大魔神&妖怪映画を製作した大映京都撮影所研究

東宝特撮とはひと味違う大映京都の特撮作品。東宝と並び特撮量産スタジオだった大映京都の魅力とは何だったのか!? 『釈迦』(61/監督:三隅研次)や『大魔神』(66/監督:安田公義)、『妖怪百物語』(68/監督:安田公義、特撮監督:黒田義之)、『妖怪大戦争』(68/監督:黒田義之)を例に少し考えてみよう。

『この日のシーンは、突然姿を見せた大魔神の出現に、あわてふためく恐怖の城兵たちが、目前に迫ってくる大魔神を阻まんとして、窮余の一策と、鉄の鎖を張りめぐらして道を封鎖する。だが巨大な力を持つ大魔神の前には、鉄鎖もなんの威力も持たず空しくひきちぎられ城砦もその一撃で粉々に破壊され尽くすという凄絶なシーンだ。
 このシーンの撮影のため、ステージいっぱいに建て込まれたセットは、大映美術陣が二十日間、百万円の費用をかけて作り上げたもので、すべて実物を二・五分の一に縮小した精巧なもの。二・五分の一という計算を割出したのは、大魔神の原寸の丈を十五尺と設定、そのため人間が中に入って暴れる魔神の長さが六尺となったためで、瓦から建具の細部にいたるまで、すべて二・五分の一に縮小されたものを別誂えし、それを本格的建築手法をそのまま用いて作っただけにその苦心のほどがうかがわれるというもの。
 日本最初のこの二・五分の一のセットは、別名を中ミニチュア・セットといわれるだけあって、これまでのミニチュアの観念を完全に変えたもの。その精巧さとボリュームは大魔神の迫力とあいまって、実物そっくりの見事な出来栄えである。
 暴れ狂う大魔神が、この見事に組み立てられた二・五分の一セットを、一瞬のうちに破壊してしまうわけだが、この破壊シーンの撮影には、特別に作成された指令盤が黒田(義之)特撮監督の前にすえられ、ここから各部署に的確な指示がランプの点滅で飛ぶわけだ。
 暴風、大音響、稲妻など次々と黒田監督の意図のもとに、扇風機、アークライト、スモークと必要な特殊効果が大魔神出現の不気味なムードを作っていくわけだが、何回も慎重なテストを重ね、さらに神経質なまでに入念なリハーサルが繰り返される。それというのもやり直しのきかない破壊シーンだけに、黒田監督や森田(富士郎)カメラマンの表情も心なしかこわばった感じだ。
 いよいよ本番、カメラ三台が要所に配置され、それぞれ二倍の高速度撮影だ。すさまじい暴風の中を、大魔神が鉄鎖をひきずりながら進む。巨大な腕がふりおろされるとみるまに崩壊しさる城砦。引抜かれる大木、スタッフも思わず息をつめるほどの迫力溢れるシーンの撮影だったが、美術部苦心のセットは、あっという間に無残な有様。』
 これは、大映京都撮影所宣伝課が発行したスタジオ・メール第4523号の記事の引用だが、まさに上に載せた『大魔神』の1シーンのメイキングであることがわかると思う。
 今年の夏、竹内博、鳴海丈の両氏と大映京都撮影所を訪れた。『大魔神』をはじめとした大映京都撮影所作品の取材のためであった。
 今回は、徳間書店で10月末に発行された『大映特撮コレクション』からこぼれた大映特撮のお話をしよう。

大映の特撮作品のビデオだが、値段をさげ、シネスコ版に直す作品も多くなり、来年は、「怪猫」ものも出すという話だ。竹内博さんとは、今度は東映の特撮コレクションをやりたいなどと、ほざいている今日このごろであります。

 東宝、新東宝と並んで、戦後、特撮作品を量産した大映だが、時代劇を主力にする“大映京都撮影所”、現代劇を主力にする“大映多摩川撮影所”とその両スタジオから、京都は特撮時代劇、東京は現代劇の中に特撮を使うと、ひとつの会社ながら、ふたつのラインを生み出した。その典型が「大魔神」と「ガメラ」の両シリーズであることは言うまでもない。
 竹内博さんと昔から話したのは、いつか大映特撮の本格的な研究をやらなくては……という話だった。
 その機会が来たと、徳間書店のこの本にとりかかったわけだが、いつしか大映京都の特撮時代劇のほうに力のかけ方が大きく傾いていった。
 時代劇と特撮がガッチリと力をあわせ、視覚的にはリアルでありながら、破天荒なイメージを生み出していく。大映特撮時代劇は、実に映画として魅力的だったからだ。
『大魔神』の本編、特撮とも撮影した森田富士郎キャメラマンは、『映画撮影』誌上の撮影報告で、こう述べている。
『この映画の製作にあたり、会社首脳部の理解は有難かった。とにかくリアルに撮ってほしい、話は戦国時代初期ではあるが、そういうものを離れて荒唐無稽なものでよい。だが芝居はリアルにゆこうという構想は私の撮影に対する考え方と一致していたと思う』
 大映特撮時代劇の魅力を言いえている文章だと思う。映像的にはきわめてリアルなのだが、そのイメージは、特撮をフルに使ってスペクタクルな、あるいはファンタスティック映像を生み出す----『釈迦』や『鯨神』(62/監督:田中徳三)、『大魔神』を思い起こせば、そのムードはわかるだろう。
 大映京都撮影所の場合、さらに異色なのは、特撮専門のスタッフを持っていなかったことで、普段、時代劇を撮っているスタッフが、そのまま特撮シーンを作り出していたのだ。
 今井ひろし、田中省三、森田富士郎というキャメラマン陣、渡辺竹三郎、内藤昭、加藤茂の美術陣、中岡源権、島崎一二、美間博という照明陣とそうそうたるメンバーである。
 “青空の似合う東映時代劇、曇天かうだるような暑さの大映時代劇”と俗に言うが、そのリアルで渋い映像設計が、大映特撮時代劇を支え続けたのだ。
 この『大映特撮コレクション』を編集しながら、その作品群を作ったスタッフの手腕に唸り、日本映画の研究が何か大事なものを落としてきたことを、痛感することとなった。大映の主要作品の、あるいは映像作家の大系的、作家的研究すらされていないのだ----『眠狂四郎対座頭市』などという本を作りたいね、と編集中、話し続けた。なぜ、そういう本が存在していないのだろう!?
 話がとんでしまったが、『大魔神』の撮影報告で、森田キャメラマンは、封切り日や他の作品とのステージ調整で、後半は3班編成となり、撮影監督制の必要を痛感した、と述べている。
『この3班編成で痛感したことは、つくづく撮影監督制のことであった。普通写真でよくいうシャッター・チャンスに似たものである。魔神像が現れ、キャメラの
回転数が上がる。その時に併せてパウダァをまくという段取りになるのだが、パウダァの量、飛び交う方向など、なかなかルーペやファインダーではわからないことがたびたびあった。肉眼で判定してオペレーターに指示したら、もっとシャッター・チャンスを的確にすることができたと思う』
 特撮監督や撮影監督の必要を実に明解にわからせる文章ではないか!

初出『月刊スターログ』1985年1月号 日本特撮秘史〜国産SF映画復興のために