8ミリでも本格映画の香り『夢で逢いましょう』の感激!!
ウディ・アレン監督の『カイロの紫のバラ』を友人が見てきて、実にうれしそうにそのおもしろさを話してくれた。
もう5回も同じ映画『カイロの紫のバラ』を見にきているウェイトレスのセシリア(ミア・ファロー)。すると、スクリーンの中の映画の主人公・トム(ジェフ・ダニエルズ)が突然、彼女のほうを向いて、「君、5回目だね」と語りかけた。トムは、スクリーンから外へ出てきてしまい、セシリアを誘ってデートに出かけてしまう。上映している映画のストーリーは、主役がいなくなったので、進行が止まり、共演者はスクリーンの中、ヒマを持て余し、ウロウロ、巻き起こる珍騒動……というファンタスティックな大人のおとぎ話で、「スクリーンの中から彼女のほうを向いて、語りかけるところがすごいんです」と語る友人は、才人・アレンならではの映画の虚構性と映像の持つリアル感を使い切るシャレッ気に圧倒され、堪能した様子だった。
同じ物語を小説で読んでも、マンガで見ても、あまり感心しないのではないだろうか。
物語の設定がとても映画的なわけで、映画だからこそ生める物語世界が、生まれているのだ----人間のイメージに映画が密着して存在しているのがよくわかるだろう。
その友人の話を聞いて思い出したのが、一本の日本映画であった。年に一、二回、東京の池袋文芸坐ル・ピリエやイメージ・フォーラムで上映される映画で、植岡喜晴監督・脚本・撮影・編集作品という2時間14分の8ミリ・カラー映画『夢で逢いましょう』(84)がそれであった----8ミリ、と尻ゴミすることなかれ、イメージあふれるファンタジーの佳作、それが『夢で逢いましょう』なのだ。
まずは、ストーリーを紹介してみよう。
29歳の青年・本町杢太郎(つみつくろう)は、幻のうたたかの花をみつけようと、四半世紀探したが、その世界への扉は開かなかった。
現実の、世間や人々への気配りがうたたかの花と自分を遠ざけている、と思った彼は置き手紙を妹のよりこ(紀秋桜)に残して家出。頭のちょっとゆるいよりこは、ただ泣き崩れた。
舞台は、一転して、ここは天国。岩石の大地と荒野と明るい青空が果てしなく広がる。
下級天使のひさうちさん(ひさうちみちお)が千手観音さんとあいさつを交わしている。
ひさうちさんは、観音さん(今泉了輔)と天国の門の受付係。手に魂の花を持つ人々が虚空を見て立ち尽くしている。サラリーマン風の人、バイク乗り……夢を見すぎて死んだマンガ家の江戸川分裂(今井朝)も、魂の花を煮込んだ天国水を飲んで、天国の住人になっていく……そこへやってくるよりこ。
よりこは魂の花を持っていない。死んだ人は、天国で花になるという話を聞いて、天国見物しようと、天国に入ってしまうよりこ。
「(走っていく彼女を見ながら)観音さん。花持ってないいうことは、あの子、まだ地上で死に切れてないことと違いますか?」
「あ、ほんまや。これはえらいこっちゃ」
「死んでないのに天国こられたら、困りますねぇ……(うなずきあうふたり)」
よりこは、天国でいろいろなものを見る。人間のいかがわしい夢を管理する夢倫理委員会、花になっていく江戸川分裂……そのイメージが実に破天荒なのである。
セーラー服を着て、人形遊びをする中年の仲曽根さんの夢を没収しようとする夢倫を前に、彼女はこんなことをいいます。「おっちゃん、何も自分を卑下することあらへんねんよ。おっちゃんは何も悪いことしてません。うちにはわかるねん。おっちゃんは、他人よりちょっと性格が歪んでるだけやねん。そうでしょ、そやからこんな人に負けとらんと、もっと勇気と自信を持って、この夢を生き抜いて下さい、そうよりこは思いました!」、仲曽根さんは勇気づき、夢倫の人は大慌てです。
土に半分埋まり、胸から花が生えてる分裂は、「よう考えたら、散歩でけへんし、散歩しながら夢見る楽しみも奪われてしまうねん、もうおしまいや」といい、よりこは、「うち、難しいことようわかれへん。そやけど、花になっても夢は見れるのんと違うか。花の見る夢はええ匂いがして、きれいな色がいっぱいついてて、そんで甘い蜜の味がするねん。あんまりきれいすぎて涙が出てくるくらいや……おっちゃん、心配せんかていい夢見れる」と、恐くて泣いている分裂の涙を口ですくって、ハーモニカを吹いてあげる。分裂は、「ええ音色やなぁ、いい夢見れるわ。おおきに……あんた、ええ子やなぁ」と、土の中に吸い込まれていく。「おっちゃん……」土の上に咲く花一輪。「……天国もせつないなぁ……」と、合掌するよりこ。このムードには感激しました。
よりこは自殺していたのだが、ひさうちさんや観音、天女、天狗さんに捕らえられ、地上へ送り返された。彼女に想いを寄せる大家の村上さんは、8回目の自殺に、「若い命をホンマに何てことするんですか!?」と叫んでいた。
そのころ、杢太郎は、うたたかの花が見つけられず、自殺。地獄へいき、おかまの悪魔(手塚眞)に死ぬのは1ヶ月後と伝えられる。そして、悪魔はうたたかの花を一目見せるのと杢太郎の魂交換の契約を成立させてしまう。
よりこは、慕う兄に会えぬ悲しみの中、その夢の中に天国の魂を引っぱりはじめる……宮澤賢治、サン=テグジュペリ、分裂が彼女の夢の中で生きはじめたのだ。物語は、現実から天国、地獄に、夢世界と広がり、さらに盛りあがる意外なラストも見事であった。天国は宝塚のガレ場を使った岩場と荒野、よりこの夢世界は、緑あふれる静かな紅葉の山と湖の麓と、ロケーションの美しさを見せ、ローバジェットでありながら、作り手のイメージ力のすごさとセンス、セリフの魅力がまさに映画の香りを充満させていった。
よりこは、宮澤賢治(あがた森魚)の亡き妹を天国から自分の夢の世界へよみがえらせ、結ばれたふたりは、彼女の夢の中で永遠に暮らしていく……その作者の宮澤賢治への愛情と人間へのオマージュは、目も眩まんばかりであった。
神戸出身の植岡監督、関西自主映画界の俳優勢ぞろいで、関西弁のイントネーションのやさしさとわい雑さの中に、独特の世界が生まれていて、錯綜する物語とその中で適確に捉えていく哀しみのエモーション……監督は、「シナリオ脱稿の際、1時間50分はかかると思った」と語る。この作品は、まさに映画であり、8ミリはその手段にすぎないのだ。
見る機会の少ない作品だが、あまりの好編のため、取りあげた。あなたが見る機会に恵まれることを(ダメなら上映会でもやろうか?)。
【初出 角川書店『月刊ニュータイプ』 昭和61(1986)年11月号】