♪オモシロ心は、ぼくらの心の中の子供たち♪
毎年、春の楽しみは、劇場版の長編『ドラえもん』を映画館で見ることで、今年も3回ほど映画館へ足を運んだ。巨大ロボットのザンダクロスが湖をスイスイとクロールで泳いだり、バレエを踊ったり巨大ロボットの迫力と同時に、ギャグを盛り込む藤子アニメならではの冗談とシャレっ気に客席を埋めた子供たちと一緒に声をあげて笑ってしまった。
今年の見どころは、もう一本の併映の立体アニメ『オバケのQ太郎 とびだせ!バケバケ大作戦』で、まぁ、そのよく飛び出ること、映画館の至るところで、家族づれの子供たちが興奮して、「お母さん、電柱が出てる、出てる!」、「ワァッ、スゴ〜イ」、「見て、見てっ!」と、キャラクターが飛び出したり、ゾウの鼻がニュッと突き出てるのに大騒ぎで、こうやって劇場で子供たちが歓声をあげるなんていうのを見たのは、何年ぶりだろう……と感激してしまった。
あの作品をお話がどうのこうのというアニメ・ファンがいるけど、あれは子供たちにすれば、“劇場だからこそ味わえるイベント”として、ビックリして楽しんでいるわけで、そういう映画としては成功だったと思う。
たとえが悪いかもしれないが、昔、東映まんがまつりの劇場でやっていた『仮面ライダー』(71/MBS・TBS)の実演ショーで、目を丸くしている子供たちのようなものか。劇場がその子にとっては、この世ならぬ異空間に変じていたのだ。
この夏、『天空の城ラピュタ』(86/監督:宮崎駿)を見に行って、同じような思いにとらわれた。一番楽しんでいる、小学生から中学生で、映画の画面と一体化し、笑い、息をのみ、映画が終わるとニコニコと劇場を出ていくその子たちを見ていて、こういう映画の見方が最高なのではないか……と、そう思えたのだ。
実際、子供たちと一緒に見ると、アニメや特撮は、実にいろいろな発見がある。ディズニー映画の『バンビ』(42/監督:デイヴィッド・ハンド)を見ていた時だが、森に猟師(ハンター)が現れ、母親がその気配を察して、バンビを逃がさせようとするシーンがある。画面全体が暗くなり、不安を感じさせる音楽、ザクッ、ザクッと草原を踏むハンターの足、逃げる母親と何も知らぬバンビ……すると、劇場の各所で3〜4歳の子供たちが泣き出したのである。「コワイよ〜」、「ウェ〜ン!」……何かが起こることをその子たちは、気づいてしまったのだ。この映画を最高に味わっているのは、あの子たちだなぁ……と、暗がりの中でビックリしてしまうのである。
京橋にあったフィルム・センター。研究上映で、昭和初期の『浦島太郎』のアニメが上映されたことがある。何を間違えたのか、子供をつれた家族づれの人が何組か入ってきて、上映が始まった。竜宮城へ行くと、タイやヒラメ、タコは上下カミシモ、頭がタイ、ヒラメ、タコそのもので、その珍妙さに、子供たちは、何かひと言しゃべる度に大爆笑……研究上映を見にきていた大人たちはムッとして、『何だ、こいつらは!?』と怒っているわけだけど、その時思ったのは、『この子たちの反応のほうが正しいんだ』ということだ。しかつめらしく資料として映画を見ている僕も含めた映画ファンのつまらなさに気づかされてしまったのだ。子供たちは、まさに作品を本当に味わっていたのである。自分のことを思い出しても、東映の長編アニメの『西遊記』(60/演出:藪下泰司、手塚治虫、白川大作)、あのラストの悟空と牛魔王の空中決戦シーンの興奮を忘れることは、生涯できないだろう。
空を飛びながら戦う両者。♪チャチャチャ〜チャララァ♪と、陽気な音楽にのって、闘牛士よろしく雲の上に立つ悟空----カメラは両者をとらえ、悟空と一緒に僕も空を飛んでいた。
あのリズム、編集、----そして、煮えたぎる火山の溶岩火口の上空で対峙する両者。
目も眩む体験というのは、あのことであった。自分が消え、スクリーンの中に突入して、僕は映画そのものになっていった。
映画が終わった時、体の血のたぎりを感じることができたほどで、これが映画なんだと実感することとなった。
『キングコング対ゴジラ』(62/監督:本多猪四郎、特技監督:円谷英二)も全く同じで、スクリーン以外のすべてが消えてしまう興奮を味わい、映画館から夢心地で帰ってきた。
キノコを食べてキノコになってしまう東宝特撮の『マタンゴ』(63/監督:本多猪四郎、特技監督:円谷英二)では、主人公に後ろから近づいてくるマタンゴの長廻しのシーンに仰天して、『やられちゃう、やられちゃう』と、8歳の僕は「うしろ、アブナーイ!!」と思わず画面に向かって大声で叫んでいた。周りの人はビックリ仰天だったが、叫ばずにはいられなかった----映画と僕の垣根はその時、存在していなかったのだ。だから、20歳になるまで、12年間、キノコを食べる気になれなかった……バカバカしいと思いながら、僕の血液の流れの中に、その時叫んだ戦慄の余韻がしっかりと残っていたからである。フィクションとはいえ、あの時感じた血が逆流する悪寒を覚え続けていたのだ。
今はビデオが続々と出て、自宅で、友人の家で、『ゴジラ』(54/監督:本多猪四郎)だ、『海底軍艦』(63/監督:本多猪四郎。特技監督:円谷英二)だ、『キングコングの逆襲』(67/監督:本多猪四郎、特技監督:円谷英二)だ……と、楽しみながら劇場で見るとは、ズイブン違うなぁ……と、発作的にオールナイト上映へ走っていきたくなる自分を時々抑えられなくなる。
昔、映画の美術スタッフに話を聞いていて、35ミリフィルムが上映されると、一千倍くらいに拡大されるんだ……という話になり、「それを考えたら、手を抜けないよ」という話に思わず納得したものだ。
映画というのは不思議なもので、TVでやるために作ったTV映画でも、大スクリーンに映すと、映画になってしまう作品が少なくない。『ウルトラQ』(66/TBS)、『ウルトラマン』(66/TBS)、『ウルトラセブン』(67/TBS)、『怪奇大作戦』(68/TBS)は、その典型で、上映会を開いて、大スクリーンに映して、その映像のパワーに改めて驚くことも度々だったのである(第14、15話「ウルトラ警備隊西へ 前編 後編」〔監督:満田かずほ、特殊技術:高野宏一〕や第39、40話「セブン暗殺計画 前編 後編」〔監督:飯島敏宏、特殊技術:高野宏一〕なんて、あんた、腰抜かしますぜ!!)。特技監督や本編の映画スタッフたちは、真面目に「これはTV作品なんだから、TVサイズを考えて作ってある。だから、TVで見るのが正しいんだよ」とおっしゃるのだが、大スクリーンで映える映像を否定しようがないのである。これが、フィルムの魔力というものなのだろうか。
『ドラえもん』(79/テレビ朝日)や『キン肉マン』(83/NTV)の主題歌が流れ出すと、思わず歌ってしまう子供たち。自然に楽しくなり、彼らは歌っているわけだ。
実際には声は出さないけど、映画館の暗がりの中で、僕も心の中で歌ってみる。すると、“ドラえもん”が一歩近づいてくるような気がする。映画館は、フィクション世界へ続くステキな“どこでもドア”なのである。
【初出 角川書店『月刊ニュータイプ』 昭和61(1986)年10月号】
*満田監督の名前は、正しくは禾に斉。
*満田監督の名前は、正しくは禾に斉。