『ガス人間第一号』東宝 昭和35(1960)年度作品 91分 カラー 東宝スコープ
『美女と液体人間』(58/監督:本多猪四郎)、『電送人間』(60/監督:福田純)に続けて作られた、「変身人間」シリーズの第三作で、脚本と本編演出が充実して、密度の高いドラマを生み出している。
円谷英二指揮する特撮班は、“ガス人間”という存在を特撮の視覚イメージで支えたわけだが、特撮シーンは、徹底して少なく練りあげられ、本編演出のフォローに徹し切った感がある。派手なスペクタクル性を売り物にする『ゴジラ』(54/監督:本多猪四郎)や『地球防衛軍』(57/監督:本多猪四郎)と対極の作品だが、円谷特撮は、よく本編の演出意図に応え続けた。円谷特撮の演出テクニックを知る最適の作品のひとつである。
東宝マークに次いで、ガスが充満しているシーンが写り、ガスが吸い込まれ、『ガス人間第一号』のタイトル(ガスの吸い込みは逆回転による)、スタッフ、キャストの紹介となる。
ここから本編は、銀行内で起きた謎の密室強盗殺人事件を巡って、犯人を追う岡本警部補(三橋達也)とその婚約者で婦人記者の甲野京子(佐多契子)、捜査線上に浮かんできた容疑者で、日本舞踊の家元・春日藤千代(八千草薫)、彼女に恋心を抱く図書館員の水野(土屋嘉男)などの、輻輳する人間関係を描いていく。
そして、逮捕された藤千代を救うべく、真犯人として自首した水野が、犯行現場で再現してみせるシーンから、この映画初の特撮場面が展開される(ここまでおよそ40分間に、ただの1カットも特撮シーンはない)。すなわち、ガス人間の変身シーンである。
○「下がって!」といい、鉄格子に近づく水野。ニヤリと笑い、右手を胸に入れる。
○銃を抜く岡本警部補。
○何ごとかと見つめる田端警部(田島義文)と藤田刑事(三島耕)。
○背中から見た水野。その水野の頭が青く光るガスに変わっていく(光学合成シーン)。
○驚きの声をあげる稲尾刑事(小杉義男)。
○下へガスを吹きながら落ちていく服。頭は青くガス化している。
○仰天する金庫の中の支店長。
○「撃て!」と田端が命じ、発砲する藤田。
○金庫へガスが漂っていく中、服は完全に下へ落ちた。
○支店長の身体をのぼっていく煙。
○床を進む煙。
○ガスは支店長を包み、首のまわりに青白く固まるガス、苦しむ支店長
○「やめろ! やめろ、水野!! やめんか!」と叫ぶ岡本。鉄格子に取りつく全員。
○支店長から天井へのぼっていく煙。
○天井に広がっていく煙。
○倒れる支店長----死んでいる。
○愕然となる岡本たち。「支店長」と呼びかける田端警部。
○「これが事件の真相だ」という水野の声。金庫の扉が開いていく。
○札束が浮かびあがる。
○鉄格子のところで、札束の側を連射する稲尾刑事。
○札束がバラバラになり、飛ぶ。銃を連射する稲尾のまわりに、ガスが急速に集まり(噴き出すガスを逆回転して合成)、顔のまわりを光学合成でガスが包み、苦悶する稲尾刑事。
○発砲しようとする藤田を止める田端警部。
○倒れる稲尾、のぼっていく煙。
○駆け寄る岡本。バックの扉が開く。
「(笑って)藤千代をすぐ釈放するんだな。彼女に罪はない。釈放しない時は、余計な犠牲者が出る」
○窓へ寄っていく煙。
○窓へ向け、発砲する岡本。
○窓から外へと笑い声をあげて出ていくガス。
約2分30秒の息づまるガス人間初登場のシーンである。ガス化する際は光学合成、服が落ちていくところは実際の煙、逆回転でのぼっていく煙、噴き出すシーンを逆回転で合成して襲いかかるシーンなど、同じ煙でも上へのぼる煙、下へ落ちる煙と効果によって使いわけており、それぞれのガスの動きに明解な意志を感じさせた。
警視庁幹部は、ガス人間の脅迫に警察が屈服したことになる、と無罪とわかっている藤千代を釈放しようとしない。
と、会議室へ現れるガス人間。
「君は、藤千代のためを思ってやってるんだろうが、結果は反対だ。ますます不幸にしてるんだ」と岡本。
「法律を無視して幸せをえられると思ってるのか!?」と警察幹部。
「ハッハッハッ、白とわかっていても釈放しないのは、法律に背きませんか(ギクッする幹部)。僕は人間じゃないんだから、人間の作った法律に従う義務はないでしょう」
「じゃ、藤千代を愛する資格もないな」と岡本警部補。
「(岡本を睨み)それは、彼女が決めることだ」と水野。
「君がガス人間だということを彼女は知ってるのか!?」と岡本。痛いところを突かれ、言葉を返せない水野。ドアや窓を閉めていく刑事たち。水野が身構えようとするや、右手でホルスターに触れていた岡本が無警告で銃を発砲するシーンが圧巻。しかし、効果音とともにガス化して逃走する水野。銃声に集まってきた新聞記者に藤千代を奪い返して発表会を開かせる、と宣言するガス人間。
ガス人間は、藤千代のいる牢獄へとやってくる。気づかない老人の係官。
○鉄格子を左右の手で握り、笑う水野。
○後ろの気配に気づかない老看守。
○水野の顔のアップ。光学合成で青白く光り、輪郭がボケ、ガス化していく合成。
○煙を出しながら、足が鉄格子を通り抜ける(このシーンは逆回転の煙で処理)。
○気づかない老看守。
○すり抜けた水野、顔が青白く発光するガス状だ。カメラが左にパンし、ようやく、振り向いた老看守を写す。
○ガス状の青白い顔のガス人間のアップ。
○老看守、恐怖に顔を歪ませるアップ。口のまわりにドーナツ状のガスが取り巻き、苦悶する老看守。
と、今度は服を着たまま、半分ガス化したガス人間が鉄格子をすり抜けていくというシーンを見せた。いかにも怪奇スリラーといったムードだが、水野の顔がガス化して、輪郭がボケて、まるで骸骨のように見えるのが圧巻で、最初のガス化シーンをさらにパワーアップしたシーンだった。
水野は、牢の囚人を逃がし、藤千代を助けようとするが、藤千代は、逃げたら罪になると動こうとしない。
本編はこの後、佐野博士(村上冬樹)に騙された水野がいかにしてガス人間に変身したか、という過去を語っていく。このガス人間誕生のシーンでは、等身大のゴム風船状の土屋嘉男人形を作り、煙を出しながらしぼんでいくところを撮影して、画面ではそれを逆回転させて、さらに光学合成の処理を加えて、ガスから次第に人間に戻ってくる視覚イメージを確立させた。次のショットで驚く佐野博士を挟み、胸に手をおく土屋嘉男に光学合成を加えていたのをはずし、人間に戻るシーンを完成させた。
水野は、自分の体が実験台にされたことを知り、さらに、今まで何人もの犠牲者があることを知って逆上して、ガス状になり、水野博士を窒息死させてしまったのだ。雨の中を走る水野。
自分の顔を触り、「生きてるぞ、生きてるぞ」と、雨の中で笑うシーンが印象的だ。
だが、何といっても圧巻なのは、釈放された藤千代が踊りの発表会を双葉会館ホールで行うことになり、必ずや姿を現すであろう水野と、ガス人間を無色透明のUMガスでホールごと焼き尽くそうとする警察の駆け引きが展開されるラストまでのすばらしい盛りあがりである。
本編と特撮シーンの絶妙な編集を、ここに全再録してみよう。
○踊りがクライマックスを迎え、着物を全身にかぶせ、舞台にうつ伏せ、曲が終了する(本編)。
○鼓をおき、「お見事でございました」と老人(本編)。
○水野の拍手が響き、起きあがり面を取ろうとする藤千代(本編)。
○拍手しながら立ちあがる水野(本編)。
○面を下におき、客席へと去る藤千代(本編)。
○客席で駆け寄り、抱きあうふたり(本編)。
○老人、うつむく(本編)。
○ガス放出室。本署に連絡する田端警部。階段を駆けあがっていく岡本と京子(本編)。
○「よかった、すばらしかった」と、抱きあって呟く水野(本編)。
○水野の顔アップ「僕たち、負けるもんか」(本編)。
○ライターを袖から取り出す藤千代。悲しみに顔を歪め、もう一度、水野の体をしっかりと抱く(本編)。
○藤千代の顔アップ(頬をこぼれるひと筋の涙)(本編)。
○ライターを点火する藤千代(本編)。
○画面全体がオレンジ色の炎に包まれて、爆発する(炎の中、倒れていくふたりが客席の中に見える)。大音響(特撮)。
○天井をなめる炎の乱舞(特撮)。
○ホールの外から見て、会場から噴き出してくる炎が見える(特撮)。
○近づいてくる群衆とその中にいる岡本や京子。炎の照り返しオレンジ色(本編)。
○燃えるホールにかかる消防隊の水(特撮)。
○放水している消防士(本編)。
○燃えるホールを外から(特撮)。
○花輪が燃える、水野の献花だ(本編)。
○花輪の上部の花が燃えていく(本編)。
○会場内に広がって踊る炎の乱舞(特撮)。
○天井をなめて燃えている炎(特撮)。
○消防士の放水(本編)。
○燃えるホールに放水(特撮)。
○ロングで岡本たちと群衆(本編)。
○消防士の放水(本編)。
○燃えているホール(特撮)。
○ホールの入口、中が燃えている(本編)。
○「ガス人間は死んだんでしょうか」と田宮博士に聞く岡本。「……多分」という田宮博士。「多分!?」と岡本。「確実とはいえないんですか?」と田端。「どうして爆発したか、私にもわからないんです」(本編)。
○「家元さんとあのおじいさんも……」と、岡本に呟く京子、泣きそう(本編)。
○ホールの入口ではいずる、出てくる何か(特撮----操演)。
○岡本、目をしばたたかせる(本編)。
○ホールの入口にはいずって出てくるガス人間----階段のうえで、一度、起きがあがろうとする(特撮)。
○「……ガス人間」と呟く岡本。うなづく田宮博士(本編)。
○ホール入口の階段をはいずり、おりてくるガス人間。その右手には藤千代の振り袖が握られている。階段に手をつき、起きあがろうとする(特撮)。
○岡本、京子、田宮博士のアップ(本編)。
○騒ぐ群衆2カット(本編)。
○階段の上のガス人間。光学合成で実体化していく手と頭。青くたなびく煙。その顔は、焼けただれている。ピクリとも動かないその体。実体化して、消える光学合成(特撮)。
○京子、泣き崩れて、岡本の胸の中で泣く(ロングからアップへ)(本編)。
○階段の水野の上に、画面、上から倒れ込んでくる花輪が落ちてくる(本編)。
○燃えるホールの全景。真ん中から赤い“終”の文字が出てくる(特撮)。
44カット、4分30秒の、東宝特撮作品中、最高のドラマ的盛りあがりをみせたラスト・シーンである。宮内國郎の情感たっぷりの音楽演出も絶品だった。
爆発シーンの特撮は、特にすばらしく、まるで水野と藤千代の悲しさと怒りそのもののようなパワーを炎のフォルムと量感がもっており、ライターをつけた瞬間、画面が白光して、炎の大爆発----ホール全体がはじめから紅蓮の炎に満ちているイメージ----に移る編集も見事だ。天井をなめる炎も、この両者の怒りと悲しみ、そして、ある意味でのエクスタシー(心中物と考えればだ)を感じさせ、炎の中に倒れていく何か(多分、藤千代と水野)を見せることで余情を持たせることに成功している。このホールの特撮もリアルで、実景と挟んでも何の違和感も生み出さない。ラストの燃える建物といい、どこかにイギリスの、ハマー・プロの怪奇映画のような匂いもあり、盛りあがる異様なラストであった。
最後の倒れていく花輪も、この登場人物に哀悼の意を表する本多猪四郎監督の献花そのものであることは、間違いがないと思う。
円谷演出は、光学合成、煙、逆転する煙、煙の合成、服だけ、と本来、意志を持たない無機物をまるで人間の意志のように操り、土屋嘉男と八千草薫の演技、そして、本多演出の冴えと相まって、東宝SF映画の中でも屈指の地位を占める作品となって結晶化した。
ガス人間がなぜ次々と殺人を続けるのか、それは、私たち社会自体が佐野博士の方向に動いているからであり、のうのうと平和に暮らしている人間自体に、彼が嫉妬しているのだと映画は語っているようだ。
この物語のセリフと人間ドラマは、東宝SF作品中、もっともペシミスティックなもので、権力や警察といった体制と私たちひとり、ひとりの現代を生きる人間の心に激しい疑いのまなざしを向けている。
八千草薫、土屋嘉男の快演、ユーモアを織りまぜて作品を盛りあげていくサスペンス、ヒッチコックの大ファンであるという本多監督の狙いは明らかであろう。
土屋嘉男の演技とその口調、そして、自在にガス化する特撮映像は、彼が心の中で、「自分はいつガスになって、空中に四散して死んでしまうかもしれない……」と思っているのではないかと、彼が心の中で震える異様な恐怖を的確に表現しており、この映画のテーマをバックから支え続けた。この作品を見て、特撮の自己主張とは何なのかを考える時、この映画のバランスこそ、“特撮”という表現の一方の理想の道だと考えてしまうのである。
【初出 実業之日本社『円谷英二の映像世界』(竹内博、山本眞吾・編)円谷英二主要作品解説 昭和58(1983)年12月刊行】