『ジキルとハイド』

レイプ! レイプ! 空前絶後のSF強姦ホラー!


『プリズナーNo.6』よ、
われらの勝ちだ!

 日本のSFテレビの中で忘れがたい一本を選んで下さい、ともし言われたら、少し考えるだろうが、ほとんど世間に知られていない東宝とフジテレビが昭和441969)年に製作した、1時間カラーの13本シリーズ『ジキルとハイド』を選んでしまうだろう。
 個人的には、イギリスに『プリズナーNo.6』(6768)があれば、日本には『ジキルとハイド』あり、と言いたいほどで、その不条理にも似た人間の内面心理をビジュアル化した演出スタイル、特撮など頼りにもせず、カケラすらないドラマティックなSFタッチ、ゴールデン・アワーの時間枠で企画されたとは、とても信じられぬ“汚れなき者を汚してみたい、という人間の仮面の下に隠された欲望”を真っ正面から描く空前のバイオレンスとレイプ・シーンの連続、そして、計算され抜いた、叩きつけるようなセリフの醍醐味、主演の丹波哲郎、露口茂、松尾嘉代の白熱する演技……と、そのインパクトで、勝るとも劣らぬパッションあふれる<大人の>テレビドラマであった。テレビドラマすべてを考えても、日本でもっとも先鋭的な作品だった、と思う。
 メイン監督は、フジテレビの局プロデューサーも兼ねていた『トップ屋』(60)、『三匹の侍』(63)、『刑事(デカ)』(65)、『岡っ引きどぶ・どぶ野郎』(72)の五社英雄。当時、40歳で、テレビ時代を代表するカラー作品となった。そのシリーズの演出スタイルは、エネルギッシュな五社演出の第1話で完璧な作品の方向性と映像を完成させている。
 スタッフは、「よくぞ集めた」という映画ファンなら息をのむそうそうたるメンバーで、まず監督から紹介すると、TBSを辞めた直後の『七人の刑事』(61)で、数々の野心作を生んだ今野勉と村木良彦(のちに、ふたりとも“テレビマンユニオン”の設立メンバーに参加する)。東宝映画の“ネオ・ハードボイルド”の新鋭となる『死ぬにはまだ早い』(69)、『白昼の襲撃』(70)、『豹は走った』(70)の西村潔、『東京湾炎上』(75)、『白熱(デッドヒート)』(77)の石田勝心。ふたりともテレビドラマとテレビムービーのミステリーに長く活躍。五社演出に負けぬ繊細な心理描写が冴えた。
 そして、新東宝、国際放映の出身で、『君待てども』(74/フジテレビ)や東宝テレビの『日本沈没』(74/TBS)と特撮テレビも得意で、『コメットさん』(67/TBS)や『恐怖劇場アンバランス』(69/フジテレビ)で、市川森一と名コンビを組んだ山際永三。シリーズのラストに、心情のたぎりを描く山際演出が『ジキルとハイド』のハイテンションのクロージングを作りあげた。
 シリーズ構成は、“出雲五郎”のペンネームも併用して、7話を書きあげた、まだ東宝文芸部に在籍していた若き28歳の長坂秀佳。
 そのほか脚本家は、『海底大戦争』(66/監督:佐藤肇)や『吸血鬼ゴケミドロ』(68/監督:佐藤肇)と、日本ホラー映画の知る人ぞ知る名手・佐藤肇監督の右腕のひとりだった『七人の刑事』(61/TBS)の大津皓一。そして、『ウルトラQ』(66/TBS)の「鳥を見た!」や「カネゴンの繭」、三島由紀夫原作の『鏡子の家』(62/TBS)などのテレビドラマの脚本で知られた山田正弘。岡本喜八監督の『殺人狂時代』(67)、山本迪夫監督の『血を吸う眼』(71)、『東京バイパス指令』(68/NTV)、『鬼平犯科帳』(71/NET)、『太陽にほえろ!』(7286/NTV)の小川英。
 タイトル・バックは、篠山紀信の印象的なヌード写真のスチール処理で、女声コーラスを盛り込む変身シーンにも使われた佐藤勝作曲のテーマ曲が抜群で、本編の音楽は泉光二と、まさに異彩あふれる映画界、テレビ界の混成スタッフであった。
 13本のシリーズとして完成しながら、ホラー・ブームが去った、という理由でオクラになり(当時、新聞に載ったそんな記事を読んだが、実際は、あまりに内容と演出が過激すぎた、というのが本当の理由じゃなかろうか!?)、同時期に、円谷プロとフジテレビが製作していた『恐怖劇場アンバランス』とともに、テレビ放送されたのは、製作から3年後の昭和4873)年の夜11時台の深夜番組という有様で、やっと見られるのか、とテレビの前にかじりついて見たものだ。
 ところが、バイオレンス・タッチに圧倒されて(丹波哲郎のハイドが人間を殴り殺すシーンに唖然呆然)、“スゴイ”とは憶えていても、内容はすっかり頭から吹っ飛び(頭が作品のショックでバーストしてしまったらしい。高校生にはそれほどショッキングだった)、友人の中島紳介さんや徳木吉春さんという熱心なテレビファンと話す時も全員が“スゴかった”としか憶えていない(笑)状態で、テレビ神奈川の再放送を見て、やっと内容がはっきりわかったくらいであった。

レイプ! レイプ! レイプ!

 滅多にない機会だから、第1話「けものの薬」(脚本:大津浩<皓一>、監督:五社英雄)を少し紹介して、作品のムードを楽しんでもらおう。季節は蒸せるような夏の一日----
 白髪の慈木留博士(丹波哲郎)の診療室に、警視庁から殺人未遂容疑者の杉本カヨの日誌が届き、博士は看護婦に読ませている。
 看護婦の汗ばむ胸の谷間や、足を組んでスカートから出た太ももを見つめる慈木留。押し倒し、服を剥いでいく幻想がコラージュされていく----それは慈木留の、男としての心の奥底に息づく妄想であった。最初からコレデスカラ----。
 杉本カヨは、ある強迫観念にとらわれ、対人恐怖というか、少女時代から社会に馴染めない少女だった(このセリフの密度を見よ!)。
6歳の時、私は小学校にあがりました。でも、その入学式の時の恐怖は、いまだに忘れられないものがあります。というのは、私は、それまであんなに多くの人間が一時に一所に集まっているのを見たことがなかったからです。私は、その小さな子供たちが大人と一緒に私を襲ってくるのではないか、という恐怖にかられ、大声をあげ、泣き叫んだのを憶えています。それから私は学校へ行くのを恐れました。何かと病気を見つけては休み、1年の半分以上は休んだのを憶えています。そして、やたらに薬を飲まねば心が落ち着かぬようになり、とうとう最後にはインクや墨汁さえも飲むようになり、最後は私自身で作ったLSDを飲み、恍惚としてすべてを忘れて私だけの世界を楽しむようになりました。でも、その薬を飲んだ後のことは憶えておりません……」
「やはり、中毒異常なんですね……一体、どんな幻覚を見るのかしら。私も飲んでみたいわ(笑)」
と、陽気な看護婦。
「やめなさい!」と慈木留。その薬はひどく習慣性が残るアルカロイド流動体の薬品で、体には危険な代物だ、というのだ。
 警視庁には報告書を送るが、無罪かどうかは、裁判所が判断するところであった。
 窓の外を飛ぶカラスを見あげながら、「近頃、鳥が増えたね」と、呟く博士。
ナレーション「この総合病院の副院長、そして、神経科の部長でもある慈木留(君彦)博士は、59歳という年齢よりも老けて見えた。日本でも十指のうちに数えられるこの総合病院は、明治のはじめに信仰あつかった彼の妻の祖父が開設した慈善病院で、何度か戦災や火事で焼けたが、その度に大きくなり、今は都内の総合病院として大きく名を残すようになった。彼の最初の妻は、彼がその病院の書生時代に、先代の院長が彼を認めてめあわせたものだが、20年前に死亡。そして、現代になって、彼とおよそ20も違う二代目の院長の四女を妻にしていた。慈木留美奈(松尾嘉代)、32歳、祖父ゆずりの信仰あつい女性である(自宅へと帰ってくる博士。和服姿の清楚な美奈が映る)。だが、こうした恵まれた家庭にありながら、彼はかすかな不安に、絶えず神経をいらだたせていた。実態のない不安、現代に生きている人間我々なら誰でも持っているであろう不安----それが彼の場合、私たちよりやや濃い目の不安を抱いていた。しかし、彼自身の表面はけっこう楽しく、けっこう満たされた平凡な生活……(自宅の研究室で、薬品を調合していく)。だが、あの薬の改良と開発にかかってから彼の生活は変わった。いや、変わったというのは、我々の見た目によってである。彼自身の場合、その薬を飲んだ後の自分について、全く記憶がなかったからである。そして、自分の体にどんな変化をもたらし、また、どんな行動をとったかについても----。しかし、やや習慣性を持ったその薬は、彼のかすかな実態のない不安を解消してくれる代わりに、およそ科学的な常識では解明できかねる変化を彼に与えた。昨夜も彼はその薬を口にした……」
 テーマ曲が盛りあがり、ビーカー内の緑色のドロリとした溶液を飲む慈木留博士。広角レンズと赤や緑の照明とミラーやかきむしる手と、合成を全く使用しない不条理にも似たカット・ワークで、丹波哲郎は、白髪の初老の慈木留から、精悍で凶暴な瞳と黒髪の男性・ハイドへと変身していく!
 夜の街へと、黒いフロックコートを着て出て行った男は、暴力バーへと入り、酒代で難クセをつけられるや、いきなり殴り、蹴り、パンチを連続して、壁ぎわに殴りつけられたバーの用心棒は、口から血を吹いて死んでいった。
 夜の街をさまよう男は、車の中で抱き合う若いカップルの男を車外に引き出し(恐怖に女を残して逃げてしまうサラリーマン風の青年)、墓場へと女を追いつめて犯しまくる。夜警のガードマンが注意すると、20センチくらいの岩を掴んで、その岩で頭を殴り、悲鳴をあげてガードマンは即死するのであった。
 車のバックミラーで自分の顔を見たハイドは、叫び声をあげて、女を残して、夜の闇へと走っていった。慈木留博士は早朝、遊園地で寝ている自分を発見する。幻覚のようにブランコに乗る少女のイメージが残っている。一体、昨夜は何を自分がやったのだろうか!?
 
毎週、丹波のレイプが
日常の仮面を剥ぐ!

 スティーンヴンソンの小説『ジキル博士とハイド氏』の映画化は、昔から数多いが、いずれも特殊メイクで野獣のような怪人に変身した。だが、この『ジキルとハイド』は、白髪の老人メイクの丹波を、凶暴で暴力的でエネルギッシュな日常の丹波の悪役キャラに変えるのが出色で(まさに仮面を取り、自分に戻るわけだ)、“獣人”というイメージでないのがお見事。慈木留の屈折した心理描写も続出する。
 連続殺人と女性をレイプする謎の凶悪犯を追う警視庁捜査一課の毛利警部(露口茂)がレギュラーとなり、警察の犯罪捜査のアドバイスを求めに慈木留病院と博士邸を毛利は定期的に訪ねてくる。
 第1話の後半では、ハイドに博士の妻である美奈が襲われる。髪を掴まれ、和服もメチャクチャにレイプ寸前まで美奈は追い詰められるが、危機一髪、毛利警部が異常な物音に博士邸の玄関を破り、美奈を救出、彼女は抱きしめる毛利の腕の中で泣き伏した。
 物語はここを基本にして、毎回、変身したハイドが、医者の、政治家の、教師の、芸能界の、母親の、幸せな若者カップルの仮面の下に隠れたもうひとつの顔をこのバイオレンスの力で暴き出し、あらゆる人々がその暴力的なパワーの前に人間性を崩壊させていく。
 さらに、慈木留の貞淑な妻であるはずの美奈も、女子高生の時代に、自分の家庭教師の青年と母親の不倫のベッドシーンを夕立の中に帰宅して目撃、ショックを受け、若い青年が女性を求める心に強いトラウマを感じてしまう。そのため、彼女の家に下宿していて、恋人同士で巡査だった若き毛利に求婚されても、その想いを受け止めることができず----やがて、若者でもない20歳も年上の初老の慈木留君彦と結婚する道を選んだことが明かされていく。
 物語は次第に、慈木留と、ついにハイドに犯され、やがて、ハイドの来訪を待つようになっていく美奈、そして、直感で美奈の想いを知り、警察官ではなく男としてのプライベートな怒りで狂ったようにハイドを追う毛利----と、異様な感情のたぎりを描くクライマックスへとグレードをアップしていく!
 一本、一本が連続ストーリーというより、人間の二面性と、誰かに支配されたい、という人間の弱さ、汚れなき存在をサディスティックに痛めつける快感、そして、言い様のない不安感と閉塞感、それを破る変身と暴力の開放感を慈木留博士が止められなくなる。人間ドラマのジグソー・パズルのように見せ続けた。
 最終回の第13話「永遠の標」(脚本:出雲五郎=長坂秀佳、監督:山際永三)は、もう一度薬を飲めば、二度と慈木留に戻れない、というクライマックスを迎え、ハイドに変身、美奈とハイドを崇める女性を連れて逃亡する丹波(ハイド)を、毛利が殺すために追う、狂ったようなカットワークのラストとなる。そして、毛利が美奈のつけていたペンダントの光に目が眩み、誤って発砲して射った相手は誰かという驚愕のクロージングとなり、この恐るべき心理劇は、私たちが安住している日常がやがて崩壊する予感で終幕していく。
 脚本の長坂秀佳は、もうひとつのラストを書いていた、という話もあるが、この人間のたぎるようなパッション渦巻くラストがこの作品にはふさわしかった気もする。丹波哲郎の、セリフなしで絶対の自信を見せるハイドの力あふれた表情の不敵さが忘れられない!
(文中敬称略)

初出 洋泉社映画秘宝Vol.5 夕焼けTV番長』1996