『ゴジラ』の特撮シーンの魅力

 東京を放射能火炎で、紅蓮の炎に包んでいく大怪獣ゴジラ……その特撮シーンは、どうやって撮影されたのだろうか?
『ゴジラ』(54)の全カットは、868カットだが、特撮は263カットと、実に3分の1に達し、合成シーンも95カットの多さ----と、ここまで本編(人間の芝居部分)と特撮が入念にモンタージュされた映画は、日本初であった。

 本編の本多猪四郎監督と特撮パートを指揮する円谷英二技師が挑み、作り出した“ビジュアル・クライマックス”の秘密とプロセスをミニチュア撮影の工夫、そして、多彩な合成シーンのふたつを中心にして紹介してみたい。
『ゴジラ』を見ると、のちの東宝が得意にする大俯瞰の東京ミニチュアがないのに気づく。
 現在も「ゴジラ」映画の撮影に使われている東京・成城学園前の東宝砧スタジオのそれぞれ五百坪ある第八、第九ステージの完成が『ゴジラ』公開の翌月、昭和291954)年12月で、そのためもあるが、より演出的な狙いがそこに見えている。
 同封の絵コンテを見てもらうとわかるが、東京の芝浦海岸に上陸したゴジラは、田町駅前から京浜国道沿いに、札の辻、新橋、銀座、尾張町交差点から晴海通りへ進み、数寄屋橋、有楽町のガード、東京都庁、永田町の国会議事堂、平河町のTV塔、浅草、隅田川の勝鬨橋を南下と、東京の実在の町を何ポイントかにわけて、ミニチュア化、あるいは実景の夜景に炎を合成して視覚化して、ゴジラの東京襲撃シーンを架空ドキュメントのように作りあげた。
 有川貞昌キャメラマンは、さらに人間の視点を強調するため、地面すれすれにカメラを置き、ゴジラに襲われる人間の視線で特撮の映像にメリハリを作り出している。
 特撮班の渡辺明美術監督は、第四、第五ステージだけでなく、第六ステージの外壁をホリゾントにして、屋外のオープン特撮セットを作り、燃えるミニチュアの炎のフォルムと勢いをナチュラルに撮影している。『ゴジラ』の燃える町のパワフルな炎と自然なアオリ映像は、オープン撮影の成果であった。
『ゴジラ』のオープン特撮セットは、25セットで、翌年の『ゴジラの逆襲』(55)のオープン撮影セットの10セットと比べると、いかに多かったかわかるだろう。
 この火災シーンのためのオープン撮影セットは、のちにも『空の大怪獣ラドン』(56)のタンクローリー車が横転して燃えあがる福岡市街と『地球防衛軍』(57)のモゲラが襲う富士市炎上シーンでも使用され、効果をあげていた。
 建物の壊し方でも、高圧線は放射能火炎で溶かし(鉄塔は、蝋素材で作られ、ライトの熱で溶かしている)、松坂屋デパートは放射能火炎で燃やし、数寄屋橋は踏み抜き、日劇はしっぽで壊し、国会は突き崩し、TV塔はかみついて倒し、勝鬨橋は両手でひっくり返す、とすべて変えてあることに注意。のちのTV特撮のようにやたら建物は爆発しない。
『ゴジラ』の東京破壊のプロセスがいかに入念に考えられたか、よくわかるだろう。
 ゴジラは、50メートルの大きさのため、岸田九一郎照明監督は、パート・ライトを使って、夜間に一部だけライトに照らし出される照明設計を随所で使い、サスペンスを盛りあげた。炎を受けて全身がしっかりと浮かびあがるスペクタクル・シーンとパート・ライトのサスペンスの配合も、照明演出の冴えあってのことだ。
 ゴジラのぬいぐるみは、生ゴムのような特殊プラスチックで作ったため、その重量は百キロもあり、中に入った俳優の中島春雄や手塚勝巳の動きもままならなかった。初代ゴジラの異様な重量感は、ハイ・スピード撮影のためだけじゃなく、その重さのせいでもあった。
 そのため、派手に俊敏に動くシーンでは、例えば、しっぽだけ、下半身のだけのスーツ、手を入れて動かす上半身だけのギニョール・モデルが作られ、活用された。
 倉庫の天井を踏み抜く足や有楽町のガードを壊す足に逃げる人間を踏もうとする合成シーンの足が下半身スーツ。屋根を壊したり、日劇を壊すしっぽがしっぽのみのパーツ。
 大戸島の八幡山に現れるゴジラや遠景の燃える町並みの上に動くゴジラ、放射能火炎を吐く(蒸気状のスプレーで表現)ゴジラ、時計塔に吠えるゴジラ、TV塔をくわえるゴジラが上半身のギニョール・タイプである。
 自分が求めている映像は、どのような形をとった時、現実化、視覚化できるのか----円谷特撮の演出は、初のぬいぐるみ怪獣に挑んだ時、ほとんど完成に近い方法論を確立していたのである。
『ゴジラ』は、95カットもの合成シーンを持つが、大戸島の外観や破壊家屋を実感させるマットアート合成やゴジラの放射能火炎を描くアニメ合成、同じ夜の闇の中に逃げる人間と迫りくるゴジラを同居させる生合成、移動マスク合成、と多彩な合成テクニックを見せた。
 本多猪四郎監督の本編班(A班)、円谷英二指揮する特撮班(B班)と共に向山宏技師率いる合成班(C班)があって、向山技師はA班に立ち会い、必要な合成シーンのためにカメラ前に黒マスクを作って生合成の手配をしたり、本編のタイミングを計測して特撮班の撮影用データを記録したり、本編と特撮の演出意図と撮影データをつなぎ、合成シーンに仕上げて、両班をサイドから支え続けた。
 ミニチュア・セットも効果的なマットアート合成で広がりが生まれていて、例えば、高圧線を突破したゴジラ主観の道路の人が逃げるシーンの左側の屋根はマットアート、服部時計塔に近づくゴジラの右側の毛糸看板と銀座4丁目の電柱もマットアートだ。マットアートをナメることで、セットは一段奥へ入り、構図に広がりが出るのである。
『ゴジラの逆襲』でも、大阪城のゴジラとアンギラスの土塀越しのショットを塀のマットアートで表現している。『ゴジラ』と『ゴジラの逆襲』の広がりを出すマットアート合成は、特に効果があったと思う。
 大戸島の八幡山の稜線に現れるゴジラの合成シーンは、向山班がカメラ前に黒マスクを作り、本編班がロケ地の伊勢半島で撮影した。撮影所に戻った向山班は、フィルムの一部をT・P(テスト・ピース)として現像して、マスター・ポジを作り、特撮班のカメラのルーペ部分に差し込み、位置を合わせて山のミニチュアとギニョールのゴジラで同タイミングを図って撮影する。その本編と特撮のフィルムをマットアートで間を埋めて合成する----サイズが小さいので、特撮の粒子はどうして荒れてしまう、その両者のトーンをマットアートでなじませるわけだ。移動マスクを作らない分、デュープが少なく仕上がりがよくなる。生合成という職人的な合成の高級テクニックである。
 アニメ合成は、マンガ映画を参考にして、幸隆生、飯塚定雄が放射能火炎を作画し、背ビレが発光するアイデアがこの空前のキャラクターをビジュアルとして完成させた。
 山根博士や尾形、恵美子ら主人公たちは、ゴジラの東京襲撃と共に、画面に現れず、逃げまどい、殺されていく人々がまさに映画の主役に変貌していく。合成シーンが“今なお日本人の上におおいかぶさっている水爆の恐怖”というテーマに直結するサスペンスを高めたことは、特筆されていいと思う。
『ゴジラ』は、昭和29年度の日本映画技術賞特殊技術部門を受賞する。
「この映画に要求されている特殊技術は、極めて大規模であるにも拘らず、綿密な設計と慎重な計算の下に各種の技術を高度に駆使配列し、質量ともに充実した創造的画面を構成し、日本映画における技術の水準を高めるとともにその領域を一段と広げた功績は特に推賞に値する」
 候補4作品、投票の結果、『ゴジラ』17票、棄権1という圧倒的な評価である。

 特撮が本編を支え、本編がより特撮の効果を高める----自由闊達なモンタージュは、本多・円谷演出ならではのもので、この後もいくたの名シーンを東宝撮影の中に生むことになる。『ゴジラ』は、その不滅の出発点ともなる日本特撮の記念碑的な作品なのである。

初出 東宝「ゴジラ40周年記念スペシャルボックス」(「ゴジラ」「怪獣王ゴジラ」カップリングLDBOX)解説書 1991