったというのは、我々の見た目によってである。彼自身の場合、その薬を飲んだ後の自分について、全く記憶がなかったからである。そして、自分の体にどんな変化をもたらし、また、どんな行動をとったかについても----。しかし、やや習慣性を持ったその薬は、彼のかすかな実態のない不安を解消してくれる代わりに、およそ科学的な常識では解明できかねる変化を彼に与えた。昨夜も彼はその薬を口にした……」
 テーマ曲が盛りあがり、ビーカー内の緑色のドロリとした溶液を飲む慈木留博士。広角レンズと赤や緑の照明とミラーやかきむしる手と、合成を全く使用しない不条理にも似たカット・ワークで、丹波哲郎は、白髪の初老の慈木留から、精悍で凶暴な瞳と黒髪の男性・ハイドへと変身していく!
 夜の街へと、黒いフロックコートを着て出て行った男は、暴力バーへと入り、酒代で難クセをつけられるや、いきなり殴り、蹴り、パンチを連続して、壁ぎわに殴りつけられたバーの用心棒は、口から血を吹いて死んでいった。
 夜の街をさまよう男は、車の中で抱き合う若いカップルの男を車外に引き出し(恐怖に女を残して逃げてしまうサラリーマン風の青年)、墓場へと女を追いつめて犯しまくる。夜警のガードマンが注意すると、20センチくらいの岩を掴んで、その岩で頭を殴り、悲鳴をあげてガードマンは即死するのであった。
 車のバックミラーで自分の顔を見たハイドは、叫び声をあげて、女を残して、夜の闇へと走っていった。慈木留博士は早朝、遊園地で寝ている自分を発見する。幻覚のようにブランコに乗る少女のイメージが残っている。一体、昨夜は何を自分がやったのだろうか!?
 
毎週、丹波のレイプが
日常の仮面を剥ぐ!

 スティーンヴンソンの小説『ジキル博士とハイド氏』の映画化は、昔から数多いが、いずれも特殊メイクで野獣のような怪人に変身した。だが、この『ジキルとハイド』は、白髪の老人メイクの丹波を、凶暴で暴力的でエネルギッシュな日常の丹波の悪役キャラに変えるのが出色で(まさに仮面を取り、自分に戻るわけだ)、“獣人”というイメージでないのがお見事。慈木留の屈折した心理描写も続出する。
 連続殺人と女性をレイプする謎の凶悪犯を追う警視庁捜査一課の毛利警部(露口茂)がレギュラーとなり、警察の犯罪捜査のアドバイスを求めに慈木留病院と博士邸を毛利は定期的に訪ねてくる。
 第1話の後半では、ハイドに博士の妻である美奈が襲われる。髪を掴まれ、和服もメチャクチャにレイプ寸前まで美奈は追い詰められるが、危機一髪、毛利警部が異常な物音に博士邸の玄関を破り、美奈を救出、彼女は抱きしめる毛利の腕の中で泣き伏した。
 物語はここを基本にして、毎回、変身したハイドが、医者の、政治家の、教師の、芸能界の、母親の、幸せな若者カップルの仮面の下に隠れたもうひとつの顔をこのバイオレンスの力で暴き出し、あらゆる人々がその暴力的なパワーの前に人間性を崩壊させていく。
 さらに、慈木留の貞淑な妻であるはずの美奈も、女子高生の時代に、自分の家庭教師の青年と母親の不倫のベッドシーンを夕立の中に帰宅して目撃、ショックを受け、若い青年が女性を求める心に強いトラウマを感じてしまう。そのため、彼女の家に下宿していて、恋人同士で巡査だった若き毛利に求婚されても、その想いを受け止めることができず----やがて、若者でもない20歳も年上の初老の慈木留君彦と結婚する道を選んだことが明かされていく。
 物語は次第に、慈木留と、ついにハイドに犯され、やがて、ハイドの来訪を待つようになっていく美奈、そして、直感で美奈の想いを知り、警察官ではなく男としてのプライベートな怒りで狂ったようにハイドを追う毛利----と、異様な感情のたぎりを描くクライマックスへとグレードをアップしていく!
 一本、一本が連続ストーリーというより、人間の二面性と、誰かに支配されたい、という人間の弱さ、汚れなき存在をサディスティックに痛めつける快感、そして、言い様のない不安感と閉塞感、それを破る変身と暴力の開放感を慈木留博士が止められなくなる。人間ドラマのジグソー・パズルのように見せ続けた。
 最終回の第13話「永遠の標」(脚本:出雲五郎=長坂秀佳、監督:山際永三)は、もう一度薬を飲めば、二度と慈木留に戻れない、というクライマックスを迎え、ハイドに変身、美奈とハイドを崇める女性を連れて逃亡する丹波(ハイド)を、毛利が殺すために追う、狂ったようなカットワークのラストとなる。そして、毛利が美奈のつけていたペンダントの光に目が眩み、誤って発砲して射った相手は誰かという驚愕のクロージングとなり、この恐るべき心理劇は、私たちが安住している日常がやがて崩壊する予感で終幕していく。
 脚本の長坂秀佳は、もうひとつのラストを書いていた、という話もあるが、この人間のたぎるようなパッション渦巻くラストがこの作品にはふさわしかった気もする。丹波哲郎の、セリフなしで絶対の自信を見せるハイドの力あふれた表情の不敵さが忘れられない!
(文中敬称略)

初出 洋泉社映画秘宝Vol.5 夕焼けTV番長』1996

キッチュ爆発!! 日本の怪談映画祭に注目せよ!

 東京の渋谷で、毎年、秋に開催される“東京ファンタスティック映画祭”も第4回を迎え、今年も『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』(87/監督:チン・シウトン)、『ヒドゥン』(87/監督:ジャック・ショルダー)、『ビートルジュース』(88/監督:ティム・バートン)と、見ごたえのある新作があり、SF映画、特撮ファン注目のイベントとなっている。
 どっこい、渋谷ばかりがファンタスティックじゃないのよ……というのが、横浜西口名画座(相鉄横浜駅改札前)で、この8811月から894月まで繰り広げられる“イタリアン・ファンタスティック・フィルムコレクション パート1。ランベルト・バーヴァとその仲間たち”と日本の特撮、SF、怪獣、怪談映画大集合の“ジャパニーズ・ファンタスティック・フィルムコレクション(仮題)”なのである。
 先行してはじまるのは、イタリア作品のほうで、121日〜3日『キャロルは真夜中に殺される』(86)、128日〜10日『暗闇の殺意』(83)、1215日〜17日『デモンズ2』(86)、1222日〜24日『オグル』(88)、1229日〜31日『アンティル・ディス』(88)と、年内は、ランベルト・バーヴァ監督のスプラッタ・ホラー作品を上映。『アンティル・ディス』はその中でも、不倫の末に夫を殺害して埋めてしまった妻と間男に復讐すべく地獄からよみがえった夫の復讐を描くスプラッタ・ホラーで、『デモンズ』で知られるハーヴァの総決算ともいうべき最新作だ。来年度には、ダリオ・アルジェントと並ぶイタリア・ホラーの雄ルチオ・フルチ監督の『ザ・サイキック』(77)、『サンゲリア(完全版)』(79)、『地獄の門』(80)や80年代の新作ホラーを上映する予定だ。詳しくは『ぴあ』や『シティロード』など、情報誌を参考にして下さい。
 ファン必見なのは、来年1月から開始される日本作品のオールナイト連続プログラムで、東宝の「ゴジラ」シリーズやSF映画、『白夫人の妖恋』(56/監督:豊田四郎、特技監督:円谷英二)や『大盗賊』(63/監督:谷口千吉、特技監督:円谷英二)のファンタジー映画から、新東宝の『亡霊怪猫屋敷』(58)、『憲兵と幽霊』(58)、『東海道四谷怪談』(59)、『地獄』(60)と、中川信夫監督ほかの怪談映画も勢揃い、大映の『虹男』(監督:牛原虚彦、音楽:伊福部昭の怪奇犯罪作品。円谷英二の特撮もあるぞ)や珍しい怪談作品、松竹の『吸血髑髏船』(68/監督:松野宏軌)、東映の『怪談せむし男』(65/監督:佐藤肇)、『黄金バット』(66/佐藤肇)……と揃えも揃えたり、もう幻に近い大蔵映画の『生首痴情事件』(67/監督:小川欽也)、『怪談バラバラ幽霊』(68/監督:小川欽也、扉ページに載せたやつ)や怪談映画も見つけて上映する、という凝りようである(大蔵映画の作品は、ネガもなく、これが最後の上映と思われる)。まだ、日程が決まっていないのが残念だが、ぜひ情報誌で確認して行ってほしい。
 上映作品の選定で、企画に参加したのが『帝都物語』(監督:実相寺昭雄)や『妖怪天国』(監督:手塚眞)、『異人たちの夏』(監督:大林宣彦)と、スペシャル・メイクで日本映画に活躍中の原口智生さんだ。今回の見どころを語ってもらおう。
「滅多に映画館で見られない日本のファンタスティック映画を特撮や怪談だけに限らず、ホラーを中心に集めました。日本の映画が何でも企画し、作れた時代の作品ばかりです。その映画的な豊かさと楽しさを思い切り堪能してほしいと思ってます。大映の『虹男』や東映の怪談もの、大蔵映画の作品は、この企画のために倉庫から探し出してもらった映画で、10年近く関東ではやっていない作品ばかりです。プリントも破損しているし、ネガさえ残っていない作品もありますし、これがフィルムで見られるラスト・チャンスという作品もあります。ぜひ見てほしいです」
----その作品たちの魅力は何ですか?
「昔は、新東宝の映画が持ってる、どこかいかがわしいイメージにひかれたんですが、よく見ると、一本、一本がシックで、企画も大胆だし、映画らしいムードにあふれている。中川信夫の作品なんか、ダリオ・アルジェントやルチオ・フルチにも通じる艶やかさがあって、遜色を感じないんです。日本の怪談映画や怪奇映画は、技術的にも今の目から見たってあなどれないですよ。特殊メイクの目で見ても、優れた技術が多いですね。こういう作品を見て、日本映画の企画の幅を広げたいんです。原作がなくても、怪談、そして、ホラーというだけで、さまざまな内容の作品を作っています。イタリアやアメリカの今の作品も同じですよ。中川信夫の『女吸血鬼』(59)なんて、天知茂の演じている吸血鬼は、天草四郎の子孫で、満月の光を浴びると、吸血鬼になってしまう破天荒さ、ああいう作り手のイメージの広げ方にひかれるんですね。特殊メイクだけじゃない、役者の演技で見せるドラマティックな怪奇ストーリーの魅力もぜひ見直してほしいんです」
 原口智生さんは、今、ビデオ用にスペシャル・メイクをふんだんに使った現代を舞台にした怪奇スリラー作品を準備中で、自ら脚本、監督を手がける予定という。スプラッタ一辺倒ではない、情感があふれる中川信夫のラインを再生しようとする映像企画だ。
 日本ファンタスティック映画の精髄をここに結集する891月〜4月の横浜西口名画座のイベントにご注目あれ!

初出 徳間書店『SFadventure』1989年1月号〜今月のチューザー】

血湧き肉躍る特撮とドラマの結婚 それが「ウルトラ」シリーズの魅力だ

怪獣評論家
池田憲章

『ウルトラQ』(66)が始まるまでの日本の子供向けSFテレビには、大別してふたつのジャンルが確立されていた。『スーパーマン』(52)の影響で生まれた『月光仮面』(58)や『遊星王子』(58)、『ナショナルキッド』(60)などのSFヒーローの実写ヒーロー活躍ものと、『鉄腕アトム』(63)、『鉄人28号』(63)、『エイトマン』(63)を御三家とするSFアニメのふたつである。
 そこに『ウルトラQ』は、特撮を駆使したドラマSFともいうべきジャンルを築いたのだ。この方向は、『ウルトラマン』(66)、『ウルトラセブン』(67)へも受け継がれ、これらの番組は、ヒーロー活劇の要素を組み入れながらも、特撮とドラマという2点に力を注ぐことによって、単なるヒーロー活劇とは、一線を画してきたのである。
 そして、『怪奇大作戦』(68)を得て、特撮ドラマSFは、ついにその地位を不動のものとする。ここで日本SFテレビは、実写ヒーロー活劇、SFアニメ、特撮ドラマSFの三つどもえの展開を始めるに至ったのだ。
『ウルトラQ』から『怪奇大作戦』までの番組を並べてみると、これら特撮ドラマSFのジャンルを確立したスタッフの才能と努力が並々ならぬことがよくわかる。

★『ウルトラQ』(昭和4112日〜73日)
 読み切りのSF短編集の性格を持つシリーズで、現代を舞台に、東京上空の四次元ゾーンに落ち込む超音速旅客機(『206便消滅す』)、東京に出現する古代の吸血植物(『マンモスフラワー』)、人生に絶望した人を別世界へと運ぶ異次元列車(『あけてくれ!』)、お金のことばかり考えている子供が変身したコイン怪獣・カネゴン(『カネゴンの繭』)、時を超えて出現する怪鳥・ラルゲユウスと少年の友情(『鳥を見た』)等々、現在でも十分魅力あふれるストーリーに満ち、ゴジラやラドンといったイメージしかなかった日本の怪獣ドラマの面目を一新した。
 モノクロの画面ながら、合成を多用する特撮イメージも新鮮で、特撮と物語の有機的なつながりは、特撮テレビの新時代への幕開けであった。

★『ウルトラマン』(昭和41717日〜昭和4249日)
 前作『ウルトラQ』に、“ウルトラマン”という巨大ヒーローと科学特捜隊という新要素を加えたシリーズで、カラー化、活劇化の傾向が入り、ウルトラマンと戦う怪獣というキャラクター自体が前作以上に作品の中で強く打ち出されている。
 身長40メートルの巨大な宇宙人が地球の平和を守るため、地球人・ハヤタと一心同体になり、危機となるや、元の宇宙人に変身するという特撮イメージは、その変身シーンやスペシウム光線などと共に見る子供たちを圧倒した。バルタン星人、アントラー、レッドキング、ゴモラと個性的でパワフルな怪獣がこのシリーズで最大の魅力だ。

★『ウルトラセブン』(昭和42101日〜昭和4398日)
 前作の『ウルトラマン』をよりSF的にパワーアップしたシリーズで、宇宙人の侵略と戦うM78星雲人・ウルトラセブンと地球防衛軍の精鋭・ウルトラ警備隊の活躍を描いている。
 ドラマも『ウルトラマン』に比べ、よりハードになり、青春もののムードに始まって、痛烈な社会風刺、壮絶な人間のドラマも続出した。地球防衛軍という全地球的な設定を脚本と演出、特撮の工夫でかろうじて使い切った、世界でも希有な快作である。冬木透のしゃれた音楽も印象的だ。

★『怪奇大作戦』(昭和43915日〜昭和4439日)
 あらゆる科学犯罪や難事件に、科学捜査で挑む“SRI(科学捜査研究所)”の活躍を描く犯罪科学ドラマ。『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』という特撮巨大ヒーローから円谷プロが大きく製作方針を転じたストーリーだった。特撮を駆使した新しい人間ドラマの創出だった。

『怪奇大作戦』は、人間たちによる人間社会のアンバランス・ゾーンを扱った物語だ。ここにはもう怪獣も宇宙人もいない。いるのは人間だけだ。人間の心が生み悲しいまでに人間的な物語が語り続けられた。
 犯罪、それは人間の欲望が、悪意が、怒りが、狂気が、弱さが、悲しさが、憎しみが生み出すものである。それをより的確に結晶させるために、SFと特撮が使われていた。特撮と人間ドラマの密度という点で、円谷プロのドラマ作品の頂点ともいうべき作品だ。
 これらの作品群を支えたのが、脚本の金城哲夫、山田正弘、上原正三、佐々木守、市川森一、石堂淑朗等々、それにTBS畑の演出家、円谷一、中川晴之助、飯島敏宏、実相寺昭雄、樋口祐三、東宝畑の梶田興治、野長瀬三摩地、長野卓、円谷プロの満田かずほ、鈴木俊継らのスタッフだった。
 彼らは、子供向けドラマとはいえ決して人間のドラマをおろそかにはしなかった。ある意味では、特撮の映像イメージと人間ドラマのドラマイメージが、これほど両者共にパワーを持って展開された作品は、ほかになかった、と言ってよい。
 特撮テレビにだって、やはり人間のドラマが大切なんだ、一本の映画なんだ、と改めて痛感させられたものである。

初出「月刊angle主催「ウルトラフェスティバルVol.2」パンフレット(1983719日、四谷公会堂)】
*満田監督の名前は正しくは禾に斉