世界的レベルだった ウルトラセブンの世界

 昭和421967)年101日、『ウルトラセブン』の第1話を見た時の興奮は、今でも昨日のことのようによく覚えている。
「姿なき挑戦者」という題名、ドラマティックなオープニング曲にのって、画面に現れる地球防衛軍マークの上の監修 円谷英二の文字のカッコよさ、そして、次々に現れるメカニックのシルエットの上にかぶるスタッフ・クレジット……そのSFタッチと特撮ビジュアルに胸躍らせる夢のような一年間は、こうしてはじまっていった。
『ウルトラセブン』は、特撮テレビシリーズ中、もっとも好きな作品の一本で、語り出すとあらゆるシーンとセリフがあふれてくる作品だが、その魅力をぜひ論じてみたい。
 この作品を語る時、特撮テレビシリーズの魅力とは何かをまさに語れると思うからだ。

そのストーリー世界
『ウルトラセブン』は、一貫して外界からの地球侵略をあつかった侵略テーマのSF番組だが、毎回、読み切り形式のストーリーバラエティさにまず驚かされる。
 人間を次々と蒸発させ、さらった人間のデータを調べあげて、地球侵略の準備を進め、地球防衛軍のエースウルトラ警備隊が調査に乗り出したため、正攻法の攻撃をかけはじめる昆虫状の宇宙人クール星人(第1話)。
 地球防衛軍の宇宙ステーションV3の隊員という一番疑いのかからぬ姿を借り、地球に侵入して、次々と人間の血を吸い、植物宇宙人の姿に変えて、全地球人の宇宙人化を進めていく植物宇宙人ワイアール星人、その星の人間を同化させてしまう吸血鬼のような彼らの侵略方法は、子供心に不気味だった(第2話『緑の恐怖』)。
 育てた怪獣エレキングで、地球侵略を狙う、個人的な侵略イメージすら思わせる少女から奇怪な宇宙人に変身する合成シーンも楽しいピット星人(第3話『湖のひみつ』)。船舶を次々に消失させ、地球防衛軍の注意を消失海域に向け、その間に地球防衛軍基地の破壊を計画する凶悪なゴドラ星人----海から宇宙へ船を運ぶアイデアが見事だ(第4話『マックス号応答せよ』)。宇宙空間に建設された宇宙都市ペガッサが動力に故障を起こし、地球の軌道に入ってきて、自分が生き残るために、相手を滅ぼそうとする悲劇のペガッサ星人(第6話『ダーク・ゾーン』)。宇宙囚人が宇宙船で地球に逃亡して、殺人を繰り返すキュラソ星人(第7話『宇宙囚人303』)。タバコの中に他人が敵に見えてくる狂気を誘発する赤い結晶体を入れて、人類を自ら滅亡に追い込もうとするメトロン星人(第8話『狙われた街』)。若い生命を求めて、生命カメラで若い地球人の命のエネルギーを吸い取り、生き延びようとする年老いた民族ワイルド星人、ダンが冒頭、生命カメラで生命をとられて死んでしまう展開がお見事(第11話『魔の山へ飛べ』)。
 地球が送り込んだ観測ロケットを侵略と思い、復讐を誓ってスーパー・ロボットのキングジョーで、地球へとやってくるペダン星人(第1415話『ウルトラ警備隊西へ 前編・後編』)。もはや、侵略などというイメージを超えた地球を氷河期にしてしまうポール星人(第25話『零下140度の対決』)。地球が実験で発射した惑星破壊ミサイルR1によって、破壊されたギエロン星から放射能を帯びて、地球へと飛来するギエロン星獣(第26話『超兵器R1号』)。宇宙のガン細胞・地球人を抹殺しようとするマゼラン星人マヤの悲劇(第37話『盗まれたウルトラ・アイ』)。地球人が頼りにするウルトラセブン、必殺の暗殺計画を持ってやってきた無敵のガッツ星人の娯楽編(第3940話『セブン暗殺計画 前編・後編』)。地球を狙う非情のロボットに支配された第四惑星を描く戦慄の宇宙編(第43話『第四惑星の悪夢』)----よくも考えたというほど、バラエティ豊かなストーリーが展開した。
 宇宙人の侵略ものというのは、海外のテレビシリーズでも数々あるが、これほど多種多様な宇宙人、作戦、テーマを持ち込めたのは、このテレビシリーズのみではないだろうか?
1980年代、遊星間の侵略戦争から地球を防衛するために、地球防衛軍が結成された」という設定は、見事にストーリーに消化されていた。あれほど本格的な地球防衛軍も、全49話を見終わると、なるほどとしか思えないからだ。
 怪獣、宇宙人と、あらゆる題材をあつかった『ウルトラマン』と比べて、宇宙人のみになってしまった『ウルトラセブン』は、スタッフの間からもイメージがせばまってしまうのではないか、という危惧の声もあったらしい。だが、シリーズ構成の金城哲夫を中心とした脚本陣と監督たちの努力と工夫によって、『ウルトラマン』とは別フィールドの広がりを出すことに成功した。シリーズ構成の金城哲夫は、初期の第115話中、10話の脚本を担当して、作品のバラエティな方向性を文字通り作り出した。アイデアマン・金城の多彩なストーリー設計の功績を力説しておきたい。
 何よりストーリーのバラエティさ、それが『ウルトラセブン』の身上であった。

●セブンとダンのふたつの顔
 宇宙地図を作成する恒点観測のために、太陽系を訪れていたM78星雲人340号は、度重なる宇宙侵略者に苦しむ地球を見て、この美しい星とそこに住む地球人を守ろうと決意した。
 そして、地球上を飛んでいたM78星雲人は、第17話「地底GO!GO!GO!」で描かれたように、登山の途中でハーケンがはずれ、このままではふたりとも墜落するピンチに、自らザイルをナイフで切って、友人を助けようと200メートルの崖を落下する地球人の青年“薩摩次郎”を空中で救出した。
「仲間を救うためにザイルを切った----何と勇気のある青年だ。そうだ。この男の魂と姿をモデルにしよう!」
 その青年の姿をコピーし、地球人の姿になった彼は、やがて、“モロボシ・ダン”と名乗り、ウルトラ警備隊に入隊する。そして、地球がピンチになった時、M78星雲人の姿に戻り、“ウルトラセブン”となって戦うのだ!
 この次郎の姿を写しとった時、M78星雲人にふたつの魂と姿ができた。M78星雲人“ウルトラセブン”と地球人“モロボシ・ダン”の姿だ。
 ダンがウルトラ警備隊7人目の超人という意味のウルトラセブンと、微妙な形で異なっているのは、このシリーズの不思議な魅力だった。前述のバラエティ豊かなストーリーの上に、ダン=セブンの大きな物語が展開している絶妙さをいつも感じていた。
 第4話「マックス号応答せよ」で、マックス号を見てつぶやくダン。
「さすがは地球防衛軍の誇る新造原子力船だ。カッコいいなぁ。僕も一度は乗ってみたかったんですよ」
 第5話「消された時間」のユシマ博士を見ていうセリフ。
29歳、博士号を5つも持ってんだってさ」
 第6話「ダーク・ゾーン」で、ダーク・ゾーンに怯えるアンヌにいうセリフ。
「(おでこをちょんとついて)弱虫さん」
 第11話「魔の山へ飛べ」で、ソガが13日の金曜日に不吉なものを感じる、というので笑うシーン。第13話「V3から来た男」で、先輩ソガに出撃をいわれ、「ハイ!」と喜ぶシーン。第24話「北へ還れ!」で、フルハシを連れ戻しにきた、と母親にいわれて、「え、フルハシ隊員がウルトラ警備隊をやめるんですかぁ」(「はぁ、そうしたいと思いまして」と母)「そ、そんなぁ……」という部分、セブン自身の感情というより、モロボシ・ダンという別の人格の反応とみたほうが、この若さは理解できるんじゃないか。
 ウルトラセブンは、地球に滞在中、モロボシ・ダンという次郎をベースにしたもうひとりの人格を心に持ったのである。
 そして、それはほとんどのエピソードにおいて、何の問題もなかった。ダン自身が第15話「ウルトラ警備隊西へ 後編」の中で語ったように、
「我々地球防衛軍の本当の目的は、宇宙全体の平和」
だったからだ。
 しかし、ペダン星人が、
「そう考えているのは、ウルトラセブン、あなただけだよ」
と、切り返したように、ウルトラセブンはいくたびか、宇宙平和を考える自分と、まず地球の平和を優先させてから宇宙の平和を考える地球人との大きなギャップにはさまれる苦境に立たされる。
 自分が生き残るか、相手が生き残るか、という場合、相手を滅ぼしても自らを守ろうとする悲劇----果たして、知的生命体は、理性で自分を律することができるか、というスタッフのうめき声を聞いたような気がする第6話「ダーク・ゾーン」、この話では、ウルトラセブンならこの最悪の事態を何とか回避させえたのではないかという悔恨が残る。それと同時に、それをわかった上であえて、ダンを追いつめるスタッフの考えは、何のためにこの作品を作ったのか明確というべきだろう。ペガッサ星人とダンとアンヌの会話シーンは、抜群のセリフ設計で、
「ペガッサは、宇宙が生んだ最高の科学なんだ。私は、とっくに地球を破壊する準備を終わっていた。アンヌの部屋からでも、この爆弾を地球の中心にぶち込むことができたんだ。それをしなかったのは、最後の最後まで私たちの科学の力がこの事態を何とかしようと」
とか、
「何だって!? おい、地球は自分で動けないのか? それだったら、野蛮な宇宙のほとんどの星と同じじゃないか!」
など、何度も録音テープで聴き直して、高校時代、手に汗握ったものだろう。情感あふれる冬木透作曲のBGMも絶品だった。そして、地球を守るために戦ってきたウルトラセブンにとって、地球人の裏切りともいうべき兵器開発に地球人自身が乗り出してしまう第26話「超兵器R1号」(脚本は「ダーク・ゾーン」と同じ若槻文三。この2本の脚本は見事だった)では、地球人・ダンの心を持つがゆえに、この作戦を阻止できなかった----この回の
「僕は絶対にR1号の実験を妨害すべきだった。本当に地球を愛していたのなら……地球防衛という目的のために。それができたのは僕だけだった」
というセブン自身が自分に叩きつけるように投げかける言葉----セブンの人間的な弱さが悲しい。この回は、的場徹特技監督に取材した時、
「この回は、鈴木俊継監督が本当にこだわったのを憶えている。ラストの車をまわし続けるシマリスを見て、ダンの顔がくもるラストが暗くなるからいらないんじゃないかというプロデューサーの意見に、『いや、このラストがなければ意味がない!』と断固拒否したからね。あのラストが効くんだよね。ギエロン星獣が地球に降り立つ月下の墓場に小さな十字架を1本、1本立てたり、花畑の色とか、特撮の若い美術スタッフもあの回はノッていた」
と語っていたのを思い出す。
 第37話「盗まれたウルトラ・アイ」でも、少女・マヤのいう
「こんな狂った星を!? 見てごらんなさい、こんな星、侵略する価値があると思って」
というつぶやきを恐らくある面で、セブンも納得できるだろうというあたり、自分の星に見捨てられ、セブンのやさしさにウルトラ・アイを返しながら、死を選んだ少女の哀しさを、ただひとり他人の星にいるセブンだけが知り得るだろうという彼の悲しさ----ウルトラセブンのドラマ性は、このセブンとダンの魂が引き裂かれる設計にあった。いつも思うことなのだが、最終回を見終わると、アンヌがいったように、
「ウルトラセブンの正体は、私たちのダンだったのよ」
としか思えない。だが、本当はダンの正体がウルトラセブンなのに、まるで私たちは、セブンの中にモロボシ・ダンがいるかのように感じてしまうのだ。セブンとダンのふたつの魂というより、セブンの中にある人間性(ヒューマニティ)の結晶としてダンは誕生したのかもしれない。ウルトラセブンの不思議な魅力は、この主人公キャラクターの設計にあったと思うのである。
 そして、セブンがダンの姿の時、地球人から受ける友情、信頼、それが“ウルトラセブン”の、そして、セブンが地球に賭けた素晴らしい可能性だった。
「魔の山へ飛べ」で、生命フィルムの中から救出されて、ダンがアマギ隊員にいう。
「お陰で命を取りとめることができました。アマギ隊員、まさに命の恩人です。ありがとう!」
アマギが嬉しそうに感無量にうなずく。
 このアマギ隊員へのダンのセリフが実に真情がこもっていて、ダンとセブンの魂の底から出たという響きがあっていい。
 最終回のアンヌが
「ウルトラセブンの正体は、私たちのダンだったのよ」
というセリフの後に、セブンを見あげて、
「ダン!」
とキリヤマたちが叫ぶ感動を忘れられない。
 セブンがただの人間と同じなのだというこういう感覚が『ウルトラセブン』全体の骨格となって、作品を支えたのである。

●デザイン・ワークスの充実
『ウルトラマン』の時は、ビートルやスパイダー・ショットが東宝の小道具の流用、科特隊専用車は、円谷一監督の愛車と世界観をデザインでコントロールすることはできなかった。
 次回作の『ウルトラセブン』では、ウルトラセブンからウルトラホーク13号とその発進ドッグ、基地デザイン、ウルトラ警備隊の制服、マーク、銃やビデオ・シーバー、宇宙人、円盤、宇宙人のコンソールと、そのすべてを成田亨美術監督がデザインし(第35話以降の宇宙人デザインは池谷仙克美術監督)、このデザイン・ワークスの統一感が特撮テレビシリーズ史上に残るSF感、シャープな映像イメージを生むことになった。
 宇宙人のデザインは、ストーリー以上に多彩で、ゴドラ星人やペガッサ星人、イカルス星人の全身スーツ型からクール星人、チブル星人の昆虫型、シャプレー星人やシャドー星人の頭部だけ造型して服を着たタイプの宇宙人型、人間が演じるタイプ、ポール星人のような不条理すら思わせるギニョール型、そして、顔のない合体スーパー・ロボットのキングジョーの金属作動音が抜群のキャラクターを生んだロボット・イメージ……と、ぬいぐるみ造型の高山良策の仕事も『ウルトラマン』の怪獣キャラクター群と双璧の宇宙人キャラクターの結晶を生み出している。
 そのカラフルな色彩の中に、生命観とエネルギッシュさと知性を感じさせる風格と表情が素晴らしい。
 宇宙人の円盤は、世界のテレビシリーズで、あれほどバラエティなフォルムと性能を持つ円盤群は、『ウルトラセブン』のみで〔アニメのハンナ・バーベラの『宇宙怪人ゴースト』(67/NET)がもう一方の雄ではあるが〕、メカニックの飛行シーンを描く操演スタッフのレベル・アップによって、ウルトラホークとの数々の空中戦を描き出した。
『サンダーバード』(66/NHK)のメカニック特撮を意識した『ウルトラセブン』だが、その空中戦イメージは、光線とともに新たなるSFワールドを生み出していった。デザイン・ワークスとドラマ性では、同時代の『スター・トレック』(69/NTV)に『ウルトラセブン』は匹敵するレベルだった。

●合成の新世紀
『ウルトラセブン』の合成は、知的宇宙人の侵略をビジュアル化するため、前作『ウルトラマン』から飛躍的な進歩を見せている。
 さまざまなフォルムを持つ光線技や「ウルトラ警備隊西へ」や「セブン暗殺計画」の大胆な実景との合成シーン。
 合成の中野稔技師によると、「セブン暗殺計画」の十字架上のセブンは、飯島敏宏監督から腕は斜めにしてパースをつけろ、と最初から注文もあったという。野長瀬監督や円谷一監督も細かくカットを注文して、合成にも凝りまくった。
 本編がらみの宇宙人の光線技とミニチュア特撮をさらにいかす合成シーンが素晴らしい効果をあげている。細かい合成シーンが本当に多く、そのすべてを誌面で見せられる日がいつかきてほしいものだ。

●地球防衛軍のテーマ
『ウルトラセブン』の地球防衛軍の設定は、実に、よくできている。
 数台の宇宙ステーションで、地球を立体的にカバーし、宇宙各所に前線基地を設け、定期的に一週間なりの宇宙パトロールがウルトラホーク2号で行われる。地球各支部の超遠距離レーダーが大気圏から目を光らせ、ウルトラ警備隊や防衛軍のパトロール機が常に空中パトロールを行っている。地上パトロールも頻繁に行われ、地球に侵入する宇宙船を発見し、何の応答もない場合、ウルトラホークの攻撃の時もあるが、宇宙ステーションに近い場合は、ステーションの宇宙パトロール隊が攻撃する……これほど全地球防衛機構を密かにテレビシリーズで見せたのは、このシリーズだけだろう。秘密組織だったイギリスの『謎の円盤UFO』(70/NTV)の“SHADO”と比べても、何の遜色もない。民間人からの通報、街の各所に設置された警報機など、よくぞここまでやったと思う。
 ところが、この設定にはあるテーマが隠されていた。シリーズ構成として要の脚本を書いた金城哲夫は、第1話のシナリオの余白に、“このシリーズのテーマ”と題してこう書き残した。
「人類の“平和”についてよく語られる。“完全平和”それはもし----という仮定故に現実性のないものだが、宇宙人の侵略がもしそのドラマをつらぬくことによってそれ故に地球の平和が乱されるとすれば、仮定の“もし”が現実に与える力はないかしら」
 地球の完全平和は夢想だということを金城自身が認めていて、宇宙平和、地球防衛などという前に、人類が我々自身がひとり、ひとりお互いを理解し、信頼しあうことがいかに難しいかをスタッフが明解にわかった上で、このシリーズは作られていたのである。
「狙われた街」や第29話「ひとりぼっちの地球人」、「ノンマルトの使者」や「円盤が来た」など、人間を見つめる視点は、この発想の成果だった。このテーマと対になって、『ウルトラセブン』の物語は、人類を見つめ続けたのだ。

●その傑作ストーリー
『ウルトラセブン』は、その磨きあげたセリフの盛りあがりが素晴らしく、子供向けのテレビシリーズとして頂点のイメージすらある作品なのだが、その中でも出色なのは、以下の5エピソードだろう。
8話「狙われた街」(脚本:金城哲夫、監督:実相寺昭雄、特殊技術:大木淳)
39話、40話「セブン暗殺計画 前編・後編」(脚本:藤川桂介、監督:飯島敏宏、特殊技術:高野宏一)
42話「ノンマルトの使者」(脚本:金城哲夫、監督:満田穧、特殊技術:高野宏一)
45話「円盤が来た」(脚本:川崎高、上原正三、監督:実相寺昭雄、特殊技術:高野宏一)
48話、49話「史上最大の侵略 前編・後編」(脚本:金城哲夫、監督:満田穧、特殊技術:高野宏一)
 ダンとセブン、ウルトラ警備隊の熱い信頼と友情を描く「セブン暗殺計画」と最終回「史上最大の侵略」は、息づまるドラマとパワー対パワーの攻防戦を描き、サスペンスフルな「暗殺計画」、クライマックスのドラマティックな最終回とテレビドラマとしても屈指の娯楽作品であった。
「狙われた街」は、実相寺昭雄監督がSFタッチをいかすドラマ派の金城と一度は組んでみたいと取り組んだ傑作で、グレイベースの虚無感が漂うようなシャープな映像で、1カットもゆるがせにしないSFストーリーを完成した。ラストのナレーションの寓話性が素晴らしい。
「円盤が来た」は、『セブン』全体にとって安全弁のような青年の心象スケッチを見せる秀作で、ペロリンガ星人のアナーキーなセリフのラストに唖然となってしまった。
 そして、「ノンマルトの使者」は、人類の存在意義を自らに問いかけざるを得ない人類テーマの傑作。火星(マルス)は、戦いの神の星といわれるが、ノンマルトとは戦わない民族という意味で、金城が“ノン・マルス”から名づけた名前だった。沖縄生まれの金城の人間を見つめる視点は、SFを駆使して人類の可能性とその闇すらを見つめる熱き人間ドラマを作り出した。

●銀河の旅人の物語
 昔から“モロボシ・ダン”という名が不思議だった。漢字だと、“諸星弾”と書くそうで、諸星という名は聞くけど、金城の創作したこの名はどうやって思いついたのだろう、といつも思っていた。
 ある日、ふと教育テレビの特集番組を見ていて、戦慄が走った。ある詩編が画面にこううつっていた。
「諸々たる星々の……」
 それは宮澤賢治の特集だった。宇宙地図の恒点観測のために太陽系を訪れていたというセブンのファイターではない不思議な設定。友を助けるため、してはならない変身をして、空へと登る星となっていくラスト……ウルトラセブンの不思議な香りは、銀河の旅人というイメージだからなのだろうか。
 いつもセブンのことを思うと、銀河宇宙への夢想は、果てしなく広がっていく。
 セブンよ、君は今もアンタレスのあたりを飛んでいるのか……。

【初出 朝日ソノラマ・ファンタスティックコレクション空想特撮シリーズ ウルトラセブン アルバム』竹内博編 1998年】*満田監督の名前は、正しくは禾に斉。