1970年代初頭までは、東宝撮影所や日活撮影所、東映撮影所と、東京で新作映画を作り続けていた撮影所には、銀座周辺の商店街とビル街を思わせる町並みと信号のある交差点、車が走れる道路がオープンステージに常設されていて、サラリーマン物の主人公が歩く情景や銀ブラするヒロイン、銀行強盗の報に駆けつけるパトカーやマンホールをあけて、忍び入ろうとするギャングと、わざわざロケに行かずとも、撮影所でじっくりと移動車やクレーンを使って(電源もビルの脇や道路の敷石をはずすと、電源端末が隠されていて、自由に照明や撮影キャメラを動かすことができた)撮影できるため、頻繁に使用されていた。
大作映画である昭和36(1961)7月30日公開の『モスラ』(脚本・関沢新一、監督・本多猪四郎、特技監督・円谷英二)では、進撃するモスラから退避するため、渋谷地区で車が道路を埋め、歩道を避難民が埋め尽くして歩いて行く夜間シーンと東京タワーにモスラが近づいていって、それをみつめる道路にあふれる群衆と自衛隊員、その中にいる新聞記者の善ちゃん(フランキー堺)と女性記者ミチ(香川京子)の主人公たち。モスラの体に変態の最終変化の徴候が認められ、攻撃がいったん中止され、皆がみつめる中、驚きの声をあげるミチ。
「あ、糸を吐いた……」
背後のビルの奥で電線でも切れているのか、時折、スパークが光る演出がムード満点で、常設のオープンセットだからやれた照明演出だった。
繭を作ったモスラが、羽化して飛び出してきたら、甚大な被害が出る。ロリシカ国が提供した“原子熱線砲”で、繭が燃えあがり(炎が吹きあがると、一瞬で焼け焦げた繭になるなど、石綿状の素材で長い時間、燃え続けないように、繭が作られているのがわかる)、人間たちは、繭が燃えて、モスラは死んだ、と安堵する。
翌日、青空のもとで、ふたつに折られた東京タワーにかかっていた繭に異変が起きる。繭が内側から割れて、神秘的な光(アニメ合成による光だった)とともに成虫モスラが姿を現し、唖然とする人々を尻目に、翼を全開にして「キュイン、キューイン」と叫び、モスラは翼を唸らせ、強風を巻き起こしながら、大空へと飛翔していくのだ。
まるで、火の鳥の復活シーンで、繭が割れて、光に包まれた成虫モスラが出てくるなど、『モスラ』には、神秘的なイメージが随所で、特撮で演出され、ゴジラやラドンにはない不思議なムードを生み出したのだ。
華麗なカラーリングを生かすため、幼虫の時は、本当にシンプルな色で、成虫モスラこそ、本当の姿というか。卵から幼虫、繭、成虫という4段変化もユニークの一語で、アメリカでは、ゴジラにつぐ人気を誇る日本モンスターであった。ファンタジーの香りを放つ昆虫モンスター、それがモスラの魅力なのだ。
【未発表 2014年】
大作映画である昭和36(1961)7月30日公開の『モスラ』(脚本・関沢新一、監督・本多猪四郎、特技監督・円谷英二)では、進撃するモスラから退避するため、渋谷地区で車が道路を埋め、歩道を避難民が埋め尽くして歩いて行く夜間シーンと東京タワーにモスラが近づいていって、それをみつめる道路にあふれる群衆と自衛隊員、その中にいる新聞記者の善ちゃん(フランキー堺)と女性記者ミチ(香川京子)の主人公たち。モスラの体に変態の最終変化の徴候が認められ、攻撃がいったん中止され、皆がみつめる中、驚きの声をあげるミチ。
「あ、糸を吐いた……」
背後のビルの奥で電線でも切れているのか、時折、スパークが光る演出がムード満点で、常設のオープンセットだからやれた照明演出だった。
繭を作ったモスラが、羽化して飛び出してきたら、甚大な被害が出る。ロリシカ国が提供した“原子熱線砲”で、繭が燃えあがり(炎が吹きあがると、一瞬で焼け焦げた繭になるなど、石綿状の素材で長い時間、燃え続けないように、繭が作られているのがわかる)、人間たちは、繭が燃えて、モスラは死んだ、と安堵する。
翌日、青空のもとで、ふたつに折られた東京タワーにかかっていた繭に異変が起きる。繭が内側から割れて、神秘的な光(アニメ合成による光だった)とともに成虫モスラが姿を現し、唖然とする人々を尻目に、翼を全開にして「キュイン、キューイン」と叫び、モスラは翼を唸らせ、強風を巻き起こしながら、大空へと飛翔していくのだ。
まるで、火の鳥の復活シーンで、繭が割れて、光に包まれた成虫モスラが出てくるなど、『モスラ』には、神秘的なイメージが随所で、特撮で演出され、ゴジラやラドンにはない不思議なムードを生み出したのだ。
華麗なカラーリングを生かすため、幼虫の時は、本当にシンプルな色で、成虫モスラこそ、本当の姿というか。卵から幼虫、繭、成虫という4段変化もユニークの一語で、アメリカでは、ゴジラにつぐ人気を誇る日本モンスターであった。ファンタジーの香りを放つ昆虫モンスター、それがモスラの魅力なのだ。
【未発表 2014年】