『世界大戦争』昭和36(1961)年度作品 110分 カラー 東宝スコープ
昭和36(1961)年に東宝が作りあげた特撮大作である。SF映画というよりは、東西対立が冷戦のまっただ中に突入していた当時の世相をストレートに反映させた作品で、特撮が水爆の爆発シーンを中心にしたスペクタクルなものであるにもかかわらず、作品のタッチとしては、文芸作品にも近い人間ドラマを中核においていた。ごく平凡な庶民の生活の喜怒哀楽と、すべてを破壊させずにはおかない核戦争という対立の構図は、静的な本編ドラマと動的な破壊の画面ばかりである特撮シーンのリズム感の違いそのものである。アメリカ陣営、そして、ソビエト陣営という具体的な国家を出していないのが映画自体の弱点だが、本多監督と組んだ際とは、別の視点で円谷特撮は作られているようであり、円谷特撮の演出の一端を知ることができる。まずは、ストーリーに触れ、各特撮シーンについて触れてみよう。
戦後10数年、一面の焼け野原だった東京がともかく大都会に復興したのは、人々が一所懸命働いたからだろう、という意味のナレーションから物語ははじまる。
アメリカ・プレスクラブの専任運転手・田村茂吉(フランキー堺)は、その妻のお由(乙羽信子)と裸一貫の中からささやかな幸せを築いてきたひとりである。
だが、世界は同盟国側と連邦国側の二大陣営にわかれ、相手側を疑いながら、一触即発の状態を続けていた。ベーリング海上では、お互いのジェット・パトロール機が牽制しあいながらパトロールを続けていた。
緊張した国際情勢が世界に波紋を投げかける中、貨物船“笠置丸”の通信技師・高野(宝田明)は、船上で船長(東野英治郎)とともに、突然、夜空にオレンジ色から紫紅色へと輝く不思議な光を目撃する。高野は、田村の娘・冴子(星由里子)と、将来を約束した仲であり、帰国もいち早く無線で知らされていた。
山間部に巧みにカモフラージュされた連邦国と同盟国両陣営のICBMミサイル基地。命令ひとつで核弾頭を装備したICBMミサイルが発射される状態にあった。
朝鮮半島の38度線の小戦闘と対立を続ける両陣営だが、平和の願いはパリの首脳会談に託されることになる。
冴子と高野の様子がおかしいことに気づく田村だったが、お由に聞くと、ふたりは一緒になるつもりだという。「まだ冴子は19だぞ」と、怒る田村だが、お由に言われて自分たちも両親に反対され、駆け落ちしたふたりだったことを思い出した。「あいつもそんな年になったか」と、ニガ笑いする田村だが、それは娘の幸せを祈る平凡な父の心であった。
結婚を控えた冴子は、翌朝、船出する高野を横浜へ送り、その夜、ホテルの一室で、高野との愛を確かめあった……。
一方、平和会議はうまくいくかに思われたが、ベーリング海上で、同盟国側と連邦国側のジェット機編隊が思わぬ戦端を開いてしまい、しかも小型核ミサイルを両編隊が使用したため、両陣営の友好ムードは、たちまち吹き飛んでしまった。各地の両陣営の戦端部で、小競り合いが戦いへと進行していった。
日本政府は必死に、平和と停戦への呼びかけを続けるのだが、戦争は各地で次第に拡大していく。
まだICBMは発射されていないが、両陣営は相手を避難するばかりで、戦場で小型の核ミサイルが使われ、戦いは拡大を続けていく。全面戦争は必至と思われた。日本も同盟国陣営である以上、必ず核ミサイルの攻撃を受けるだろう。
東京は、混乱の極みに達し、恐怖はすべての人々を襲った。職場から、学校から、自宅へと戻り、家族で東京を脱出しようとする人、人、人。地方へと向かうターミナル駅は、悲鳴をあげる人々でいっぱいになった。
保育園では、早苗(白川由美)がなす術もなく、何も知らぬ子供たちの不安なまなざしを受け止めるだけである。田村家も一家5人、戦争が起こるかもしれない、という恐怖に、ただ、オロオロするばかりだった……。
日本政府は、世界に平和を呼びかけるが、その叫びももはや無駄であった。東京の街は無人の街と化し、犬の遠吠えが、太鼓を打ち鳴らす法華衆の道行く祈りの声がビル街に空しくこだましていた。
日本列島は、不気味な夜を迎えた。
田村家は、一家とも逃げず、自宅にいた。
今日一日かもしれない人生を幼い長男や次女に知らせまいと、今晩のおかずは、まるで正月か、クリスマスという豪華なものだった。
料理に喜ぶ幼いふたり。田村は、「戦争なんか起こるもんか」と、怒りに震えるように呟くが、その言葉を自分も信じていなかった。気まずくなった大人たちは、庭に植えたチューリップの話になるが、まだ芽が出ていないチューリップを見て、冴子は「よかったわ」と、投げやりに呟いていた。まだ芽が出てなければ、核ミサイルがきても大丈夫かもしれない。皆が死んだ後、私たちのチューリップが芽を出して、花を咲かせるのよ、と泣きそうになる冴子。「子供が怯えるじゃねえか」と、怒る田村だが、「戦争なんか起こってたまるもんか」という彼の思いは、止めようがなくなっていく。
一所懸命生きてきて、いいことなんかこればっかしもなかった。お由だってそうだ。苦労ばかりだ。これから、今までの分、幸せになるんだ。冴子が結婚して、孫を見るんだ。別荘を建てて、母ちゃんの神経痛を温泉もある別荘で直してやるんだ。長男には、自分のいけなかった大学へいかせるんだ……家の二階にあるもの干し場で、涙声で絶叫する田村。それは核戦争に押し潰されようとするすべての人間の心の叫びであった。
冴子は、太平洋上の高野とハム交信をする。「冴子……幸福だったね」、その通信文を読み、マイクを握りしめる冴子。その頬を熱い涙がとめどもなく流れていった。
ついに、海中の原潜からポラリスミサイルが発射され、ICBMが続々と、連邦国側、同盟国側の基地から発射されていく。世界終末の日がついにきたのだ。
日本政府の防衛センターは、日本列島へ近づく多数のICBMをそのレーダーに捕らえた。息をのむ防衛センターの司令官(高田稔)や士官たち。不気味なセコンド秒が流れる中、疲れて寝ている子供たちを見守る早苗、幼いふたりを膝に抱く田村一家の無言の描写が続いていく。そして、防衛センター。後、数秒か!? 声もない士官たち。
国会上空に飛来する光の点、そして、目も眩む閃光と爆発が起き、ついに核爆発の炎は東京を、日本を捕らえたのだ。東京が炎に、爆風に包まれるころ、ニューヨークも、モスクワも、ロンドンも、パリも核爆発の中に散っていく……世界は、愚かな人類の核戦争のために全滅していったのだ……。
太平洋上の笠置丸は洋上のため、核ミサイルの被害はまぬがれた。自分たちだけ生き残って何になろう。笠置丸は、乗員すべての意見で故郷の日本へ向かうことになる。老コック長・江原(笠智衆)のやさしい声が悲しい。
「全世界の人々がもっと早く声を揃えて、戦争は嫌だ、戦争をやめようと言えばよかったんだ----人間はひとりもいなくなるんですか……」
画面には“まだ間にあう。皆で押しとどめよう。”という呼びかけが出て、水爆によって赤く焼けただれた東京の死の世界にテロップがダブり、終わっていく……。
特撮シーンとしては、まずベーリング海上の北極海上空のジェット機の空中戦が素晴らしい空間の広がりを見せている。両側からジェット機が飛行機雲を引きながら接近し、交叉していく。操演によるものだが、その北極海の氷海のセットの広さとその上空を編隊で飛ぶジェット機の小ささと、スピードが異様な広がりを与えている。そして、空中戦は、それぞれ両側から接近、一機、一機と戦闘態勢へ離脱、本編のパイロットも挟み、それぞれミサイルを発射し、小型核ミサイは画面奥へと飛び、爆発したオレンジ色の炎が合成で奥からふくれあがり、たちまち画面全体を飲み込む抜群のイメージを生み出した。
ICBMの同盟国側、連邦国側の基地のセットが自然をフルに使った実にリアルなセットで、ラストの基地からICBMミサイルが次々と発射されていくシーンなど、ドラマの盛りあげもあるが、印象に残る特撮シーンであった。
原子力潜水艦の特撮シーンは、すべて実際の水中プールに潜水艦のモデルを走行させており、プールの脇に作られた窓から撮影する方法をとっていた。特にいいのは、本編の乗組員がグラッと揺れるショックを見せる防潜網に原潜が捕らえられるシーン、水中に原潜からポラリス・ミサイルが発射されるシーンで、おそらく、世界の特撮でもはじめてのポラリス・ミサイルが水中から飛び出すシーンを特撮で表現して見せていた(外国では、いずれも実物で、軍のフィルムをライブで使用していた)。吹きあがる水柱の中をミサイルが海面から飛び出していくシーンは圧巻であった。
朝鮮半島の38度線のミサイル戦車隊と攻撃ヘリとジェット機の戦いは、ジェット機から発射されたミサイルが超スピードで戦車に命中し、戦車を粉砕するというシーンを、操演のミサイルで見せている。
『世界大戦争』の特撮のなかで、特に、触れなければならないのは、水爆の爆発シーンだろう。このシーンは、円谷英二自身の文章も含め、その発想に迫ってみよう。まずは、円谷の文章から。
「『世界大戦争』の水爆場面は、地上2000メートル上空で爆発----大東京全域が、その爆風の圧力で壊滅する場面であるが、爆風だけで模型のビルを壊すことは非常に至難でこれ迄にもやったことのない、トリック・シーンであった。
先ず爆風をどんな方法でやるかだったが、瞬間衝撃波を出すには、二つの方法によるきりなかった。第一は圧さく空気の瞬間放出、第二は、火薬を使用して出す爆風である。しかし、安全性を考えると、火薬を使用する方法は危険が多い。それに、可成り広い範囲のミニチュアを瞬間に木ッ端微塵にするには、相当な火薬の爆風が必要である。爆発音だけでも、閉め切ったステージ内で行うことを考えなければならないが、といってオープンでやることも住宅の多くなった、最近のスタジオ界隈の状況を考えても、苦情の出ることはたしかである。だから少量の火薬の爆風でも壊れ易い材料を研究してやらなければならないことになる。色々考えた末、子供に喰べさせるウエハウスを材料としてミニチュア・セットを造ることが出来るかどうかをスタッフに提案した。最初は、この道二十年選手の特殊美術の渡辺明君も、石膏ミニチュアにかけてベテランの小田切君も当惑の面持ちだったが、数回の試作を重ねている内に自信を得て、素麵とウエハウスを巧みに使いわけて、立派な議事堂を造り上げた。」(『世界大戦争』パンフレット・特撮裏おもて・円谷英二特技監督にきくより引用)。
かくて、そば粉とウエハウスの各国首都のビル街が生まれるわけだが、まず、脚本から水爆が2000メートル上空で爆発----大東京全域がその爆風の圧力で壊滅する、というイメージを作り、そこから一歩も円谷英二が退いていないことがわかる。それを作るためには、ふたつの方法しかないという方法論になり、さらに、具体的な技術の検討に入るのである。
そして、総論は両方を兼用することになるのだが(もちろん、効果上から順番が使いわけられている)、その実際は次のごとくになる。
「各国首都のミニチュアは、いづれも五メートル四方の台の上につくられる。そしてまずセン光、三百キロのライトに照らされた上に、十個のセン光電球を一瞬にたく。そして爆破は口径十センチメートルの大砲状のもの七個に一寸花火をつめ、いっせいに上から発射する。カメラ三台でキャッチするのだが、いずれも望遠レンズを使う。つぎは爆風である。酸素ボンベ十個をひとまとめにして噴射させる。実際からこの圧力は一平方メートルあたり五千トンの重量が加わるという想定。これでミニチュアの都市はあらかた消えることになる訳だが、圧力による発熱は一千万分の一秒で五億から十億度という想像もつかない高熱に支配される。このシーンはセットを屋外に出し、あるいは製鉄工場にロケして、溶鉄を流す。かくして完全な消滅図となる。」(前同・話題のあれこれ)
さらには、イメージに近づけるために、撮影の方法にも工夫がこらされていた。
「撮影の方法もさまざまである。普通のセットのように、平台の上に飾りつけて撮影したものもあれば、平板に飾りつけたものを空中に逆さまに吊りあげて逆撮したものもある。それぞれ効果を考えて、そんな撮影をしたわけではあるが、わけても、業火に焼け爛れてゆく市街の数カットは、普通の火災のようでは面白くないので、地面を火が這い廻るような効果を挙げるため、これもセットを逆さにして撮影した。」(前同)
自分は、どんな完成場面のイメージを作ろうとしているのか、そのイメージをどう撮ればいいのか、それを撮るためにどう具体的に作らねばならないのか、という順で、1イメージ、2方法、3具体的な技術へと進んでいく円谷特撮の発想法がおわかりだろうか。徹底したイメージへの喰いつきがその演出になければ、そのシーンはアニメイト(生命を与えること)されず、ただのミニチュアやフィルムとなってしまう。特撮演出にとって、クリエイトのイメージへの喰いつきは、とても大事なものなのである。
夜の国会議事堂の上空に飛来する光点----次の瞬間、画面はセン光に包まれ、国会議事堂は木ッ端微塵に砕け散り、暴風の熱波に飛行機、建物が吹き飛ばされる国際空港、上野の周辺か----田辺家の周辺----吹き飛ぶ下町、暴風に吹き飛ぶ郊外の家と電車群、大木、そして、カメラは、静岡県のほうから富士山の右側に噴きあがる紫色のキノコ雲を存分に見せるのである。爆心地からセン光と熱と爆風が一瞬のうちに何10キロメートルもの広さに広がっていくイメージをおよそ一秒おきに近い、叩きつけるような短いカッティングでつなぎ、水爆が東京に落ちた瞬間の視覚イメージを作りあげていた。先の円谷の文章で引用した、地上に渦巻く炎のシーンが圧巻で、地面をナメ尽くす業火、ふくれあがる炎の中、ビルの残骸が音をたてて崩れていく、炎が踊り、フッと炎が遠のくと、その炎の中から灼熱して曲がった東京タワーが出現する映像美。鉄骨のビルの骨組みだけが炎の中に揺れるシーンも圧巻である。地面は真っ赤に燃え、まるで燃えた大地のようになって、渦巻く炎に崩れていく。そこに横殴りに押し寄せてくる大波。逆流してきた東京湾の海水だ。その海水が入り、破裂する蒸気が正面の中に吹きあがっていく。もはや、夜空は熱と吹き出す蒸気と暴風に、まるでモヤのように揺らめき、血を流したようだ。まさに、目で見る灼熱地獄----特撮だけが表現できる破壊スペクタクルの極致というべきシーンであった。この東京破壊シーンは、本編なしの特撮シーンだけで作られており、円谷特撮の映画全体を考えた上でも緻密な設計と編集は、映画のクライマックスを見事に完成させていた。
各国首都の破壊シーンの中でも、特に、パリの凱旋門の破壊シーンが圧巻で、爆発するセン光の中、メラッと爆発する炎の中でバラバラになって空中にめくれあがる凱旋門の破壊イメージは、破壊のフォルムを全編に見せており、やたらと吹き飛ぶニューヨーク、モスクワ、ロンドンの破壊シーンを圧倒する破壊映像美を生み出していた。
松林演出は、平凡な力のない庶民のひとり、ひとりに焦点をあてており、軍部の人間が実は、平和を愛している、という部分よりもはるかにリアリティーを感じさせた。逃げまどう人々や、ラストのフランキー堺の演じる田村の思いは、核戦争がもし実際に起きた時、私たちひとり、ひとりの胸に宿る恐怖や怒りそのものだったのだろう。
この作品の弱い点は、前述したように、連邦国側、同盟国側と、世界の二大勢力をシンボライズして、抽象化している点で、見ている途中、どちらがアメリカ側か、ソ連側か、わからなくなってしまう部分も多く、リアリティーのある庶民の描写を思うと、まことに惜しかったと思う。エキストラも含め、3000人を超えた外人俳優とエキストラだが、日本人サイドの演技者と比べ、演技力のレベルが低いのもこの映画の完成度にとっては不幸であった。戦争開始へなしくずしに展開していく、開戦の状況だが、これも両陣営をはっきりさせなかったため、両国の首脳が姿を見せず、軍だけを描くのみの感もあった。お互いへの憎悪と疑い、信頼の欠如が、戦争停止を実現させない、という正攻法のポリティカル・フィクションの部分もあってよかったと思う。
ようは、松林監督自体が、理不尽な地球を終滅させてしまう核戦争に巻き込まれてしまう庶民の恐怖と怒りを表したかったからで、国家など興味がなかったのかもしれない。
松林監督は、この映画について、『東宝映画』昭和36年10月号で、こう書いている。
松林監督は、この映画について、『東宝映画』昭和36年10月号で、こう書いている。
「昨年、同じような形で『太平洋の嵐』を担当させられました。最初、脚本を読んでみて、日本には航空母艦が一隻もあるわけではなし、飛行機が一機もあるわけではなし、こういう脚本がどういう具合にして映画化されてゆくのだろうか、と大へん危惧しました。撮影が終わり、編集されたのを見ると、航空母艦が一隻もなくても、飛行機が一機もなくても、立派に『太平洋の嵐』は出来上がりました。
今年、また『世界大戦争』という、大変な作品の担当を受け、脚本を読んでみたところ、昨年の『太平洋の嵐』以上の危惧と不安を感じました。ミサイル基地だとか、ミサイルの発射状況だとか、被爆状態だとか、こういうものが、一体、どういう具合に映画化されていくのだろうか、----文字の上では解るとしても、これを画面の上にどういう具合に表現してゆくかということに対しては、大変な危惧と不安がありました。二、三日前、今までに撮り上げたフィルムを全部つないでみたところ、円谷さんの大へん優れた技術により文字の上で描かれているすべての難解と思われるところが、全部、立派な画になりました。私の不安は拭われ、唯今、大へん安心しているところであります。」
この文章は、この映画を担当した監督としての心境にこの後、続いていくのだが、この文章を読んでみると、本編の松林監督と特撮の円谷監督がそれぞれのパートを独立して作りあげているのがわかる。松林監督の撮影する本編を計算した上で、円谷の特撮設計は行われていたイメージもある(ベーリング海上の激戦、ICBM基地のミサイル修理シーンや潜水艦の追跡シーン)。そういう意味では、特撮は、意外と特撮のみで、あまり合成も多用せず、本編は本編、特撮は特撮と、パートをわけ、編集段階でひとつにまとめる作業をしていたようだ。効果を第一の互いの狙うべきこととして、本編、特撮いずれが主役でもなく本編と特撮がダイナミックに連絡をとり、カメラのパン、編集や視点の統一と、実に、有機的なつながりを見せる本多、円谷コンビとは、かなり演出方法が違うようだ。
松林監督は、淡々としたドラマ作りの中で、人間の喜びや悲しみを結晶化させるわけだが、特撮作品としての淡泊な味わいもその松林演出ゆえかもしれない。
【初出 実業之日本社『円谷英二の映像世界』(竹内博、山本眞吾・編)円谷英二主要作品解説 1983年】