円谷英二の映像世界〜『世界大戦争』

『世界大戦争』昭和361961)年度作品 110分 カラー 東宝スコープ


 昭和361961)年に東宝が作りあげた特撮大作である。SF映画というよりは、東西対立が冷戦のまっただ中に突入していた当時の世相をストレートに反映させた作品で、特撮が水爆の爆発シーンを中心にしたスペクタクルなものであるにもかかわらず、作品のタッチとしては、文芸作品にも近い人間ドラマを中核においていた。ごく平凡な庶民の生活の喜怒哀楽と、すべてを破壊させずにはおかない核戦争という対立の構図は、静的な本編ドラマと動的な破壊の画面ばかりである特撮シーンのリズム感の違いそのものである。アメリカ陣営、そして、ソビエト陣営という具体的な国家を出していないのが映画自体の弱点だが、本多監督と組んだ際とは、別の視点で円谷特撮は作られているようであり、円谷特撮の演出の一端を知ることができる。まずは、ストーリーに触れ、各特撮シーンについて触れてみよう。
 戦後10数年、一面の焼け野原だった東京がともかく大都会に復興したのは、人々が一所懸命働いたからだろう、という意味のナレーションから物語ははじまる。
 アメリカ・プレスクラブの専任運転手・田村茂吉(フランキー堺)は、その妻のお由(乙羽信子)と裸一貫の中からささやかな幸せを築いてきたひとりである。
 だが、世界は同盟国側と連邦国側の二大陣営にわかれ、相手側を疑いながら、一触即発の状態を続けていた。ベーリング海上では、お互いのジェット・パトロール機が牽制しあいながらパトロールを続けていた。
 緊張した国際情勢が世界に波紋を投げかける中、貨物船“笠置丸”の通信技師・高野(宝田明)は、船上で船長(東野英治郎)とともに、突然、夜空にオレンジ色から紫紅色へと輝く不思議な光を目撃する。高野は、田村の娘・冴子(星由里子)と、将来を約束した仲であり、帰国もいち早く無線で知らされていた。
 山間部に巧みにカモフラージュされた連邦国と同盟国両陣営のICBMミサイル基地。命令ひとつで核弾頭を装備したICBMミサイルが発射される状態にあった。
 朝鮮半島の38度線の小戦闘と対立を続ける両陣営だが、平和の願いはパリの首脳会談に託されることになる。
 冴子と高野の様子がおかしいことに気づく田村だったが、お由に聞くと、ふたりは一緒になるつもりだという。「まだ冴子は19だぞ」と、怒る田村だが、お由に言われて自分たちも両親に反対され、駆け落ちしたふたりだったことを思い出した。「あいつもそんな年になったか」と、ニガ笑いする田村だが、それは娘の幸せを祈る平凡な父の心であった。
 結婚を控えた冴子は、翌朝、船出する高野を横浜へ送り、その夜、ホテルの一室で、高野との愛を確かめあった……。
 一方、平和会議はうまくいくかに思われたが、ベーリング海上で、同盟国側と連邦国側のジェット機編隊が思わぬ戦端を開いてしまい、しかも小型核ミサイルを両編隊が使用したため、両陣営の友好ムードは、たちまち吹き飛んでしまった。各地の両陣営の戦端部で、小競り合いが戦いへと進行していった。
 日本政府は必死に、平和と停戦への呼びかけを続けるのだが、戦争は各地で次第に拡大していく。
 まだICBMは発射されていないが、両陣営は相手を避難するばかりで、戦場で小型の核ミサイルが使われ、戦いは拡大を続けていく。全面戦争は必至と思われた。日本も同盟国陣営である以上、必ず核ミサイルの攻撃を受けるだろう。
 東京は、混乱の極みに達し、恐怖はすべての人々を襲った。職場から、学校から、自宅へと戻り、家族で東京を脱出しようとする人、人、人。地方へと向かうターミナル駅は、悲鳴をあげる人々でいっぱいになった。
 保育園では、早苗(白川由美)がなす術もなく、何も知らぬ子供たちの不安なまなざしを受け止めるだけである。田村家も一家5人、戦争が起こるかもしれない、という恐怖に、ただ、オロオロするばかりだった……。
 日本政府は、世界に平和を呼びかけるが、その叫びももはや無駄であった。東京の街は無人の街と化し、犬の遠吠えが、太鼓を打ち鳴らす法華衆の道行く祈りの声がビル街に空しくこだましていた。
 日本列島は、不気味な夜を迎えた。
 田村家は、一家とも逃げず、自宅にいた。
 今日一日かもしれない人生を幼い長男や次女に知らせまいと、今晩のおかずは、まるで正月か、クリスマスという豪華なものだった。
 料理に喜ぶ幼いふたり。田村は、「戦争なんか起こるもんか」と、怒りに震えるように呟くが、その言葉を自分も信じていなかった。気まずくなった大人たちは、庭に植えたチューリップの話になるが、まだ芽が出ていないチューリップを見て、冴子は「よかったわ」と、投げやりに呟いていた。まだ芽が出てなければ、核ミサイルがきても大丈夫かもしれない。皆が死んだ後、私たちのチューリップが芽を出して、花を咲かせるのよ、と泣きそうになる冴子。「子供が怯えるじゃねえか」と、怒る田村だが、「戦争なんか起こってたまるもんか」という彼の思いは、止めようがなくなっていく。
 一所懸命生きてきて、いいことなんかこればっかしもなかった。お由だってそうだ。苦労ばかりだ。これから、今までの分、幸せになるんだ。冴子が結婚して、孫を見るんだ。別荘を建てて、母ちゃんの神経痛を温泉もある別荘で直してやるんだ。長男には、自分のいけなかった大学へいかせるんだ……家の二階にあるもの干し場で、涙声で絶叫する田村。それは核戦争に押し潰されようとするすべての人間の心の叫びであった。
 冴子は、太平洋上の高野とハム交信をする。「冴子……幸福だったね」、その通信文を読み、マイクを握りしめる冴子。その頬を熱い涙がとめどもなく流れていった。
 ついに、海中の原潜からポラリスミサイルが発射され、ICBMが続々と、連邦国側、同盟国側の基地から発射されていく。世界終末の日がついにきたのだ。
 日本政府の防衛センターは、日本列島へ近づく多数のICBMをそのレーダーに捕らえた。息をのむ防衛センターの司令官(高田稔)や士官たち。不気味なセコンド秒が流れる中、疲れて寝ている子供たちを見守る早苗、幼いふたりを膝に抱く田村一家の無言の描写が続いていく。そして、防衛センター。後、数秒か!? 声もない士官たち。
 国会上空に飛来する光の点、そして、目も眩む閃光と爆発が起き、ついに核爆発の炎は東京を、日本を捕らえたのだ。東京が炎に、爆風に包まれるころ、ニューヨークも、モスクワも、ロンドンも、パリも核爆発の中に散っていく……世界は、愚かな人類の核戦争のために全滅していったのだ……。
 太平洋上の笠置丸は洋上のため、核ミサイルの被害はまぬがれた。自分たちだけ生き残って何になろう。笠置丸は、乗員すべての意見で故郷の日本へ向かうことになる。老コック長・江原(笠智衆)のやさしい声が悲しい。
「全世界の人々がもっと早く声を揃えて、戦争は嫌だ、戦争をやめようと言えばよかったんだ----人間はひとりもいなくなるんですか……」
 画面には“まだ間にあう。皆で押しとどめよう。”という呼びかけが出て、水爆によって赤く焼けただれた東京の死の世界にテロップがダブり、終わっていく……。

 特撮シーンとしては、まずベーリング海上の北極海上空のジェット機の空中戦が素晴らしい空間の広がりを見せている。両側からジェット機が飛行機雲を引きながら接近し、交叉していく。操演によるものだが、その北極海の氷海のセットの広さとその上空を編隊で飛ぶジェット機の小ささと、スピードが異様な広がりを与えている。そして、空中戦は、それぞれ両側から接近、一機、一機と戦闘態勢へ離脱、本編のパイロットも挟み、それぞれミサイルを発射し、小型核ミサイは画面奥へと飛び、爆発したオレンジ色の炎が合成で奥からふくれあがり、たちまち画面全体を飲み込む抜群のイメージを生み出した。
 ICBMの同盟国側、連邦国側の基地のセットが自然をフルに使った実にリアルなセットで、ラストの基地からICBMミサイルが次々と発射されていくシーンなど、ドラマの盛りあげもあるが、印象に残る特撮シーンであった。
 原子力潜水艦の特撮シーンは、すべて実際の水中プールに潜水艦のモデルを走行させており、プールの脇に作られた窓から撮影する方法をとっていた。特にいいのは、本編の乗組員がグラッと揺れるショックを見せる防潜網に原潜が捕らえられるシーン、水中に原潜からポラリス・ミサイルが発射されるシーンで、おそらく、世界の特撮でもはじめてのポラリス・ミサイルが水中から飛び出すシーンを特撮で表現して見せていた(外国では、いずれも実物で、軍のフィルムをライブで使用していた)。吹きあがる水柱の中をミサイルが海面から飛び出していくシーンは圧巻であった。
 朝鮮半島の38度線のミサイル戦車隊と攻撃ヘリとジェット機の戦いは、ジェット機から発射されたミサイルが超スピードで戦車に命中し、戦車を粉砕するというシーンを、操演のミサイルで見せている。
『世界大戦争』の特撮のなかで、特に、触れなければならないのは、水爆の爆発シーンだろう。このシーンは、円谷英二自身の文章も含め、その発想に迫ってみよう。まずは、円谷の文章から。
「『世界大戦争』の水爆場面は、地上2000メートル上空で爆発----大東京全域が、その爆風の圧力で壊滅する場面であるが、爆風だけで模型のビルを壊すことは非常に至難でこれ迄にもやったことのない、トリック・シーンであった。
 先ず爆風をどんな方法でやるかだったが、瞬間衝撃波を出すには、二つの方法によるきりなかった。第一は圧さく空気の瞬間放出、第二は、火薬を使用して出す爆風である。しかし、安全性を考えると、火薬を使用する方法は危険が多い。それに、可成り広い範囲のミニチュアを瞬間に木ッ端微塵にするには、相当な火薬の爆風が必要である。爆発音だけでも、閉め切ったステージ内で行うことを考えなければならないが、といってオープンでやることも住宅の多くなった、最近のスタジオ界隈の状況を考えても、苦情の出ることはたしかである。だから少量の火薬の爆風でも壊れ易い材料を研究してやらなければならないことになる。色々考えた末、子供に喰べさせるウエハウスを材料としてミニチュア・セットを造ることが出来るかどうかをスタッフに提案した。最初は、この道二十年選手の特殊美術の渡辺明君も、石膏ミニチュアにかけてベテランの小田切君も当惑の面持ちだったが、数回の試作を重ねている内に自信を得て、素麵とウエハウスを巧みに使いわけて、立派な議事堂を造り上げた。」(『世界大戦争』パンフレット・特撮裏おもて・円谷英二特技監督にきくより引用)。
 かくて、そば粉とウエハウスの各国首都のビル街が生まれるわけだが、まず、脚本から水爆が2000メートル上空で爆発----大東京全域がその爆風の圧力で壊滅する、というイメージを作り、そこから一歩も円谷英二が退いていないことがわかる。それを作るためには、ふたつの方法しかないという方法論になり、さらに、具体的な技術の検討に入るのである。
 そして、総論は両方を兼用することになるのだが(もちろん、効果上から順番が使いわけられている)、その実際は次のごとくになる。
「各国首都のミニチュアは、いづれも五メートル四方の台の上につくられる。そしてまずセン光、三百キロのライトに照らされた上に、十個のセン光電球を一瞬にたく。そして爆破は口径十センチメートルの大砲状のもの七個に一寸花火をつめ、いっせいに上から発射する。カメラ三台でキャッチするのだが、いずれも望遠レンズを使う。つぎは爆風である。酸素ボンベ十個をひとまとめにして噴射させる。実際からこの圧力は一平方メートルあたり五千トンの重量が加わるという想定。これでミニチュアの都市はあらかた消えることになる訳だが、圧力による発熱は一千万分の一秒で五億から十億度という想像もつかない高熱に支配される。このシーンはセットを屋外に出し、あるいは製鉄工場にロケして、溶鉄を流す。かくして完全な消滅図となる。」(前同・話題のあれこれ)
 さらには、イメージに近づけるために、撮影の方法にも工夫がこらされていた。
「撮影の方法もさまざまである。普通のセットのように、平台の上に飾りつけて撮影したものもあれば、平板に飾りつけたものを空中に逆さまに吊りあげて逆撮したものもある。それぞれ効果を考えて、そんな撮影をしたわけではあるが、わけても、業火に焼け爛れてゆく市街の数カットは、普通の火災のようでは面白くないので、地面を火が這い廻るような効果を挙げるため、これもセットを逆さにして撮影した。」(前同)
 自分は、どんな完成場面のイメージを作ろうとしているのか、そのイメージをどう撮ればいいのか、それを撮るためにどう具体的に作らねばならないのか、という順で、1イメージ、2方法、3具体的な技術へと進んでいく円谷特撮の発想法がおわかりだろうか。徹底したイメージへの喰いつきがその演出になければ、そのシーンはアニメイト(生命を与えること)されず、ただのミニチュアやフィルムとなってしまう。特撮演出にとって、クリエイトのイメージへの喰いつきは、とても大事なものなのである。

 夜の国会議事堂の上空に飛来する光点----次の瞬間、画面はセン光に包まれ、国会議事堂は木ッ端微塵に砕け散り、暴風の熱波に飛行機、建物が吹き飛ばされる国際空港、上野の周辺か----田辺家の周辺----吹き飛ぶ下町、暴風に吹き飛ぶ郊外の家と電車群、大木、そして、カメラは、静岡県のほうから富士山の右側に噴きあがる紫色のキノコ雲を存分に見せるのである。爆心地からセン光と熱と爆風が一瞬のうちに何10キロメートルもの広さに広がっていくイメージをおよそ一秒おきに近い、叩きつけるような短いカッティングでつなぎ、水爆が東京に落ちた瞬間の視覚イメージを作りあげていた。先の円谷の文章で引用した、地上に渦巻く炎のシーンが圧巻で、地面をナメ尽くす業火、ふくれあがる炎の中、ビルの残骸が音をたてて崩れていく、炎が踊り、フッと炎が遠のくと、その炎の中から灼熱して曲がった東京タワーが出現する映像美。鉄骨のビルの骨組みだけが炎の中に揺れるシーンも圧巻である。地面は真っ赤に燃え、まるで燃えた大地のようになって、渦巻く炎に崩れていく。そこに横殴りに押し寄せてくる大波。逆流してきた東京湾の海水だ。その海水が入り、破裂する蒸気が正面の中に吹きあがっていく。もはや、夜空は熱と吹き出す蒸気と暴風に、まるでモヤのように揺らめき、血を流したようだ。まさに、目で見る灼熱地獄----特撮だけが表現できる破壊スペクタクルの極致というべきシーンであった。この東京破壊シーンは、本編なしの特撮シーンだけで作られており、円谷特撮の映画全体を考えた上でも緻密な設計と編集は、映画のクライマックスを見事に完成させていた。
 各国首都の破壊シーンの中でも、特に、パリの凱旋門の破壊シーンが圧巻で、爆発するセン光の中、メラッと爆発する炎の中でバラバラになって空中にめくれあがる凱旋門の破壊イメージは、破壊のフォルムを全編に見せており、やたらと吹き飛ぶニューヨーク、モスクワ、ロンドンの破壊シーンを圧倒する破壊映像美を生み出していた。
 松林演出は、平凡な力のない庶民のひとり、ひとりに焦点をあてており、軍部の人間が実は、平和を愛している、という部分よりもはるかにリアリティーを感じさせた。逃げまどう人々や、ラストのフランキー堺の演じる田村の思いは、核戦争がもし実際に起きた時、私たちひとり、ひとりの胸に宿る恐怖や怒りそのものだったのだろう。
 この作品の弱い点は、前述したように、連邦国側、同盟国側と、世界の二大勢力をシンボライズして、抽象化している点で、見ている途中、どちらがアメリカ側か、ソ連側か、わからなくなってしまう部分も多く、リアリティーのある庶民の描写を思うと、まことに惜しかったと思う。エキストラも含め、3000人を超えた外人俳優とエキストラだが、日本人サイドの演技者と比べ、演技力のレベルが低いのもこの映画の完成度にとっては不幸であった。戦争開始へなしくずしに展開していく、開戦の状況だが、これも両陣営をはっきりさせなかったため、両国の首脳が姿を見せず、軍だけを描くのみの感もあった。お互いへの憎悪と疑い、信頼の欠如が、戦争停止を実現させない、という正攻法のポリティカル・フィクションの部分もあってよかったと思う。
 ようは、松林監督自体が、理不尽な地球を終滅させてしまう核戦争に巻き込まれてしまう庶民の恐怖と怒りを表したかったからで、国家など興味がなかったのかもしれない。
 松林監督は、この映画について、『東宝映画』昭和3610月号で、こう書いている。
「昨年、同じような形で『太平洋の嵐』を担当させられました。最初、脚本を読んでみて、日本には航空母艦が一隻もあるわけではなし、飛行機が一機もあるわけではなし、こういう脚本がどういう具合にして映画化されてゆくのだろうか、と大へん危惧しました。撮影が終わり、編集されたのを見ると、航空母艦が一隻もなくても、飛行機が一機もなくても、立派に『太平洋の嵐』は出来上がりました。
 今年、また『世界大戦争』という、大変な作品の担当を受け、脚本を読んでみたところ、昨年の『太平洋の嵐』以上の危惧と不安を感じました。ミサイル基地だとか、ミサイルの発射状況だとか、被爆状態だとか、こういうものが、一体、どういう具合に映画化されていくのだろうか、----文字の上では解るとしても、これを画面の上にどういう具合に表現してゆくかということに対しては、大変な危惧と不安がありました。二、三日前、今までに撮り上げたフィルムを全部つないでみたところ、円谷さんの大へん優れた技術により文字の上で描かれているすべての難解と思われるところが、全部、立派な画になりました。私の不安は拭われ、唯今、大へん安心しているところであります。」
 この文章は、この映画を担当した監督としての心境にこの後、続いていくのだが、この文章を読んでみると、本編の松林監督と特撮の円谷監督がそれぞれのパートを独立して作りあげているのがわかる。松林監督の撮影する本編を計算した上で、円谷の特撮設計は行われていたイメージもある(ベーリング海上の激戦、ICBM基地のミサイル修理シーンや潜水艦の追跡シーン)。そういう意味では、特撮は、意外と特撮のみで、あまり合成も多用せず、本編は本編、特撮は特撮と、パートをわけ、編集段階でひとつにまとめる作業をしていたようだ。効果を第一の互いの狙うべきこととして、本編、特撮いずれが主役でもなく本編と特撮がダイナミックに連絡をとり、カメラのパン、編集や視点の統一と、実に、有機的なつながりを見せる本多、円谷コンビとは、かなり演出方法が違うようだ。
 松林監督は、淡々としたドラマ作りの中で、人間の喜びや悲しみを結晶化させるわけだが、特撮作品としての淡泊な味わいもその松林演出ゆえかもしれない。

初出 実業之日本社『円谷英二の映像世界』(竹内博、山本眞吾・編)円谷英二主要作品解説 1983年

アイドル映画の仮面を被りながら

的確に特殊メイクを使い
爆笑奇想天外映画になった
『ザ・サムライ』


『うる星やつら』実写版といった
スーパー・アクション・コメディー

『時をかける少女』(83/監督:大林宣彦)のヒット以来、オプチカル合成やスペシャル・メイクなどの特撮をダイナミックに盛り込んだアイドル映画&軽いタッチのSF映画は、不振の日本映画界の新しい突破口になった感もあり、『愛情物語』(84/監督:角川春樹)、『星くず兄弟の伝説』(85/監督:手塚眞)、『CHECKERS IN TAN TAN たぬき』(85/監督:川島透)、『みんなあげちゃう』(85/監督:金子修介)、『テラ戦士ΨBOY』(85/監督:石山昭信)、『星空のむこうの国』(85/監督:小中和哉)、『グリーンレクイエム』(85/監督:今関あきよし)……と力作が続き、日本特撮の新しい可能性、方向性をその中で存分に見せてくれた。
 最近思うのは、日本のSF&特撮映画を再生させるには、『さよならジュピター』(84/総監督:小松左京、監督:橋本幸治、特技監督:川北紘一)や新作『ゴジラ』(84/監督:橋本幸治、特技監督:中野昭慶)』という特撮を中心とする大作の特撮映画だけではなく、特撮を劇の効果的手段として、一部に的確に使う『時をかける少女』のような映画の両輪が揃って、初めて可能になるのでは……ということだ。
 そうやって映画的なグレードの高い作品を1本、1本作っていくしか打開する方法はない、と思うのである。
 アイドル映画に特撮をうまく使うと、どれだけおもしろくなるか----最新作でそれを実証してくれたのが、コミック的表現に特撮を駆使した『ザ・サムライ』(鈴木則文監督・製作作品)である。この421日に、東映ビデオからビデオも発売されるので、そのガイドもかね、この軽快な特撮コメディーについて触れてみよう。
 原作は、『週刊ヤングジャンプ』(集英社刊)に現在も連載中の春日光広の人気マンガ。
 内容はというと……嵐山高校3年A組の17歳の血祭武士(中村繁之)は、剣豪の荒木叉右衛門を崇拝し、日本刀を腰に袴姿で登校する、正義感に燃える超アナクロのサムライ高校生である。
 彼は女性の裸を見ると、鼻血を出して失神するという女性アレルギーの弱点、失態を犯すと、すぐ切腹しようとする奇癖、ホッペタを両脇に伸ばしたり、マブタにハシを入れて伸ばす特技を持つまことに困った主人公。その武士が、嵐山高校を舞台に、肌もあらわなセクシー麻矢を用心棒にする番長たちや銀行ギャングと戦ったり、学校のマドンナ・敦子(松本典子)をめぐり、日本有数の財閥南藩コンツェルンの孫で、長い留学からVTOL機・ハリヤーで帰ってきた転校生・南藩都来(大沢樹生)の科学力と恋のライバル戦……と、まるで『うる星やつら』の実写版というスーパー・アクション・コメディーなのだ。実物大のハリヤーから3m大の茶運び人形とスーパーメカも続出する!

特殊メイク+メカニカルはFUN HOUSE
鈴木監督の具体的なイメージにあわせて
3種類のメイクを制作。ビデオで確認を!

スタッフのノリとそのイメージの
楽しさで見るタイプの映画なのだ

 今年の1月号で触れた通り、『ザ・ザムライ』の特殊メイクを担当したのは、『星くず兄弟の伝説』で、約40種類の特殊メイクを制作した原口智生さん代表の特殊メイクのアーティスト工房“FUN HOUSE”であった。
 今回は、原口さんは特殊メイク全体の監修にまわり、実際に特殊メイクの制作にあたったのは、メカニカルな仕掛けが得意の市川英典さんである。
 市川さんは、およそ3つの特殊メイクを制作した。1割りバシをマブタに突っ込んで、グーンとマブタを伸ばす特殊メイク、2口を両脇にビローンと広げる特殊メイク、3鼻の両方の穴から鼻血が飛び出てくるのを正面からとらえる特殊メイクの3つである。
 原口さんは、鈴木監督の狙いと制作姿勢をこう語ってくれた。
「鈴木監督は、やっぱり鼻血が出るとか、口が広がるとか、マブタが伸びるのは、一応、『ザ・サムライ』というマンガの原作を映画にしている以上、最低限そういう絵がないといけないというそういう部分で要求されたんです。
 非常に具体的な指示で、とてもやりやすい仕事になりました」
 具体的なテクニックについても、少し詳しく聞いてみよう。原口さんの話は続く。
「マブタに割りバシを突っ込んでビローッと伸ばしながら、首が前に出てくるシーンは、ダミーヘッドで、マブタは別パーツで作って中に入っているのを引っぱり出すようにしています。そのマブタの素材なんですが、『狼男アメリカン』(81/監督:ジョン・ランディス)では、“ウレタン・イラストマー724”という伸びのある素材を使ったという話があって、その素材も考えに入れて市川が選んだのが、スムースワンという“スムーザン・ラバー”といわれている素材です。これは、もともと遺跡や石仏の型取りに使う素材なんですけどね。なぜ、ダミーヘッドにしているかというと、マンガの中のそのシーンを見ると、首も前に出て、顔も目もデフォルメされているためで、それで市川は、首を前に出して、目玉も突き出る仕掛けにしたわけです。原作のイメージを考慮して、彼の設計でそうしたんです。
 口を横に広げるイメージは、それと違って、トム・サビーニがすでにやっていて、本に載ってるのを鈴木監督が知っていて、『これだ! これでいこう』という話で、そのイメージで作りました。香港映画の『ヤング・イリュージョン』という映画です。この映画のために、監督も勉強してたんですね。口を開けた形で、中の本物の歯は黒く塗って、上に平面的な歯をはりつけてあります。それを横に引っ張っているわけで、そう難しいメイクではありません。
 難しかったのは、鼻血を出すシーンでした。今まで真横の位置で、鼻の横にパイプをつけてごまかしていた。それをちゃんと鼻の穴から血を出したいという監督の注文で、上に皮フを1枚はって、ビニールチューブを鼻の穴に通して、注射器を押して鼻の穴から血を飛び出させるというイメージでした。ところが、この鼻のアプライアンスの素材が底をついて、スペアが作れなくて、肌のきわの処理もうまくいかなかったんです……ただ、実際の画面では、鈴木監督が最終的にハサミを入れて、タイミングと編集のうまさで、メイクと肌のつなぎがずいぶんわからなくなっています。現像の焼きを強くしたりと、気を遣って、ずいぶん助けてもらいました。
 今回、思い知った部分は、タイミングとか、つなぎとか、ちゃんと監督が料理すると、自分たちがマズかったかと思うシーンでも、生かしてもらえるということです。鈴木監督は、特殊メイクといってもどんどん意見を出してくれましたし、この仕事は、大変ノレてやれた仕事でした。またこんな仕事がしたいですね」
『ザ・サムライ』という映画は、原口智生さんがいうように、技術で見るタイプの映画ではなく、スタッフのノリとそのイメージの楽しさで見るタイプの映画なのだと思う。
 例えば、途中、突如、登場する菅原文太演じる謎の人物は、主人公を追いつめるヤクザ者を一掃して霧の中に消えていく……後に残された背広のネームを主人公が見ると“荒木又右衛門”(これじゃ、『空飛ぶモンティ・パイソン』(69)だよ!!)、学園祭で主人公が作ろうとする自主映画『からくり童子・欲情地獄変』に登場する3mの茶運び人形のスーパー・イメージ、鉄人28号みたいな木製のリモコンで操縦するからくり童子というお遊び精神……どこかに『オレたちひょうきん族』(81)の“タケチャンマン”に似た、オフザケを全力で映像化しようという、現代をターゲットにする映画屋根性が見えて、楽しい限りなのだ。正直、鈴木則文監督といえば、「トラック野郎」シリーズで知られる東映京都撮影所育ちのベテラン監督だが、時代劇シーンの異常なこりようや特撮感覚など、その飛びように驚かされた。ぜひ、ビデオでこの快作に出会ってくだサイ。

初出『月刊スターログ』No.91 1986年5月号/日本特撮秘史----国産SF映画復興のために SFX GRAPHIC ALBUM 42】

『星空のむこうの国』メイキング

「SFXには使われたくない」
自分のイメージ通りにSFX映像を作り出し
愛すべき16m/m映画となった小中和哉監督作品


 物語は、星空をバックに眼をうるませてこちらを見つめる少女の映像からはじまる。
『また、同じ夢だ……また、あの知らない女の子が僕のことを見ている……でもどうしてあんなに哀しそうな顔をしているんだろう……』と、つぶやく主人公のモノローグ。
『星空のむこうの国』(86)というタイトル(繊細なピアノのメロディが美しい)。
 目を開ける昭雄----
 高校生の昭雄は、一週間前の交通事故でかすり傷を負って以来、いつも同じ夢を見た。星空をバックに哀しそうに彼を見つめる美少女の夢だ。ところが、昭雄は、彼女を全く知らない。
 やがて、昭雄は、現実そっくりのパラレル・ワールドの世界へとはじき飛ばされる。そこは、一週間前の交通事故で、昭雄が死んだ世界だった。
 夢の少女は、死んだ昭雄の恋人・理沙であった。理沙は、死んだ昭雄とシリウス流星群を見にいく約束をしていた。重い病気であまり余命が残っていない理沙----彼女の想いが昭雄を呼んだのか!? 昭雄は、事情を知った親友・尾崎の力を借りて、約束を果たそうと理紗を病院からつれ出した。満天の星空を流れるシリウス流星群を海岸で見つめるふたり----理紗と昭雄の運命は!?
 前回、紹介した『星空のむこうの国』(製作:文芸坐+パラレル・ワールド)のストーリーだが、メイキングをわかりやすくするため、ほとんどくり返してしまった。ご了承ください。
 今回は、この『星空のむこうの国』のメイキングを中心に、フィルム・クリエイターのイメージがどう画面に定着していくかを見てみよう。
『星空のむこうの国』の22歳の小中和哉監督の話もできるだけ織り込んでいくつもりだ。
 この『星空のむこうの国』は、全620カットの映画だが(絵コンテでは、690カットあった。もちろん、絵コンテは小中監督自身による)、特撮以上に、入念な画面設計によるドラマ部分がおもしろく、「会話シーンが多いので、単調にならないよう、構図と撮影に工夫した」と、小中監督はいうのだが、すばらしい成果を見せた。
 上の絵コンテを見ると、昭雄と尾崎の電話シーンのカット割り、シリウス流星群を見るクライマックス・シーンがおわかりいただけるだろうか。特に、流星群を見るシーンでは、上から2コマ目の「キレイ!」といって、振り向く理紗の後、同じ振り向く動作を3回オーバーラップでつなぎ、さらに、それを見る昭雄の驚き(ズームすることで、昭雄の心に近づく)。次の理紗のアップと星空バックからの理紗の顔への移動車でのアップ(このカットの移動は、星空を動かさぬため、理紗のほうを移動車でカメラに近づけている)。この理紗は、ファースト・ショット夢の理紗と同じ構図で、テーマ的に対称する。そして、流星を見ながら、星に願いをかける理紗。ここは、ふたりの肩ごしに流れる星が見える構図と海岸の全景シーン、ふたりのバストアップの3ポジションをくり返しているだけで、カメラはふたりの気持ちをしっかりととらえていく……。
 奇をてらうカット割りでなく、いかにキャラクターの心情をつかまえようとする撮り方がわかるだろう。
 流れ作業ではなく、手作りで生まれる画面作りがここにある。この作品ほど、会話シーンに工夫を凝らした撮影を見せた作品は珍しいのではないか。そして、アクション・シーンになると、さらにおもしろくなるのだ。

イメージにあわせた
映画機材作りから

自転車によるカーチェイス
異様なオーバーラップ
まわり込みと、多彩な映像

「特殊機材の河村豊さんとよく話すんですが、日本映画って移動効果にしろ、特撮にしろ、まず機材があって、それができることから考えていくみたいなところがあるでしょう。本来はそうではなくて、まず最初にイメージがあって、それが従来の機材で撮れないものだったら、機材を作るというところからはじめないとだめだと思うんです。むこう(外国)の特撮なんか、そのショット専用のカメラを作るところからやっちゃうでしょ」
 小中監督はこういうのだが、事実、実にさまざまな映画機材がこの『星空のむこうの国』の撮影のために作られた。16ミリ用のオプチカル・プリンター、ミニ・クレーン、大クレーン、車のバンパーにカメラを固定して取りつける装置……しかも、そのひとつひとつが狙っている画面のイメージを生むために必要だったものばかりなのだ。
 例えば、途中、昭雄が自転車で理紗を無理やり乗せ、走り去る自動車を追いかけるカーチェイス・シーンがある。昭雄の自転車の前後で、低ポジションで全力でこぐ昭雄を撮る追跡シーン。あるいは、昭雄の自転車の主観シーンがあって、低ポジションで道路をなめ、長回しで坂を降りるシーンは、まるで自分が自転車になって車を追いかけているような迫力を生んでいた。
 車のバンパーにカメラを取りつけていたわけで、このカーチェイス・シーンは見ごたえも満点だった。マンホールのふたを取り、カメラを中に入れ、車が上を通過するシーンも出てくる。
 なぜ自転車にしたのかという質問に、小中監督は、こう答えてくれた。「走ってでは嘘だし、バイクではつまらない。がんばって体力で、自分の足で女の子を取り返してほしかった。宮崎駿さんの『未来少年コナン』(78)みたいにね」
 ロケを道路が広く、見通しのきく成城学園でやったのも成功の原因だと思う。
 昭雄がパラレル・ワールドへ飛ばされる前兆になる少女のついていたマリが昭雄の体をつき抜けるシーンは、ミニ・クレーンにモーターをつけ、カメラを移動できるようにして、ミニ・クレーンを横にして、昭雄がいるシーンといないシーンをモーション・コントロールでカメラを2回同じ動きでくり返し、この異様なオーバーラップ・シーンを完成させた。
 昭雄と理紗を星空バックで回転させ、まわり込みシーンを撮ろうとして考えたのだが、左上のイラストの仕掛けだ。星空カーテンは、1m×5mの星空ホリゾントを10mのカーテンレールにつけたもの。さらに、このカットは、理紗のアップから昭雄こみのサイズまでトラックバックしてから回転をはじめるというコンテ(イメージ)であったため、回転台は移動車の上に乗せられ、カメラとホリゾントの間を移動する。回転と同時に星空も動かしていくわけで、このタイミングと照明の調整は大変だったという。16ミリとあなどれぬ多彩な映像イメージがこの作品の魅力なのだ。

初出『月刊スターログ』No.89 1986年3月号/日本特撮秘史----国産SF映画復興のために SFX GRAPHIC ALBUM 40】


『星くず兄弟の伝説』から 『グリーン・レクイエム』へ

日本映画の特殊メイクを
リードするFUN HOUSE

『星くず兄弟の伝説』(85/監督:手塚眞)、『テラ戦士ΨBOY』(監督:石山昭信)の特殊メイクを担当した若手の特殊メイクのアーティストである“FUN HOUSE(ファン・ハウス)”の代表である原口智生さんと会って話していたら、新作の話が飛び出してきた。
「今、2本の映画が入ってまして、昨日も撮影所だったんですよ。1本は、角川映画の角川春樹監督の『キャバレー』、もう1本は、国際放映で撮影している鈴木則文監督の『ザ・サムライ』です。『キャバレー』のほうでは、銃が顔に当たった瞬間の弾着の特殊メイクをやっています。最初は、ワイヤーで引こうかとも思っていたんですけど、撮影の仙元(誠三)キャメラマンのほうから、それは避けたい、という話があって、空気圧を使って、1枚皮膚をはりつけて、その下にチューブを通して、ドバッと血が皮膚の下から吹き飛ぶような仕掛けを考えまして、撮影はこれからです。最後に、200人の人間に蜂の巣のように撃たれるシーンもあって、角川さんも、仙元さんも「顔や手に当たらないのはおかしい」ということにで、そこでも同様のやり方で、皮膚の弾着をやることになると思います。大泉の東映撮影所のふたつのステージをつなげて、大きな街のセットも組んでいるし、おもしろい作品にこれはなりそうですよ。
 鈴木監督の『ザ・サムライ』は、『ヤングジャンプ』連載のマンガの映画化で、登場する主人公が口に手を入れて、両脇にビロ~ンと伸ばしたり、まぶたに割りばしを突っ込んで、グニャ~と伸ばしたりするシーンがあって、それを特殊メイクで実際にやってしまう(笑)というマンガチックなメイクをやってます。特殊メイクというと、自分たちにはわからないからヨロシクと意見と指示すら出してくれない監督やスタッフが多いんですが、鈴木則文監督は、映画界に古くからいるベテラン監督なので、おもしろがっていろいろな意見と注文を出してくれるのがうれしいですね。当たり前ですけど、特殊メイクといっても特別なものではなくて、映画表現の一部です。スタッフと一緒にイメージを煮つめた時こそ、ああ、自分は映画を作っているんだな、と思えてきます。特殊メイクもメーキャップの一種、美粧の1ジャンルと僕は考えていますし、特別なものと考えている人が多いのは、寂しい気がしますね」
 今回は、いい機会なので、ようやく日本の映画でも新しい娯楽作品の映画の中で、次第に表面化してきた特殊メイクの話を、原口さんやFUN HOUSEの手がけたいろいろな仕事について触れながら、紹介していこうと思う。FUN HOUSEから写真を提供してもらったため、かなり珍しい写真もお見せできると思う。
 原口智生さんは、昭和3560)年526日生まれというから、現在、25歳。学生時代は、人形アニメ作家である川本喜八郎さんの『火宅』(79)と『蓮如とその母』(81)で美術助手をしたり、元コスモプロの出身で、アンドロメロスの造形や最近では、博品館劇場のミュージカル(主演は、宝田明や真田広之)『リトルショップ・オブ・ホラーズ』(84/演出:青井陽治)の植物モンスターの造形を担当した若狭新一さんの工房・MON-STERSでアルバイトをしたりしていた。
 特殊メイク的な仕事のはじめは、昭和5681)年、テレビ東京の『もんもんドラエティ』という番組の中で、手塚眞さんが8ミリ映画で作っていたショート・ホラーの造り物で、猫少女のマスク、宇宙人のマスク、ケガの傷や怪獣のヌイグルミなどを作ったという(この怪獣のデザインは、ゴジラによく似ていて、目撃者の石上三登志さんが踏みつぶされるという怪獣映画へのオマージュというべき珍作だった)。手塚眞さんとの出会いは、『ねらわれた学園』(81/監督:大林宣彦)に出演していた知りあいの女の子が撮影所の見学中に共演していた手塚さんを紹介してくれたのが初対面だそうで、ちょうどそういう人材を捜していた手塚さんからの依頼で、特殊メイクの習作を作り続ける形となった。昭和5782)年の石井聰亙監督の『爆裂都市 BURST CITY』には、メイク応援で参加する。フリークスのデザインを担当して、自ら出演もしていた手塚眞さんが紹介した仕事であった。昭和5863)年には、手塚眞監督の自主制作の16ミリ映画の『Sph(エスフィ)』で、特殊メイクを担当する。ダミーの女の子の頭部と変なナメクジのような機械生物、切り落とされた腕を制作、「制作費は、トータルして5万円で受注しました」
と、本人は笑うが、
「でも、まだアマチュアでしたから。手塚さんにとっても『Sph』という映画は、ブライアン・デ・パルマが『悪魔のシスター』(73)とか、『ロートンズ・ウォーク』とか、商業映画を撮る前に、実験映画を撮ってましたよね。手塚さんにしてみれば、『Sph』がそういう位置だったわけです」
という原口さんの分析は、その通りであろう。『Sph』は、現在、ビデオでも発売されているが、一見をお勧めしたい力作である。
 一度は、就職するつもりで、ある芸能プロに内定までしていたのだが、その会社がふたつに分裂して、原口さんは就職を断念する。そこで、元は小川ゴムという怪物のゴム面製作会社にいた友人の堀岡さんと、福生にある住まいを改造してアトリエにし、特殊メイクと特殊美術造形の工房を設立することにした。名づけて、“FUN HOUSE”、時に昭和5984)年326日。この日から原口さんが特殊メイクのへの道に、本格的に進みはじめることになった。

メイク、メカニカル、パペットと
メンバー3人の嗜好の違いが強みに

『星くず兄弟の伝説』では、約40種類の特殊メイクを1ヶ月間で制作した。この作品については、次回にフィルムを使って、特撮シーン、メイク、アニメと存分に見てもらおうと思っているのだが、今までの日本映画には類例のないオモチャ箱をひっくり返して、音楽をまぶしたような作品で、手塚版『ファントム・オブ・パラダイス』(74/監督:ブライアン・で。パルマ)とでもいうべきなのか……ともかく次回に期待してください。
『テラ戦士ΨBOY』では、大岡新一キャメラマンと一緒に仕事ができたのが、たいへん刺激になり、いろいろな意味で、ノレて仕事ができた作品だそうで、明らかに、『宇宙水爆戦』(55/監督:ジョセフ・ニューマン)のメタルーナ星人にヒントを得たデザインのゴールデン・フレイムを気品高くメイクして、この映画の悪役キャラ側を特殊メイクの表情で支えきった。特注で作った4種類のコンタクトレンズで見せた表情の変化もおもしろかった。すでに、石山監督とは、来年の作品で、特殊メイクではなく、一般メイクのメーキャップの仕事が1本約束できているそうで、原口さんにとって収穫の多い1本だったようだ。
 まだ公開されていないが、サンリオ映画の新井素子原作の『グリーン・レクイエム』(監督:今関あきよし、昭和6186)春公開予定)では、植物宇宙人の赤ん坊をメカニカルな仕掛けを組み込んだ人形で作りあげ、ワイヤーケーブルで、手や指の関節のギミックを動かし、そして、胸の呼吸描写は、操演者がチューブで息を吸ったり、送り込むことで、胸のふくらむ描写を自然に見せた。
 まだこの作品自体が編集を完成させていないので、仕上がりは何ともいえないが、こういうメカニカルで表情を出せるダミーや人形を作るスタッフがようやく出てきたか……と、スナップ写真を見ていて感無量となった。
 この赤ん坊のモデルを制作したのが、原口さんによれば、メイクというよりメカニカルな仕掛けが得意で、ワイヤーや油圧、モーター、ポンプと、ともかく動かしてみせることがうまい市川英典さん(23歳)で、去年は市川崑監督の新作『ビルマの竪琴』のために、立っていて、そこからガクガクと膝を折って倒れていく(動く)死体のダミーや倒れている死体を50体制作(持って帰るのが面倒なので、死体はそのままロケ地に捨ててきたという。いいのかなぁ……そんなのゴロゴロ転がしといて)。バンダイのオリジナル・ビデオの『うばわれた心臓』(85/監督:早川光)の動く心臓もこの人が作ったものだ。
「筋肉、骨格とか、人体の仕組みをよく研究している」
と、原口さんはいうのだが、それも右上のワイヤーケーブルではなく、顎の動きだけで口が開く市川さんの作ったゴリラのギミックを見れば、納得できるだろう。このゴリラの全身の設計図を見せてもらったのだが、ゴリラ本来の全身の毛の流れはどうなっているのかまで描き込んであった。FUN HOUSEのメカ部分を支える重要メンバーである。
 FUN HOUSEの現在のメンバーは3人で、残るひとりは、『ダーク・クリスタル』(82/監督:ジム・ヘンソン、フランク・オズ)風のパペットを得意とする田村登留(のぼる)さん(23歳)である。
 左ページに載せた写真が、フジテレビの『笑っていいとも!』に対抗してTBSがはじめた『おじゃまします』用に田村さんが作ったオランウータンのパペットで(デザインも本人による)、このどこかふてぶてしく、ズーズーしく、憎めない表情はどうだ。
 目もスゴイが、額の部分にもちゃんと表情がつけられるようになっているのがわかるだろうか。ほかにも『花王名人劇場』(関西テレビ)用にもパペットを制作しているという。
 メーキャップに力点をおく原口智生、メカニカルなものや動力をつけた動くメカが得意な市川英典、パペットが好きな村田登留と、それぞれの方向性が微妙に違うのが妙味で、その違いがこのFUN HOUSEの現在の力になっているのだろう。基本的な造形力と特殊メイク、メーキャップをベースに、それぞれの才能が自分の目標を目指して、伸ばされているのである。
 設立メンバーだった堀岡さんは、家の事情で実家へ帰られたが、女性のメーキャップ・パーソンとして、『スーパーポリス』(85/TBS)に参加していた市川さんは、現在、フリーになって、メーキャップの仕事を続けているし、ダミーを作るのを得意としていた甲斐さんも独立、最近作は、円谷プロのオリジナル・ビデオの『餓鬼魂』(監督:鋤田正義)の怪物がはい出してくるダミーヘッドと、FUN HOUSEを離れても活躍しているメンバーもいる。
 原口さんとよく話すのは、例えば、新東宝の中川信夫監督作品、昭和3459)年の『東海道四谷怪談』、昭和3560)年の『地獄』などは、いわゆる美粧(普通のメーキャップ)のスタッフが監督の要求にあわせ、今日でいえば、特殊メイクの仕事をこなしていた。それは、腕をくわえる化け猫映画、さまざまな怪談映画しかりであろう。
 外国のマネではなく、まさに自分たちのイメージから生まれるメイクでなければ。原口さんは、来年からどしどし普通のメーキャップの仕事をこなしたいという。FUN HOUOSEのさらなる仕事の充実に期待してほしい!

初出『月刊スターログ』No.87 19861月号/日本特撮秘史----国産SF映画復興のために SFX GRAPHIC ALBUM 38